30,三人の出会いを思い返しまして
レジスがその状況に気付いたのは、ジスランが十歳になる目前、フルールが七歳の冬のことだった。
親しい間柄の人間としか接せなくなってしまったフルールを、どうにかして元に戻してやりたいとレジスは願った。
これから関係値を築いていかねばならない同世代と接する機会を作るべきだが、相手が令息だとジスランを思い出させてしまってまだ辛いかもしれない。
それなら同じ年頃の令嬢ならと考えたレジスは、隣の領地で縁があったシャリエ侯爵に頼み込んだ。
シャリエ侯爵にも息子や娘が居たため、子供心がそのように傷付いてしまったことを哀れんでくれた。
フルールを救ってやれるならと了承してくれたシャリエ侯爵によって、アレットと会う機会が設けられたのだ。
幼いフルールはマリーと慣れた侍女を連れ、この真っ白な屋敷を訪れたが、挨拶してくれたアレットに挨拶も笑顔も返すことが出来ず、それどころか体を震わせて佇むだけ。
そんな貴族令嬢として欠陥だらけになってしまったフルールに、アレットは
「この家の庭は美しいでしょう? ガゼボに美味しいお茶を用意しましたのよ」
と普通に接してくれた。
侯爵からフルールの大まかな事情を聞いていたアレットは、フルールを怖がらせてはいけないと距離感に気を付けながら、何も話せないフルールにゆっくりと声をかけ続けてくれたのだ。
やっと温かくなってきた春の季節、冬を越えて色付き始めた花々をアレットは紹介していく。
「貴女の髪もお花みたいね。ピンク色でフワフワしていて、とても綺麗だわ。もう少ししたらカーネーションや薔薇も咲くから、きっと貴女の髪と同じ色の花がいっぱい咲くわよ。楽しみね」
そう言いながらアレットは優しく笑う。
フルールは頷くか首を横に振るくらいしか返事が出来ないのに、アレットの声はずっと温かかった。
それがフルールの胸に届いたのか、レジスは侍女を通してまたアレットに会いたいかと聞かせると、フルールは静かに頷いたのだ。
それからフルールは度々アレットの所へと通うようになり、声が出せないながらも少しずつ筆談で思いを伝えるような努力を始めた。
そうして三ヶ月が経ち、梅雨が目前に迫る頃、その日は仕事の打ち合わせのためにベクレル侯爵が屋敷にやって来ていた。
そして付き添いで連れて来られたダニエルが、二人の居るガゼボにひょこりと顔を覗かせた。
シャリエ侯爵がベクレル侯爵の息子も協力させようと呼び付けていたのだ。
「ダニエル? 貴方、どうしてこんな所に?」
「知らないよ。父様がここに行きなさいって言うから来たんだ」
「フルール、ごめんなさいね。こちらは……フルール?」
フルールは突然現れたダニエルに驚き、顔を真っ青にして呼吸が上手く出来なくなってしまっていた。
快活なジスランとは全く違う、柔らかな雰囲気の優しげな少年。
しかしフルールはまた拒絶されるのではという恐怖に心が支配され、カチカチと歯を鳴らすほど震えていた。
「フルール!? どうしたの!?」
フルールの様子に驚いて、アレットは大きな声を上げる。
しかしダニエルはそんなアレットの手を引いた。
「ダメだよ、アレット。大きな声を出したら余計にびっくりさせちゃうよ」
「あ……。わ、わたくしどうすれば……っ」
「この子の侍女を呼んできて。早く落ち着かせてあげた方がいい」
「でもこの子を一人には出来ないわ! あぁ……この子、やっぱり男の子もダメだったのね」
フルールとアレットのお茶会は、フルールを刺激しないよう極力大人との接触を絶っていた。
事前にセッティングされたお茶や茶菓子を摘み、お茶が冷めたりなくなれば、アレットが呼び鈴を鳴らして近くまで運ばせ、それをアレットがわざわざ取りに行っていたのだ。
呼び鈴が聞こえるくらいの距離には使用人が控えているはずだが、こんな状態のフルールとダニエルを残すわけにはいかないとアレットは頭を振る。
そんなアレットの両肩をダニエルが掴む。
「……何とか悪化させないように僕が頑張るよ。僕はこの子の侍女を知らないし、この屋敷の侍女に指示が出せるのはアレットだけだよ。この子の侍女を連れてくるにしろ、君の侍女に頼むにしろ、アレットが行ってくれないと……! 早く!」
「――っ!!」
ダニエルの言葉に、アレットは歯を食いしばって走り出した。
まだ幼く、貴族のお姫様として扱われてきたアレットが走っても、広い庭では中々進んでいるように感じられない。
それでもアレットは必死で駆けた。
どうかあの子を助けてと、そう願いながら。
ダニエルはアレットの背中を見送ると、フルールの視界から一度消え、静かに後ろに回り込んでその視界を手で塞いだ。
フルールの体はビクリと跳ね上がり、バクバクと心臓が脈打つ。
「ねぇ、大丈夫?」
しかし近くから聞こえてきたのは可愛らしい少女のような声だった。
その声に驚き、女の子?という方に意識を取られたフルールは、頭から少年の姿が消え、姿形の分からない空想の少女を思い描いた。
背中を摩ってくれる優しい手に、ヒューヒューと乱れていた呼吸も少しずつ治まっていく。
「そうそう、上手だよ。息を大きく吸って、大きく吐いて。大丈夫、大丈夫だよ」
その声に従ってフルールは呼吸を整える。
暫くして、マリーが「お嬢様!」と走ってきた。
その後ろをぜぇぜぇと息を切らしながら、アレットが侍女と共によろよろと追っている。
ダニエルは口元に指を当て「しっ」と言う。
「随分落ち着いたけれど、後はお願いしていい?」
少年の見た目からあまりにも高く可愛らしい声がして、マリーは目を丸くした。
フルールの目を塞ぎ、自分が男ではないと思わせるため、ダニエルはこんな方法を取ってくれたのだ。
年頃の少年にとってはさぞ恥ずかしく屈辱的なことだろうに。
マリーは「お嬢様のために、ありがとうございます」と言って、ダニエルに深々と頭を下げる。
フルールから手を離したダニエルは、すぐにガゼボの柱に身を隠した。
「……ごめんなさい、ダニエル」
「いいよ。まさかこの声が活かせるなんて思わなかったな」
そう言ってダニエルは肩を竦めた。
ダニエルは優しい見た目な上に、男児らしからぬ可愛い声をしていた。
そのせいで同世代の令息にからかわれたこともあり、それ以来ダニエルは意識して少し低い声を出すよう心がけていたのだ。
フルールを気遣うばかりで、ダニエルの心の傷を抉ってしまったのではと、アレットは心苦しそうに顔を伏せる。
すると、くいっとダニエルの上着の裾が引かれた。
ダニエルが驚いて振り返ると、顔色を悪くしたままのフルールが手を震わせながらダニエルの服を掴んでいたのだ。
「ふ、フルール!? 貴女、何をしているの!?」
驚いたアレットはフルールをダニエルから離れさせるため、フルールの体を抱いて引き離そうとする。
しかしぶんぶんと首を振って、フルールはダニエルの服を離さない。
次第にポロポロと大粒の涙を流し始めたフルールに、マリーは筆談用の紙が必要かと差し出すと、フルールは紙とペンを掴んで何かを書き始めた。
そして書き終えたそれを二人に向ける。
『アレット、いつもありがとう。あなたも、助けてくれてありがとう』
そう書かれていたのだ。
フルールは見たものを瞬時に覚えてしまう。
いくら女の子の声を出していても、手が離され、振り返った時に見えた服の裾や靴が、あの時現れた少年と同じものだった。
声の主はあの男の子だったのだと、フルールはすぐに気付いたのだ。
自分が突然苦しみ出して彼も驚いただろうに、あんな風に優しく声をかけてくれた。
そんな人を怖がって傷付けるなんて、そんなのは嫌だと……フルールは恐怖心に震えながらもダニエルに手を伸ばしたのだ。
「……僕のこと、怖いんでしょう?」
ダニエルは普通の声を出した。
わざと低くすることも、女の子のように高くすることもない、ありのままの声を。
その声を聞いたフルールは潤んだままの目をまん丸にした後、自ら手を伸ばしてアレットの手を掴んだ。
そして反対の手をダニエルの手へと伸ばす。
「――っ」
「!? フルール、貴女、今っ!!」
「え? なに?」
事情を知らないダニエルは目を瞬くしかなかったが、フルールはその時少しだけ微笑んだのだ。
ぎこちなくも口角の端を上げ、二人に笑いかけるように――。
その後は色々と大変だったそうだ。
フルールにはそれが精一杯だったらしく結局倒れてしまい、侍女達と早々に帰っていった。
事情を知っているアレットは号泣して泣き止まず、ダニエルはアレットが落ち着くまで宥め続け、しかし泣きすぎたせいでアレットまで熱を出し、何も分からないダニエルはそのまま一人放置されたらしい。
仕事の打ち合わせを終えてベクレル侯爵が戻ってくると、一人の令嬢を倒れさせ、もう一人の令嬢を宥めることも出来なかったと、ダニエルは肩を落として凹んでいたという。
シャリエ侯爵の言う通りに行動させた結果、息子がこんな風になるとは思わず、どういうことだとベクレル侯爵はシャリエ侯爵に説明を求めた。
ベクレル侯爵とダニエルはそこで漸くフルールの事情を聞いたのだ。
ベクレル侯爵はシャリエ侯爵の時期尚早な行動のせいでフルールが倒れることになり、アレットまで発熱し、ダニエルは自分の無力さを嘆いて凹んでしまったと怒った。
更にメルレ伯爵に断りも入れず勝手なことをして、娘の状況が知れ渡っては責任が取れんだろうと叱責し、フルールのことはアレットとダニエルだけで留めるようにと、シャリエ侯爵に懇々と言い聞かせたそうだ。
ダニエルは事情が分かり、フルールが何故あんな状態になってしまったのか、そして滅多に泣かないアレットがあんなにも号泣した理由が何だったのかが分かり、少し気持ちが落ち着いたという。
それからずっと、この三人で過ごしてきた。
フルールの表情が戻った時も、声が出せるようになった時も、三人で喜び祝った。
フルールの口から過去を聞き、その想いに胸を痛めた時も、ずっと……。




