5,胃袋を掴まれまして
フルールは放課後になり、馬車に乗っていた。
――ユベールと一緒に。
教室でユベールから問いかけられたフルールには、了承の一択しかなかった。
本心だけで言えば断りたかった。
断りたいしかなかった。
しかし、まずユベールの申し出を受けようが断ろうが、どちらにしても周りから嫌な視線が突き刺さることは必至だった。
受けると言えばやっかみの嵐、断ると言えば批難の嵐……。
逃げ出したくても周りは固唾を飲んでフルール達の話に耳を向けているし、教室の出入口も令嬢達が詰めかけているせいで出られもしない。
外野の状況はまず詰んでいる。
フルール途方に暮れながら、今度は元凶であるユベールを見上げて……腹を括ることにした。
仮に、今日勇気を振り絞ってユベールの誘いをお断りしたとしよう。
その後どうなるかと考えた時、一度こうして堂々と教室に来た以上、ユベールは何も気にせず二度三度と誘いにやって来る可能性があることにフルールは気が付いた。
それならさっさと話を受けてしまおう、と覚悟を決めることにしたのだ。
こんなにも注目されるのは、もうこりごりだった。
斯くしてフルールは、放課後公爵家の馬車に乗せられていた。
ユベールは放課後もわざわざ迎えに来て、馬車乗り場までしっかり連行……もといエスコートをしてくれた。
いつも乗っている伯爵家の馬車とて質は悪くない。
しかし公爵家の馬車ともなれば外装も内装も美しく、ソファの座り心地も生地の柔らかさも一級品だった。
人気の公爵令息に案内され、立派で素敵な馬車でお出かけ……これが他の令嬢達なら胸をときめかせ歓喜するのだろうが、フルールは恐れ多さや汚してしまわないかという怯えから縮こまって座っていた。
どう見ても借りてきた猫のような有様である。
「どうかしたか?」
「ひゃい! な、なんでもありませんわ……」
ユベールからは優しく声をかけられたが、挙動不審のフルールは素っ頓狂な声で返事をしてしまう。
顔を真っ赤にして俯き、さっきよりも小さくなってしまったフルールを見て、ユベールはくすりと笑った。
「メルレ家に手紙を送り君を誘うことも考えたのだが、そうすると時間もかかってしまうと思ってな。悩みは早めに解消出来た方がいいだろう?」
「え、えぇ。そう、ですわね」
フルールはユベールの言葉に同意を示す。
しかしその心情は言葉とは裏腹に、少し違っていた。
(そういえばわたくし、ダニエルのことで悩んでいたんですわよね? けれど今は、カスタニエ様によって周囲から注目される現状の方が、余程深刻な悩みなのですが……)
そうして馬車が走ること数分、ユベールにエスコートされて入ったお店は、令嬢達の中でも評判のカフェだった。
フルールに了承を得てからすぐ予約を取ってくれたらしく、ユベールが店員に名前を告げると、二人は真っ直ぐ個室へと案内された。
白を基調とした個室には可愛らしい調度品や小物が置かれ、窓際には一輪挿しのピンクのチューリップが飾られている。
そのお洒落な空間に、フルールの表情はパッと明るくなる。
ユベールは丁寧にソファまでエスコートしてくれ、フルールは柔らかなソファに身を沈めた。
「ここなら誰にも邪魔されず、君の話が聞けるだろう。先に飲み物と軽食を……確かこの店は苺タルトとアップルパイが人気だったはずだ」
「まぁ! 苺タルトとアップルパイですか?」
フルールはその言葉に目を輝かせ、メニュー表を開けた。
そこには沢山のケーキやデザートが載せられていて、フルーツが使われているものも数多く書かれている。
色々なものに目移りするも、最初にユベールが勧めてくれた苺タルトとアップルパイは、メニュー表で当店イチオシと書かれていて、やはりその二つの内どちらかにしようと決めた。
左のページには苺タルトが、右のページにはアップルパイが載っていて、フルールは左右交互に視線を行き来させながら、どうしようと睨めっこをしていた。
そんなフルールに、ユベールが声をかける。
「どれにするか悩んでいるのか?」
「えぇと……勧めていただいた苺タルトとアップルパイなのですが、どちらにしようか決めきれなくて」
夕食のことを考えると、流石に二つ食べて帰るのは難しい。
むむむ……と悩むフルールを見て、ユベールはチリンと呼び鈴を鳴らした。
まだ決められていないのに!と焦った目でフルールが見上げるも、ユベールは「大丈夫だ」と言う。
そうこうしている内に店員がやって来て「ご注文をお伺いします」と言い、フルールは慌てた。
しかしユベールは店員を近くに呼び寄せると、何やら耳打ちし始め、話が終わったのか店員は一礼して退室していった。
「あ、あれ……?」
「何も心配要らない。すぐ用意してくれるはずだ」
そう言われては、これ以上「何が?」とは聞けない。
フルールは疑問符を浮かべながら、そわそわと視線を彷徨わせていた。
何を話していいか分からず、息の詰まるような時間を過ごしていると、ノックの音が響き店員が入ってきた。
カラカラとワゴンに乗せられて、とても良い香りの紅茶が運ばれてくる。
店員が丁寧にお茶をセッティングした後、フルールの前に一つのプレートを置いた。
そこにはカットされた苺タルトとアップルパイがお洒落に乗せられていて、可愛らしく生クリームや木苺のジャムまで飾り付けられている。
えっ!?と驚いて顔を上げたフルールに店員はにこりと微笑み、ユベールの方にもプレートを置いた。
そこにはフルールと全く同じものが乗っていた。
「こ、こちらは……?それに、どうしてカスタニエ様も同じものを……」
「ずっと家名だと呼びにくいだろう。私のことはユベールでいい。君はどちらか一つにしなければと悩んでいるようだったから、店員に頼んで一人分を半分ずつに分けてもらったんだ」
「まぁ、そんなことが出来たのですか……!?」
フルールはその発想に驚き、そして何よりユベールの気遣いに感動した。
ユベールに「さぁ」と勧められ、フルールはまず苺タルトを頬張った。
果汁が弾けるほど新鮮で甘酸っぱい苺と、滑らかで濃厚なカスタードクリームが絡まって、フルールは頬に手を添えてうっとりした。
次にアップルパイを食べると、シャキシャキとした林檎とサクサクとしたパイの食感が口を楽しませ、砂糖でコーティングされた林檎とコクのあるバターの香りと甘さに、今度は瞳を潤ませる。
「美味しいか?」
「……えぇ、とても」
「そういえばこの店のフルーツも、メルレ領で採れたものらしいな」
そう言いながらユベールもアップルパイに手を付けた。
丁寧な所作で切り分け口に含み、味わうようにしっかりと咀嚼している。
「――うん、美味いな」
「えぇ、本当に」
その言葉にフルールは心から微笑んだ。
決してメルレ領のフルーツだけが素晴らしいのではない。
他の材料である卵やバターといった色々な食材と、この店のパティシエの技量があって、このケーキが完成しているのだ。
けれど、この一つ一つに我が領地の努力の結晶が詰まっていると思うと、フルールは誇らしくて胸がいっぱいになった。
ケーキを食べながら、ふとフルールはユベールを盗み見た。
ユベールはここで使われているフルーツが、メルレ領のものだと知っていたようだった。
(わたくしが昨日、領地のフルーツが自慢だと言ったから? だから、苺タルトやアップルパイを勧めてくださったのでは……?)
「カ……いえ、ユベール様はその……宜しかったのですか?」
「ん?何がだ?」
「その、わたくしの食べたいものを選んでいただいてしまって。ユベール様も召し上がられたいものがあったのでは」
「私もここの苺タルトとアップルパイは好物だから、気にしなくていい。これでメルレ嬢の心が少しでも晴れてくれればいいんだがな」
ユベールの優しい言葉に、フルールは「けほっ」と噎せた。
慌てて水を飲み、冷や汗をかきながら「大変失礼致しました」と謝罪する。
フルールはケーキに夢中で、ここに至るまでの経緯がどうだったかをすっかり忘れてしまっていた。
完全に胃袋を掴まれ、和やかな空気になってしまっていたと、ユベールの言葉で気付かされたのだ。
(な、なんて策士なのでしょう……! ケーキでわたくしの警戒を解こうとするだなんて!!)
やはりダニエルよりユベール様の方が余程困者ではありませんか!と胸の内で泣き言を零しながらも、フルールはケーキを見事に完食していた。