6-1.季節の終わり
足元の影が、夕焼けとともに長く伸びていた。
ベンチにひとり残された和音は、立ち上がるのに少し時間がかかった。
風はまだ吹いている。冷たいわけじゃないはずなのに、
肌に当たるたびに、胸の奥の不安をなぞるようだった。
帰り道、街へと続く坂を下っていく途中、前方に見覚えのある背中があった。
「……田中?」
振り向いたのは、和音と同じ中学からの友人、田中だった。
「え、沢城!何してんのこんな所で。
ってか、どうしたんだ、そんな顔して」
「……?」
「体調悪そうな顔してるぞ」
和音は答えず、少し首を傾げただけだった。
田中はそれ以上詮索せず、気楽な口調で言った。
「まぁ、駅まで一緒に行こうぜ。どうせ家近いしな」
並んで歩きながら、街のざわめきが少しずつ戻ってくる。
いつもの風景、いつもの音。
それでも、何かがぽっかりと欠けたような感覚は消えない。
しばらく歩いたところで、和音がぽつりと口を開いた。
「……なあ、田中」
「ん?」
「たとえば、初めて会った誰かのことが……
ずっと、頭から離れなくなることって、あるか?」
「んー……それ、“例え話”?」
「……まぁ、そんなところ」
田中は少しだけ歩く足を緩め、顔をのぞき込んでくる。
「へぇー、沢城にもそういうの、あるんだな」
「そういうの、って?」
「それ、一目惚れってやつだろ。はは、意外すぎる!」
その言葉に、和音は足を止めた。
一目惚れ。
たった一言なのに、心にすとんと落ちてくる感覚があった。
「……」
笑ってる田中の横顔を横目に、目を伏せる。
雫の笑顔、声、視線、あの仕草。
すべてが、一つひとつ鮮明に思い出されて――
会って間もないのに、気づけば惹かれていた。
これから知っていくことの方が、ずっと多いはずなのにーー
どうして雫を好きだと思うのか、最初はわからなかった。
何度も考えて、思い返して、胸の奥に残ったのはただひとつ。
これが、恋だ。
そう自覚して、ようやく心が少しだけ、落ち着いた気がした。
ただ静かに、心の底から湧き上がるものがあった。
「……誰にも言うなよ」
「言わねーよ!」
でも、今度詳しく教えろよ。と背中を軽く叩かれる。
日常に戻って来たような、田中の明るさが今はどうしようもなく有り難かった。
田中と別れ、家までの道をひとりで歩きながら、
和音はふと空を見上げた。
夕焼けはもう完全に消えて、空は夜の気配を帯びている。
でも、不思議とあの丘の闇よりは、少しだけ明るく見えた。
好きだと、今なら胸を張って言える。
それは恐怖や不安の裏返しじゃなくて――
ちゃんと、自分のなかにある、まっすぐな想いだった。
静かに目を閉じる。
明日、彼女にまた会えますように。
そう願いながら、和音は歩き続けた。