8,お茶係を命じられまして
フルールは広い背中を恨めしげに見上げながら、その後を追う。
校舎内の生徒達はテラスでの件を知らないため、実際にはフルールの方が多くの恨めしそうな視線に晒されていたが。
「そういえば、フルール嬢はお茶が入れられるだろうか?」
前を歩いていたユベールが、少し振り返りながら突拍子もない質問をしてきた。
リトアルライヒ国では『淑女たるもの、お茶くらい入れられて当然』と言われ、令嬢は淑女教養の一つとしてお茶汲みを学ばされる。
普段は侍女に任せ、自らお茶を入れる機会はそうない。
しかし、いずれ何処かの家に嫁ぎ、夫人となって茶会を催すとなれば、お茶の知識は必ず必要となる。
それにお茶汲みと一言で言っても、学ぶべき事柄は多い。
お茶の入れ方は勿論、茶葉の品種、そのお茶に合う茶菓子、茶器の選び方など、上げ出せばキリがないほどの知識量、そして技術やセンスが必要になる。
そのため、貴族令嬢としてお茶を当たり前に入れられなければ、この国では後ろ指を指されてしまうのだ。
フルールは目を瞬きながら、当たり障りなく「人並み程度には」と答えると、ユベールは静かに頷き、また前を向いて歩き出した。
一体何なのかしら……?と思っていたが、歩くこと数分、フルールは向かっている先に検討が付き始めた。
まさか……とフルールの顔色はみるみる真っ青になっていく。
そして辿り着いた部屋のプレートには、フルールの想像通り『生徒会室』と書かれており、フルールは最早放心状態でそれを見つめていた。
案内人のユベールは躊躇いなくそこへ入っていく。
だが、フルールはその入口で身動きせず、開け放たれた扉の前で立ち竦んでいた。
「えっ、フルール!?」
驚きの声を上げたのは、生徒会室に居たダニエルだった。
駆け寄ってきた唯一の救いに、フルールの顔はへにゃりと歪み、カタカタと震える手を伸ばした。
「だ……ダニエル……っ!!」
「ど、どうしてフルールがここに? それに、なんでユベール様に連れられて……?」
ダニエルはユベールへ問うように顔を向けた。
連れてこられる場所が分かっても理由まで分からなかったフルールも、伺い見るようにユベールを見上げる。
「先輩方が卒業してしまって以来、生徒会でお茶を入れられる者が居なかっただろう? フルール嬢がお茶を入れられると言うので、お願いしたのだが?」
何かおかしいか?と言わんばかりのユベールの態度に、ダニエル含め他生徒会役員の令息達も、一様に「え?」と困惑している。
フルールも勿論、どうして自分なのかと口をはくはくさせていた。
(わたくし、お願いされました? されていませんわよね? そもそも、お茶が入れられるのかと先程聞かれたばかりでしたわよね!?)
未だ生徒会室に一歩も踏み入れることのないフルールを、逆にユベールは訝しげに見ている。
そこへ割り込むように、ダニエルが二人の間に飛び出した。
「ゆ、ユベール様! この間フルールを送ってくださったことには感謝しております。ですが、何故フルールに構うのですか? この子は見ての通り小心者なんです。あまり困らせてやらないでいただけませんか?」
フルールを庇うように前に立つダニエルの背中に、フルールはじぃんと感動していた。
だが、そんな感動どころではない言葉をユベールが言い放つ。
「何故? フルール嬢がお前のことを気にかけていたこともあって、ここに連れてきたんだが?」
一瞬時が止まったかのように、部屋の中が静まり返った。
何の迷いもなく言われたユベールの言葉を全員が脳内で反芻し、そして「え?」とフルールに視線を向けた。
ダニエルも振り返り、目を丸くしてフルールを見下ろしている。
「ゆ、ユベール様!? す、少し宜しいでしょうか!?」
声をひっくり返しながら、フルールはダニエルの前に躍り出た。
そして先程ダニエルから小心者と紹介されたとは思えないほど大胆に、ユベールの手首を掴んで生徒会室を出ていく。
その言動を咎める様子もなく、素直に「何だ?」と返事を返しながら出ていくユベールを、生徒会役員達は呆然と見送ったのだった。
「なっ、ななななんてことを! ユベール様、どうしてあんなことをあの場で……しかもダニエルの前で仰られたのですか!?」
フルールは今にも泣き出しそうな表情でユベールに詰め寄った。
そんなフルールにユベールは声を潜めて語りかける。
「君がダニエルを気にしていたのは事実だろう? フルール嬢は自分の恋心を意識しているから、私が『気にかけていた』と言ったことを色恋に紐付けて慌てているのかもしれないが、彼らは君の気持ちを知らないはずだ。どういう意味で『気にかけていたのか』は考えているだろうが、それは今後の持っていき方によるんじゃないか?」
「持って、いき方……?」
小声で話すユベールに合わせるよう、フルールも声を潜める。
そしてユベールの堂々とした言動に、フルールは「そうなのかしら……?」と納得し始めた。
そんなフルールを見て、ユベールは「それに」と言いながら締め切られた生徒会室の扉を見遣る。
「これはフルール嬢にとってもチャンスではないのか?」
「え? チャンス……ですか?」
「私が依頼し、君が生徒会のお茶係になれば、合法的にダニエルと接する時間が増えるだろう? そうすれば彼のお見合い相手の令嬢より長く、学園で過ごせる時間が得られるのではないか?」
「まぁ……っ! 本当ですわ!!」
フルールは感動を表すように、両手で口元を押さえて体を震わせた。
ユベールはそれにしっかりと頷く。
「恋の相談役をするにしても、ダニエルと話す機会がなければ話にならない。かと言って、下手に聞いて回るとダニエルからも怪訝に思われるだろうし、そのお見合い相手の令嬢とも角が立ちかねない。それなら、根本的に接する機会を増やす必要がある」
「なるほど、そういうことですのね!」
「丁度今年度のお茶係は空席のままでな。私達としても、作業の合間に飲むのがただの水なのも味気ないと思っていた。フルール嬢がお茶係になってくれれば、こちらとしても助かるんだ」
フルールは困ったように眉を下げるユベールを見て、生徒会室へと視線を向ける。
全員身分が高く、人気者ばかりという生徒会の方々が、休憩の際にただの水を飲んでいるなんて……と、その姿を想像して憐れんでしまう。
「君は堂々と、友としてお見合いの話が心配だっただけと言えばいい。生徒会室には隣接した資料保管室もあるから、プライベートな話をしたければそちらの部屋を利用してもいいだろう。密室に令息令嬢が二人というのは良くないだろうから、部屋の扉を少し開けておいて生徒会室に私が居るようにすれば、疚しいことなど何もなかったと二人を守ることも出来る」
フルールは目から鱗が落ちたような心持ちだった。
無言で首を縦に振り、ユベールの言葉に頷く。
「私と話す時も生徒会室を使えばいい。学内でいつでも気兼ねなく話せた方が、君も気が楽だろう?」
「確かに……!」
フルールはハッとした表情を浮かべ、同意を示した。
昨日の話では、ダニエルとの話をユベールに聞いてもらうことになっていた。
その度に二人で街中に行けば、令嬢達からの視線は酷くなる一方だろうし、何よりユベールにも申し訳ない。
昨日のカフェだって全額払ってもらってしまった。
学内で令息令嬢達に邪魔されず話せる場所が出来る……それはとても魅力的な話だった。
ユベールは潜めていた声を戻し、少し命令するような口調でフルールに問いかけた。
「生徒会のお茶係をやってくれるな?」
「……分かりました。わたくし、お茶係を引き受けさせていただきますわ」
フルールは神妙に頷いた。
話を終えた二人は生徒会室へと入っていく。
――その様子を、二人の跡をつけていた数名の生徒達が見ていた。
『生徒会のお茶係』――それがどういうものか知る者達は一様に騒ぎ立てた。
テラスで繰り広げられた令嬢達との噂と、生徒会室前で交わされたお茶係の噂……。
各々の視点や解釈から語られる情報と憶測は予想を遥かに上回る変貌を遂げ、それらを聞きフルールが頭を抱えることになるのは、翌日のことだった。