女騎士への“営業”は金貨の香り
脳裏に投影された光が、焚き火よりも白く脈打っている。
私の営業スキルが示すのは“需要と供給”の光だ。
「な、何を企んでいる……っ」
剣を構える金髪の女騎士が、ぎりぎりと奥歯を噛みしめる。
その横で、上半身に包帯を巻いた銀髪の女性が呻いた。
血はまだ滲み続けている。
──チャンス到来だ。
「まず自己紹介から始めましょう。私は南雲悠真、異国から来た行商人です」
営業とは相手と己の両方へ利益をもたらす行為。
世間では買い手を騙して得をしようとする悪徳イメージを持つ人もまだ多い。
断言しよう。この南雲悠真はそんな三流営業マンではないと。
「見ればそちらの方は大怪我を負われた様子。お力になれるかもしれません」
胸に手を当て、三秒で好意的印象を植え付ける“笑顔”を投入。
「行商人、だと? この森で?」
「ええ。顧客の困りごとを解決し、対価をいただくのが私の仕事です」
さあ、ここからは魔法のスキルではない。
社会人経験十六年で培った“営業テクニック”だ。
Step1──ヒアリング。
「今、最も欲しいのは薬と食料だ。違いますか?」
「……」
応えないのは私がまだ警戒されているからだろう。
馬鹿正直に弱みを話したりはしない。
でも彼女は刃先を下げ、わずかに息を吐いた。
私を“敵”認定から外したようだ。
でも警戒は全く解けていない。
こういう客に無理に話させようとしてもダメだ。
Step2──課題の言語化。
「あなたは賊に襲われた仲間を助けたい、しかし食糧も物資も足りず、このまま夜を越えれば傷は致命傷になる」
傷を負った同僚と思わしき女性は熱があるのか汗でびっしょりだ。
私の提案はただの推測だ。
でも先ほど私に放った“賊”という言葉からして、当たらずとも遠からずだろう。
「くっ……」
図星だったようで、女騎士の肩が震えた。
それでも剣は下がっていない。
なかなかに頑固なお客さんだ。
しかし十六年も営業を続けた私なら……っ!
Step3──提案。
私は両手を広げ、無防備であることをわざと示した。
「ご覧のとおり、私は手ぶらです。しかし――」
脳裏に営業スキルが示す光が浮かぶ。
光点が幾つも瞬き、素材の在り処を指した。
「ここからすぐの川で、宝石のような鱗を持つ“魚”を私は捕まえられます。さらにそこから西へ十歩の森の中には薬草もあります」
「宝石のような……まさか、あの癒し魚のことか!?」
よし、やっぱりか。
あのバカ強い巨鳥が好物にしていた魚だ。
見た目も美しいし、ただの魚ではないと思っていたがまさか“癒し魚”とは。
ていうか薬草には食い付かないな。
それだけあの魚が凄いのかもしれない。
「必要な数をおっしゃっていただければ、すぐにでも取ってきますよ?」
「嘘を言うな! あれは気配に敏感だ。プロの漁師でも月に三匹獲れるかどうかなのに」
ほう、そんな希少価値の高い存在だったか。
これはいいことを聞いた。
彼女はこの異世界で良い情報源になってくれるかもしれない。
「これを御覧ください」
「な、癒し魚の鱗!? 本当なのか……」
綺麗だからと念のため取っておいて正解だった。
論より証拠は異世界でも変わらないらしい。
いい頃合いだろう。
クロージングへと移ろうか。
Step4──金額交渉。
「今から十分以内に……最低五匹は取ってきましょう」
「できるのか!? そ、それだけあればカレンも……」
こぼれ出た本音にほくそ笑む。
私の提案はカレンという女性の窮地を救えるらしい。
ならば、ここで営業最大の山場へ向かおう。
「もちろん、タダではございません」
私は人さし指を立て、にこりと笑う。
「――初回限定、金貨一枚ですぐに魚をお持ちします」
「た、高い……っ」
女騎士の声が揺れる。
でまかせで金貨一枚と言ったが、泣きそうな顔になってしまった。
正直、ここの貨幣の価値はわからないのだ。
……というか、金貨で合っていたのか。
「高い? 彼女の命の価値は金貨一枚などでは測れませんよ」
畳みかけるように、私はクロージングトークを投入した。
「加えて言えば、この森で素材を見つけ、採取し、あなたに供給できる者は――今、この場に私しかいません」
「で、でも……」
女騎士がたじろぐように眉を顰めた。
剣はとっくに地面に切っ先が着くくらいに下がっている。
さあ、ここからが営業マンの醍醐味だ。
Step5──Win‑Win。
「金貨一枚が高いというが、法外な値段ではないでしょう?」
「うっ、それはそうだが……」
プロの漁師でもなかなか獲れないと言っていたのだ。
ふっかけているわけではないと思う。
「でも……私にそんな金額はっ」
正直、驚いた。
かなり美しい見た目で、身なりも悪くない。
きっと良家の令嬢が騎士になったと思っていたが、違うのかもしれん。
「では、提案があります」
「提案?」
そう、私の目的は彼女から搾取することではない。
無い袖を無理やり振るわせては、まさに悪徳営業だ。
彼女も得をし、私も得をする。
その最適解を導き出すのが営業という仕事である。
「手持ちの金額はいくらありますか? 少しはおまけできるかもしれません」
「……銀貨三枚に銅貨三十枚だ。ただ全額は、その……」
女騎士が同僚の命と自身の懐事情の間で揺れている。
それはそうだ。
ここがどの程度の文明なのかは知らないが、日本のように生活保護があるわけでもないだろう。
お金は自分の命に直結するほど貴重なもの。
私はお金の価値を馬鹿にしない。
「ならば、銀貨一枚で手を打ちましょう」
「本当か!? しかし、それでは破格すぎるのでは……」
華やぐような笑顔とはこのことを言うのだろう。
険しい顔をした美人騎士にこんな顔をされたら、ぶっちゃけたまらん。
いいよいいよ、とおっさんらしく大盤振る舞いしそうになるのを理性で抑える。
「ただし、条件があります」
「……条件?」
また女騎士の表情が曇っていった。
思い出したかのように剣を持ち上げる。
警戒心を戻してしまったようだ。
何、きっと問題ないさ。
「──私を街まで案内してくれませんか?」
「は? 案内?」
「あの、お恥ずかしい話……実は迷子でして」
ここで初めて表情を崩す。
浮かべた顔は、困ったように恥ずかしがる中年の顔だ。
ちなみにこれは演技じゃない。
舗装された道はT字路になっていて、どっちに行けばいいか分からなかったのだ。
「そ、そうだったのか」
「ええ、異国から来てこの地に不慣れなものでして」
当たり障りのない世間話でお茶を濁す。
女騎士は顎に手を当てて無言になった。
きっとこの条件をもっと下げられないか考えているのだろう。
だが、甘い。
営業マンは誠実でないとダメだが、時に厳しくして舐められないことも必要だ。
「ここまで譲歩したのにダメなら私は去ります。自力で街への道を探しますよ」
呆れたように、ため息をついて真顔に戻る。
そのまま踵を返し、先程の道へと歩いていく。
「ま、待て! その取引、受けよう!!」
背後から慌てた彼女の声が掛かった。
無事に交渉が成立したことに、充実感が湧いてくる。
私のテクニックは、この世界でも通用したんだ。
(計算が上手くいくことほど、気持ちのいいことはないな)
鼻歌でも歌い出しそうになった時、私の脳内でまたあの声が響いた。
《成約報酬:営業ポイント20が加算されます》
スキルが告げると同時に、体がわずかに発光した。
特に身体に変化はないが……
「な、なんと……っ!」
頭の中に地図がある。
自分の現在地には矢印が、そして納品が必要な魚の場所には金色の光が輝いている。
(営業スキルが進化したのか……っ!?)
なんとも便利な機能だ。
さっきまでは周辺を大まかに示すだけだったが、かなり詳細に居場所がわかる。
(おいおい、最高……って、なんだ?)
地図上に赤い点滅が見えた。
その光は森の中からまっすぐこちらに向かってくる。
女騎士の後ろの方角だ。
「ん、どうした?」
「……警戒してください。何か来ます」
「っ!?」
女騎士が剣を構えたそのとき――茂みがざわりと揺れ、獣臭い風が吹き抜けた。
暗がりの向こうに瞳が六つ、燐光のように浮かび上がる。
「おいおい! 俺達を置いていくなんて寂しいじゃねえか!!」
現れたのは六人の男達だ。黄色い歯に、汚れた衣服。
しばらく風呂に入っていないのか、髪の毛はフケで白くなっている。
みんな、刃の欠けた剣を持っている。
「貴様ら……っ!」
こいつらが言っていた賊なのだろう。
女騎士は歯を食いしばり、眉間にシワを刻んでいる。
反応からして、状況はこちらが劣勢ということか。
──仕方ない。
「皆さん──取引をしましょう」
「ああん? 何だてめえは!!」
凄む男たちと女騎士の間に割って入る。
先頭にいたリーダーと思わしき男が、有無を言わさず私に剣を振り下ろした。
『営業スキルが発動します』
発動と同時に、空気が張り詰めた。
焚き火の光がわずかに揺らぎ、地面に淡い光が走る。
私の足元から、蒼く脈打つ円環が静かに広がっていった。
「な、なんだこいつ……っ」
戸惑いように呟いた男の声。
私の肩では、振り下ろされた剣が止まっている。
相変わらず衝撃は軽く、子どものおもちゃのようだ。
殺人を厭わない犯罪者に怯える心が静まっていく。
日本でこんな恐ろしい人間と関わったことはない。
実は内心、ビビりまくっていた。
でもスキルへの安心感が、私の心を落ち着かせる。
目を伏せ、そっと息を整える。
──条件は揃った。あとは交渉の場に立つだけだ。
「それでは、商談に入りましょうか」
笑顔を貼り付ける、いつも通りに言葉を放つ。
今度は目の前の男の足が震えだした。
次回、南雲無双。