6,悩みを打ち明けまして
「さて、そろそろ話を聞かせてもらおうか」
そうユベールに切り出され、フルールはお茶を一口含んだ。
フルールは決して人付き合いが苦手ではない。
クラスメイトの令嬢達とも決して不仲などではなく、最近流行りのお店やドレス、趣味のお話し、そういった何気なく話せる会話で楽しくお喋りして過ごしている。
しかし、胸の内を打ち明けられるほどの相手はおらず、心から親しい友達だと言える相手はダニエルとアレットだけだった。
正しくはフルール本人に自信がないのだ。
自分の悩みなどを話して、相手を困らせないか。
自分なんかがそんなことで悩んでいると知って、相手が離れていかないか。
『なんでそんな嘘を吐くんだ! お前よりも劣る俺のことを、本心では不甲斐ないと思っているんだろう!? フルールは何もしなくっていい! それは俺の役目なんだ!!』
それはかつてフルールに向けられた言葉だった。
それを今でも引き摺り、臆病で何も出来ない自分でいることをよしとした。
そのままフルールはズルズルと二人だけを頼りに生きてきてしまった。
右手はアレット、左手はダニエル。
二人に引っ張ってもらえていたから、フルールはここまで来れたのだ。
そのダニエルが新たな道へと進もうとしている。
フルールの手が届かない場所に……。
フルールは膝の上でぎゅっと手を握り締める。
長い沈黙の間、ユベールは催促することなくフルールが話し出すのを待ってくれていた。
フルールは必死で言葉を探しながら話し始める。
「わたくしはきっと、ダニエルのことが好きなのです」
「…………………………ほう?」
「や、やけに返事まで間がありませんでしたか!?」
「いや、すまない。続けてくれ」
ユベールはコホンと咳払いをした。
まさか恋愛絡みの話だとは思わなかったのだろうか。
それとも相手が自分の知っている人間だったから驚いたのだろうか。
フルールが伺うようにユベールを覗き込むと、首を傾げられた。
大丈夫だろうかと思いながらも、フルールは話を続けることにした。
「ダニエルからお見合いの話を聞かされた時、アレットは冷やかしながらも祝っていたんです。けれどわたくしは、すぐに祝うことが出来ませんでしたの。ダニエルが遠く離れていってしまう気がして……胸が苦しくて」
「そうだったのか」
「昨日アレットとテラスでお茶をしていた時、偶然後ろの席に座られたご令嬢達が話していたのを聞いたのです。 『恋をしていた令嬢は好きな方の恋の相談役をしていて、想い人の方が恋を諦められた時、晴れてご令嬢とその想い人だった方とが結ばれて婚約者になった』と。ですからわたくしも、ダニエルの恋の相談役になろうと考えたのです」
「…………………………へぇ?」
(……さっきからやけに溜めて返事をなさるのは何なのでしょう?)
訝しげに眉を寄せてユベールを見ると、顎に当てて真剣な顔をしていた。
フルールはその凛々しい表情に驚いた。
まさかこれほど親身に自分の話を聞いてくれているだなんてと胸を打たれ、お見合いの話を聞いてから溜め込んでいた心境を吐露した。
ずっとアレットとダニエル、三人共に過ごしてきたのに、離れていってしまうようで寂しいと。
本当に婚約者が出来れば、これまでのように三人で気兼ねなく過ごすことも出来なくなるのではないかと。
そして、お見合い相手の令嬢と話すダニエルが、その彼女のことを話すダニエルが、まるで自分の知らない彼のように眩しく、遠い存在のように感じてしまったと。
そんなことをフルールは必死で語った。
あまり胸の内を語ることのないフルールの言葉は要領を得ず、それでもなんとか伝わるようにと、何度も言葉を言い直してユベールへと思いの丈をぶつけた。
次第に涙目になり苦しそうに胸を押さえるフルールに、ユベールはそっと頭を撫で、静かにハンカチを差し出した。
その手の温もりと優しさに堪え切れなくなったフルールは、ぽろぽろと涙を零してしまう。
フルールは渡されたハンカチで顔を覆いながら、その隙間からユベールを伺い見ると、ユベールはフルールの泣き顔を見ないよう顔を逸らしてくれていた。
(本当に優しい人。お兄様にどんな借りがあったのかは分からないけれど、これではわたくしが恩を返さなくちゃいけないくらいだわ)
フルールはその優しさに甘え、これまで流せなかった涙を存分に流したのだった。
「大変申じ訳ございまぜん」
「いや、私は構わない。君は……大丈夫なのか?」
「お、おほほ……」
フルールは笑って誤魔化すが、泣きじゃくった目はきっと兎のように真っ赤で、瞼はパンパンに腫れているだろう。
お茶を飲み、一息吐く。
「ユベール様に話を聞いていただいて、覚悟が出来ました」
「そうか。それは……」
「わたくし、やはりダニエルの恋の相談役になろうと思うのです!!」
「…………………………ん?」
ユベールは目を細めて首を傾げている。
そんなユベールに気付くことなく、フルールは両手を胸の前でぐっと握り、決意を新たにしていた。
「アレットが言うように、ダニエルから婚約者や恋の話を聞けば悲しく辛いかもしれませんわ。ですが、もしかしたら噂のご令嬢のように、あわよくばわたくしを見てくれるようになるかもしれませんし。もしくはダニエルが心配していたような、ご令嬢のよくないところを見抜けるかもしれませんもの!」
「なる、ほど」
「ユベール様にお話しを聞いていただいて、とてもスッキリしましたわ。本当にありがとうございました」
フルールはにこりと笑って礼を言う。
そんなユベールはまた顎に手を当て、ふむと思案し始めた。
「それではメルレ嬢は、今後ダニエルとそういった話を聞きに行くと?」
「あっ、わたくしったら。どうぞわたくしのこともフルールとお呼びください」
「では、フルール嬢。これからどうするつもりなんだ?」
「仰られた通り、ダニエルにご令嬢のことや心境などを聞き続けるつもりですわ」
その迷いのない言葉にユベールは「そうか」とだけ返すとフルールを店の外までエスコートし、馬車に乗せた。
どうやら屋敷まで送ってくれるらしい。
フルールは来る前とは打って変わって、少し晴れやかな気持ちで馬車での移動を楽しんでいた。
メルレ家の屋敷に到着する手前、ユベールが「フルール嬢」と声をかけてきた。
「先程の話だが、もし仮に君がダニエルから話を聞いて辛くなった時、君はまた一人で気持ちを抱えることになるんじゃないのか?」
そう言われ、フルールはハッとした。
確かに、今日これほど心がスッキリしていて穏やかなのは、ユベールが話を聞いてくれてくれたおかげに違いない。
また苦しくなった時、心の行き場がなくなってしまったら、きっとここ数日のように暗くて鬱屈した感情を持て余すことになるのだろう。
「そこで考えたのだが、君がダニエルと話したことを、私に話すのはどうだろうか?」
「えっ?」
「恋の相談役としてダニエルから話を聞き、その気持ちの整理としてフルール嬢が私に話すんだ。言葉にすれば今日のように自分の感情と向き合い易くなるだろうし、抱え込まなくても良くなるだろう? 話を聞いてしまった手前、フルール嬢が無理をしていないか、私も心配しなくても済む」
「まぁ!!」
フルールは祈るように両手を胸の前で組み、明るい表情を浮かべた。
それを見たユベールも柔らかく微笑む。
(……本当にお優しい。この方が笑わないだなんて、真っ赤な嘘ではありませんか。こんなにも優しく微笑んでくださる方ですのに、皆様は何を見ていらっしゃるのかしら)
フルールは何処かで聞いた噂に憤慨しつつ、ユベールへと感謝を述べる。
「お気遣いくださって、ありがとうございます」
「いや、構わない。周りに聞かせる話ではないから、何処か話せる場所がないか考えておく」
「重ね重ねありがとうございます」
そうしている内にメルレ家のタウンハウスに到着し、ユベールにエスコートされてフルールが馬車を降りる。
屋敷の前には社交シーズンでこちらに来ていたメルレ伯爵家当主である父レジスや兄のジスラン、他にも沢山の使用人達が出迎えていた。
学園で家の馬車を返したため、そこから話が伝わったのだろう。
しかしユベールは迷惑になるからと、会釈だけして馬車に乗り去っていった。
馬車を見送るやいなや、レジスがフルールに詰め寄り慌てふためいた。
「フルール!? 何がどうしてカスタニエ公爵令息に送ってもらうことになったんだ!? お前はただでさえそそっかしいのに、何のご迷惑も……って、どうしたんだその目は!?」
ジスランはフルールを一瞥すると、何も言わずにその場から離れていく。
そんなフルールはというと、レジスの「何がどうして」の言葉で、これまでの経緯を思い返し――顔を真っ青にした。
その表情を見て「何をやらかしたんだ!?」とレジスが言い募るも、フルールの耳には入っていなかった。
ふらりふらりと幽霊が漂うように覚束ない足取りで自室へと戻り、力を失ったかのようにその場に頽れた。
(どうして? どうして!? わたくし、またユベール様とのお約束が出来ているではありませんか!!)
あああぁぁ……と頭を抱え唸る声はフルールの部屋の外まで漏れ聞こえていた。
その声を聞いたレジスが謝罪の手紙を書くべきなのか、伺って頭を下げるレベルなのかと頭を悩ませていたことなど、フルールは知る由もなかった。