5-2.変化
丘の上の風は、昨日より少しだけ穏やかだった。
今日も二人は、並んでベンチに座っていた。言葉はまだ交わしていない。けれどその沈黙は、どこか心地よい。
雫が膝の上の文庫本をぱたんと閉じる。指先がページから離れる瞬間、そのまま、ふっと和音の方に視線を向けた。
「……沢城くんも、本、読んでるよね」
問いかけ、というより確認のような響きだった。
「初めて会った時、本、読んでたから」
「ああ…」と口にして、和音は少しだけ頷いた。
ポケットの中で手を握りしめて、口元がわずかに動く。
「……うん、小説が多いかな」
言葉は最後までは続かない。でも、雫はふんわりと笑った。満足したように、少し目を細める。
「やっぱり」
「……なんで」
問い返すと、雫はすこしだけ唇を結んだ。けれど目が語っていた。「わかるから」と。
「雰囲気が……なんとなく、大人っぽいから」
そこまで言って、雫はそっと視線を遠くへ流す。和音は黙って、その横顔を見つめていた。
「……如月さんも、そんな感じ。落ち着いてて」
「ん」
それは、肯定の意味だった。
「ずっと、本ばかりだったから。
……話すより、読む方が」
そこまで言ったあと、雫は少し肩をすくめて、笑った。どこか、自分を茶化すように。
和音はそれに応えるように、ほんのわずかに口角を上げた。
会話はぎこちなくても、空気はなめらかだった。
「落ち着くよね」
雫の声は、とても静かだった。その声のあと、二人の間にまた少し風が通る。
「……うん」
和音は短く答えて、視線を足元に落とす。
それでも伝わる。
たぶん、それだけで、十分だった。
「次、読む本……まだ決めてなくて」
雫の言葉は、まるで独り言のようだった。
でも、視線は横へと流れてくる。
「……いっしょに、探す?」
その提案に、和音はほんの少しだけ、目を見開いたあと、静かに頷いた。
言葉は交わされない。けれど、どちらの表情にも、わずかに緩んだものがあった。
それだけで、会話はもう、十分だった。