第6話 悪質クレーマーへの対応と試される南雲
鈍い金属音が、耳元で弾けた。
振り下ろされた剣は、私の目の前で不可視の壁に阻まれる。
笑みを浮かべ嗜虐に満ちていた顔が、段々と余裕を失っていく。
「無駄ですよ」
淡く輝く金色の……気体? オーラ? なんかよくわからんものが私を覆っている。
ペリカンみたいな化け物の時にはなかったことから、もしかしたら進化しているのかもしれない。
「な、コイツ……結界だと……!?」
まったく成果の出ない攻撃を、ようやく無駄と悟ったようだ。
剣を振ったリーダー格の男が一歩後ずさる。
「魔術師かっ!?」
いや、営業マンです。
まったく、無駄を悟るのが遅い。
見切りをつけるのが甘いのは、営業マンなら叱責ものである。
「暴力による交渉は非効率です。今からでも、建設的な話し合いに切り替えませんか……」
「ああ? はははっ! 聞いたかお前ら!」
リーダー格の男が、あからさまな嘲笑をあげた。
腹を抱え、くっくと喉を鳴らしながら、汚れた指でこちらを指す。
「取引だとよ! それなら──そこの女を置いてけ」
視線の先には、金髪エルフの女騎士と、未だ倒れたままの銀髪の女性。
女騎士は眉を吊り上げ、剣を構え直す。
「下劣な……!」
「ほぉら、顔もいいし、きっといい声で鳴くぜ」
下卑た笑いが周囲に広がる。
こういう連中は、話が通じる相手ではないのかもしれない。
だが、それでも一応は交渉を試みる。
モンスタークレーマーにも、何度か出会ったことがある。
「それは困ります。代わりに……そうですね、私は癒やし魚を提供できます。体力回復にも使えますし、金にもなる」
「魚なんざいらねえんだよ!」
ですよね。案の定、怒鳴り声が返ってきた。
盗賊が魚の行商なんて笑えない。
しかも、この身なりだ。不潔なのは街に入れないからじゃないかな?
「欲しいのは女だ。女じゃなきゃ意味がねえ!」
瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
まるで脳に直接、熱い何かが流れ込んでくるような感覚。
『判定──対象を【悪質クレーマー】に分類。絶対優勢を発動します』
音がなり、体に力がみなぎる。
今なら空でも飛べると思えるほど、体が軽い。
……これ、変な中毒性とかないよね。
「──囲めっ! こいつは厄介だが、女は手負いだ!!」
あ、やばい。そんなことされたら私、どう動いていいか分からない。
どれだけチートじみたスキルがあっても、こっちは喧嘩の経験もろくにないアラフォーだぞ。
「やばっ……ん?」
ふと、脳裏に浮かぶ赤い光。
間違いなく目の前の盗賊を示している。
だが、おかしい。数が増えている。
というか、光の大きさが違う。
盗賊全員をまとめた以上の、大きな光だ。
(おいおい、すごい勢いでこっちに来るぞ……)
背後の森で怯えるように鳥の群れが飛び去った。
女騎士に目をやれば、彼女はとっくに身構えている。
盗賊にじゃない。その後ろに、だ。
「いくぞ──野郎ど……」
「ひぎゃあああああああ!!?」
そいつの一番間近にいた盗賊が悲鳴をあげる。
が、すぐに絶叫は止んだ。
とっくに上半身は飲み込まれていて、ジタバタと足が動いている。
「え、ええ……」
呆然と見ることしかできなかった。
ズルリと音を立て、空中にぶら下がっていた盗賊が、巨大な口の奥へと吸い込まれていく。
喉元で喰いちぎられたのか、途中で脚がぶつりと千切れて地面に転がった。
「アルビオン・デスワーム……! まさか、この森に生息しているなんてっ!」
剣を構えていた女騎士が、震える声で叫ぶ。
アルビオン? ワーム? そのまんま、芋虫じゃないか。
いや、虫と呼ぶにはあまりにおぞましい。
木々をなぎ倒して現れたのは、うねる肉塊のような巨体。
触手のように動く、ヤツメウナギのような口が唾液に濡れながら開閉を繰り返し、周囲の匂いを嗅ぎまわっていた。
『営業スキルが発動しました』
──は?
飢エタ。食ベタイ。甘イ肉。
あ、スキル発動してる。
って、やめろ、やめろやめろ。
「え、ちょ、まさか、これって……」
視界の隅に、金色の交渉マーカーが点滅していた。
対象は間違いなく──アルビオン・デスワーム。
いやでも、無理だ。さすがに交渉とか、そういうレベルじゃない。
この目つき、この涎、この咀嚼音……。
ニンゲンノ肉。
「いや待て待て、交渉って……えええええ!?」
この窮地において、スキルは私を“営業マン”として動かそうとしている。
そして、相手は“肉”という商品を求めている。
(いやいやいやいや、人肉って……異世界でもダメだろ!!?)
そのとき、ワームの鈍く光る口内が、こちらを向いた。
ゆっくりと開閉するテラテラとした肉塊は、まるでおねだりのようにも見える。
取引? 供給? お客様?
──って、それ、俺が人肉を“仕入れて”渡すってことか!?
「お、おい嘘だろ……え、俺も人間なんだけど!?」
ぞくりと体が震える。膝が笑い、喉が渇いた。
営業スキルによる守護結界が、ゆっくりと霧のように薄れていく。
「まさか……人間を食わせないと、自分が食われる!?」
絶望と冷や汗がせめぎ合う。
目の前には、縮こまった盗賊たちが震えている。
彼らはまだ逃げていない。ワームも、彼らにしか興味を向けていない。
(待て待て待て、え、これ……交渉って、俺がアイツに“彼らを納品”すれば解決ってこと……?)
いやいやいやっ!
スキルよ。お前、便利だけど倫理観がバグってるぞ!!
「逃げられない……よな」
目の前のデスワームはまだ待っている。
唸り声を上げながら──まるで次の“供給”を、私からの提案として待っているように。
「……え、俺、これから人を食わせるの……?」
その問いに、誰も答えない。
ただ、静かに涎を滴らせる巨体が、迫っていた。




