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3,公爵令息に見送られまして


「ダニエル、ここに居たのか」


 ダニエルに声をかけてきたのはユベール・カスタニエ公爵令息だった。

 これほど間近にユベールを見たのが初めてだったフルールは、先程のダニエルの言葉を思い返していた。


 ユベールはダニエルが言っていた男らしさというものに、ぴたりと当て(はま)る容姿や体型をしている。

 スラリと長い手足に程よくついた筋肉、引き締まった体。

 しかし顔立ちにむさ苦しさはなく、切れ長な目は涼やかで、その中で煌めく深い森のような瞳はとても美しい。

 重厚感のある低く淡々とした声は、彼が一つ歳上なだけとは思えない貫禄を感じさせる。


 そんなユベールは公爵家の嫡男であり、時期公爵家当主となる。

 学園中の令嬢達に「どの令息に見初められたい?」とアンケートを取れば、間違いなくユベールは一二(いちに)を争うだろう。


 ダニエルが勢いよく立ち上がり、ぼんやりとそんなことを考えていたフルールも吊られるように慌てて立ち上がった。


「ユベール様、どうかされましたか?」

「お前がよく世話していた馬の蹄鉄が取れたそうだ。新しいものを着けなければならないし、何より蹄鉄を欲しがるかと思って呼びに来たんだ」

「えっ、そうなんですか!? わざわざありがとうございます。フルール、僕行ってきてもいいかい? あ、君は来ちゃダメだからね?」


 ダニエルは先程とは違った意味で目を輝かせて、フルールに聞いてきた。

 しかも、付いてくるなとご丁寧に言われてしまっては、見送ることしか出来ないだろう。

 フルールが「いってらっしゃい」と言うと、ダニエルは二人を残して駆け出して行ってしまった。

 そんな背中を見送ると、ここに居ても仕方がないとフルールはベンチに置いていたバッグを持ち上げる。

 すると、スッと目の前に手が差し出された。


「……え?」

「私はユベール・カスタニエだ。ダニエルとの話を中断させてしまっただろう?お詫びに君の見送りは私が務めよう」


 フルールはユベールの言葉を脳内で処理するのに数秒かかり、間を置いてから「えっ!」と驚いた声を上げた。

 わたわたと手を振って遠慮を示す。


「そ、そんなっ! カスタニエ様にそのような……元々ダニエルともここで分かれて一人で帰るつもりでしたので」

「君はダニエルと親しいのか?」

「彼とアレット……いえ、えぇと、シャリエ侯爵令嬢とは幼馴染ですの。幼い頃からよく三人で過ごしていたのですわ」


 フルールはエスコートを断ったはずだが、ユベールは質問しながら歩き出した。

 会話が続いていたせいか、フルールは気にすることなく返事を返しながら釣られて共に歩き始める。


「そうなのか。ところで君は……」

「た、大変失礼致しました! わたくし、メルレ伯爵家が長女、フルール・メルレと申します」

「あぁ、メルレ伯爵家のご令嬢だったか。メルレ領で作られる果実は実に見事だな。いつも美味しくいただいているよ」


 その言葉にフルールは顔を綻ばせた。

 メルレ領の主な特産品はフルーツ。

 フルーツそのものは勿論、それを活かしたジュースやお酒、加工した食品やお菓子などを卸し、収益を得ている。

 フルールはメルレ領のフルーツをこの国一だと思っているし、父や兄、領民達の努力の賜物だと心から彼らを尊敬している。


「カスタニエ様が褒めて下さったと知れば、父や兄、領民達も喜びますわ」

「そういえば、君はジスラン先輩の妹君ということか。彼も去年まで乗馬クラブに居たから、よく話をさせてもらったよ」

「まぁ、そうでしたの。確かに兄は乗馬クラブに所属していると言っておりましたが、まさかカスタニエ様と交流があったなんて初耳ですわ」


 兄であるジスランの名前を出され、フルールは眉を下げながら答える。

 ジスランとフルールはあまり仲が良くない。

 家でも滅多に会話をすることがないため、彼の交友関係をフルールが知らなくても当然だった。


「領地の視察でよく馬に乗るからと、クラブでも率先して馬の世話をしていて、とても馬に好かれていたよ。馬に髪を甘噛みされて困っていた姿を度々見かけたな」

「まぁ、ふふふ。そうなんですのね」


 フルールはユベールの話にくすくすと楽しげに笑う。

 フルール自身はジスランのことが決して嫌いではないため、兄のちょっぴり残念な姿を想像して顔を綻ばせた。


(ようや)く笑ったな」

「えっ?」

「いや。ダニエルと何の話をしていたのかは分からないが、メルレ嬢の表情が少し暗いように見えたのでな」


 ユベールの言葉にフルールは顔を上げた。

 少し心配そうな目が見下ろしていて、フルールの心が温かくなる。


「ありがとうございます。わたくしは大丈夫ですわ」


 そう言って微笑みを向けるも、ユベールは首を横に振った。


「メルレ嬢はそう言って我慢をする質だろう。大丈夫そうな顔色ではないぞ」


 ユベールの言葉に、フルールは自分の頬に手を当てた。

 今の自分は初対面のユベールに心配されるほどの表情をしているのだろうか。

 もしそうなのであれば、いつかダニエルにも己の態度がおかしいと気付かれてしまうかもしれない。

 そう思い、フルールは胸のあたりできゅっと手を握り締めた。


「……わたくしは、どうすれば……」


 無意識にそう呟いてしまい、口を押さえた。

 しかし今更口を押さえたところで、言ってしまった言葉はユベールの耳に届いてしまったらしく、首を傾げ問いかけられた。


「何か悩み事か?」

「……えぇと…………。そう、ですわね」


 誤魔化せば良いものを、嘘が下手なフルールはそのまま白状した。

 ユベールは「ふむ」と顎に手を添え考えるような素振りをする。


「ダニエルや、先程言っていたシャリエ侯爵令嬢には相談出来ないのか?」

「アレットはわたくしの悩みそのものは知ってくれておりますわ。けれど、ダニエルもアレットも昔から長く一緒に居るからこそ、打ち明けられなかったり気まずくさせるような話はしたくなくて……。仲が良いからこそ、全てが話せるわけではないのですわ」


 フルールが困ったように笑うと、ユベールは「そうか」とだけ言って暫く黙っていた。

 フルールはここでやっと、エスコートはされていないものの、ユベールに見送ってもらっていることに気が付いた。

 既に結構な距離を一緒に歩いており、慌ててここまででいいと言おうとした時、


「それなら、私がメルレ嬢の悩みを聞こうか」


と、予想だにしない発言をされ、フルールは再び固まった。

 数多の令嬢から熱い視線を送られ、黄色い声援を受けるユベールが、どうしてフルールの悩み事を聞いてくれるようなことになるのか。

 疑問が表情にありありと現れていたフルールを見てか、ユベールは聞かれる前にそれを話し出した。


「私は君と初対面ではあるが、ジスラン先輩に借りがあってな」

「借り、ですか?」

「そうだ。彼の在学中にそれが返せなかったんだ。メルレ嬢の悩み事は仲の良い二人にはどうも話し辛いようだから、接点の少ない私なら遠慮なく話せるだろう? ジスラン先輩への借りを君に返させてくれないか?」


 そう言いながらユベールが少し微笑み、フルールは雷でも降ってきたかのような衝撃を受けた。


 ユベールは基本的に誰に対しても淡々と会話をし、笑うことはほとんどないと言われている。

 男女問わずクールな態度がいいと令嬢達から専らの評判だと聞いていたのだが。


(この方、微笑だけで何人もの令嬢の心を射抜けるのでは……? し、しっかりするのよフルール! 笑うことがないなんて噂は、きっと周りの皆さんが誇張して話していただけなのね。カスタニエ公爵令息は皆平等に接していらっしゃるのだから、この微笑みがわたくしにだけに向けられているだなんて、あるはずないではありませんか。――大丈夫ですわ、ご令嬢方。わたくしはそんな的外れな自惚れなんて抱きませんわ)


 フルールは驚きながらもユベールの微笑みに心奪われることなく、ただ優しい人として受け取った。

 世話になった先輩の妹だから心配して下さっているのだと、そう理解し納得するように頷いた。


「そうか。では今度改めて話が出来る場を設けよう」

「……えっ?」


 フルールが自己暗示と自己解釈で頷いた姿を見て、どうやらユベールは『ジスランへの借りをフルールで返していいか?』という質問に対して頷かれたのだと受け取ってしまったらしい。


「えっ!?あの……っ!」

「今度は美味しいお茶が飲めて、ゆっくり話が出来る場所にでも案内しよう」

「へっ!?」

「では、そろそろ馬車乗り場だろう。気を付けて帰ってくれ」

「えっ……あっ…………」


 ユベールはそう言って、来た道を颯爽と戻っていってしまった。


「ど、どうしてこんなことにぃ……?」


 情けない声を漏らしながら、フルールはただ呆然とその場で立ち尽くす。

 中途半端に伸ばされたフルールの手は行き場を失くし、虚しくと宙を彷徨(さまよ)っていた。




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