異世界で手に入れたのは営業スキル!?
目の前には綺麗な小川が流れ、周囲は見渡す限り森だった。
空気が澄んでいて心地いい。
だけど今、私の立っている場所を大きな影が覆っている。
「グルオオオオオオ!!」
目が合った巨鳥が急降下で私へ突っ込んでくる。
鳥とは思えない獣じみた咆哮が頭上から降り注いだ。
風を切る音がどんどん近づいてくる。
頭の中はもう真っ白だ。
「──ひぃ!?」
叩きつけられるような突風で意識を取り戻す。
威嚇するように広げた翼を含めると、とんでもなくでかい。
羽ばたきで巻き起こる突風が凄まじく、まともに目も開けられない。
(ま、まずい……)
涼しい気温に反して、スーツの中は汗でベチャベチャだった。
全身を叩く風が濡れた部分をひんやりと冷やす。
さっきから汗が止まらない。
(逃げないと……っ)
あばらが痛む。
そんなに走っていないのに、足が重くて前に出ない。
額から滝のように汗が流れて、息すらまともに吸えない。
「あっ……」
背中に硬い何かがぶつかった。
跳ね飛ばされる勢いで地面に叩きつけられる。
打ち付けた胸が痛すぎて、声が漏れた。
「ぐぅ……っ!!」
私を見下ろす巨大な顔。
くちばしが大きく開く。
獣臭い息が顔を直撃し、吐き気が込み上げそうになる。
(そんな……っ)
理由もわからないまま死ぬ。
会社を追い出された挙げ句、食われて終わる。
歯茎が痛い。知らずに歯を食いしばっていた。
怖い、悔しい、情けない——感情が渦を巻いて押し寄せる。
(くそ、くそっ……!!)
涙が頬を伝い、鼻水まで垂れていた。体中が震えて止まらない。
こんな状況で悔しいと思えるのはすごいじゃないかと、どこか冷静な自分が慰めてくる。
「ふざけるな!! まだ死にたくない……ここで終わりたくないんだよ!!」
だって惨めすぎるじゃないか。
まだ私は何も成せていない。
夢のひとつも実現していないのに。
──ああ、でも。
どんなに叫んでも運命は変わらないようだ。
嗚咽を混じらせ、情けなく泣きじゃくりながら。
迫ったくちばしに飲み込まれ──
『営業スキルを発動します』
耳の奥で、機械音じみた声が囁いた。
同時に目の前の巨鳥が身震いする。
大きく広げた白い翼、鼓膜を破るような激しい鳴き声──なんだ?
何か、違和感を覚える。
威嚇ではなく、まるで何かを訴えているように見えた。
──空腹。魚。代わり。人間。
「え……っ!?」
脳裏に浮かんだのは、その言葉。
まるで意志が強制翻訳されたかのように、ぎこちない。
声として聞こえたわけではないのが、また不気味だった。
「まさか……この鳥の?」
──食う。魚。代わり。人間。
「ちょっ、待っ!!」
大きく開いたくちばしが迫る。
喉の奥が丸見えになるほど距離が近い。
でも……っ!!
「わかった!! 私が魚を獲るから見逃してもらえないか!?」
気づけば必死で叫んでいた。考えて出た言葉じゃない。
生存本能に突き動かされた、魂の叫びだ。
言葉が相手に届いたのか、くちばしは私を飲み込む直前で停止した。
「さ、魚!! 君にあげるから!!?」
命をつなぐためにもう一度叫ぶ。
──人間。食う。魚。食う。
「ちょっ!?」
たどたどしくも意志は伝わる。
結局、私を食べるつもりのようだ。
「ひぃっ!?」
くちばしがガシリと閉じ、私を咥え込もうとする。
このまま持ち上げられ──ん?
でも、それだけだった。
両腕にくちばしが当たるが、その衝撃は軽い。
「うん?」
一度、巨鳥が私を見る。
そしてもう一度、くちばしを開き、挟んで飲み込もうとする。
だが私は微動だにしない。
小動物にじゃれつかれた程度の衝撃しか伝わらない。
「でもさっきは背中に衝撃が……いてて」
思い出したように背中が痛む。
ゆるやかな鈍痛は、さっきこいつに突進されたせいだ。
見た目どおりの力強さなのは間違いない。
でも今は、さっきの力を少しも感じない。
「あ、もしかして……」
“営業スキルが発動しました”。
耳の奥で囁かれた声は、確かにそう言っていた。
くちばしで私を突く巨鳥の力が弱いというより、私の身体が強化されたような感覚がある。
「もしかして、守られているのか?」
直感的にそう思った。
目を凝らして自分の体を観察する。
淡い光、温かい色。
それが私の全身を覆っている。
「魔法、なのか……?」
伝わる感覚に、ようやく助かったのだと知る。
「……はああああああ」
ため息しか出ない。
腰が抜けて、まともに立てない。
この“営業スキル”とやらの理屈は不明だが、とにかく命は繋がった。
「無敵でも強化でもなくて営業か……」
こんな巨鳥の攻撃をものともしないほど強いのに、名前が営業なのが腑に落ちない。
このまま戦っても勝てそうだ。
──魚。代わり。
考え込んでいたら、くちばしで突かれた。
「って、痛っ……くはないけど……あれ?」
さっき受けた一撃より衝撃が強い。
食われかけたときよりも、突かれたほうが衝撃が強いなんてことがあるだろうか。
もう一度、自分の身体を見回す。
さっきの温かい光が、蒸発するように薄くなっていく
意識を集中すれば、何かが抜けていく感覚まであった。
「営業……ってことは、まさか時間制限ありなのか!?」
無限に商談できるほど都合のいい契約なんて存在しない。
この効果は、どうやら私が約束を果たすまでは永続しないらしい。
つまり、早く魚を獲らないと──
──人間。代わり。魚。食う!
「ああ、わかったから!?」
安心感が一気に吹き飛んだ。
またぞろ冷たい汗が背中を伝う。
背中の痛みも忘れて、私は慌てて近くの川へ駆け出した。
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