29,フルコースを堪能しまして
「フルール、聞いてもいいかしら?」
「なぁに……」
「貴女、人と約束しておいて何なの? お兄様との問題が解決したって書いていたのに、どうしてそんな窶れた顔をしているのよ」
「ううぅっ」
アレットとの約束の日、馬車から降りてきたフルールの顔を見たアレットは途端に顔を顰めた。
フルールはここに向かう途中、馬車で死んだように仮眠をしていたのだが、短時間ではこの数日の不摂生で酷くなった顔色は治らなかったらしい。
しょぼしょぼとした瞼と、目の下のクマは睡眠不足を隠し切れておらず、お茶ばかり飲んでいたせいか、顔だけではなく全体的に浮腫んでいる。
レジスとジスランの言葉から新たな方法を思い付いたフルールは、アレットとの約束である今日までの五日間、ずっと研究に没頭していた。
そのせいで睡眠不足と水分の過剰摂取、水分がお腹を占めてしまったせいで食事があまり食べられず、不摂生を極めていた。
レジスとジスランからも止められたが、やる気に満ち満ちているフルールが止まるはずもなく。
結局アレットの家に来るまでずっと、お茶とフルーツに向き合い続けていたのだ。
「……あ、アレットぉ……」
「…………はぁ。貴女のことだから、どうせまた何かに没頭して周りが見えなくなったのでしょう? 仕方ないわね。今日は我が家のフルコースを堪能させてあげる。おもてなしの心はどの家、どの領地にも負けなくってよ。最高級の食材を使った舌の蕩ける料理の数々、最高品質の贅沢リラクゼーション、質のいい睡眠を約束するわ」
「あ、アレット……っ!!」
フルールは抱き着こうとして、アレットに頭をぺしりと叩かれる。
(なんだか似たようなことがあったような気がするわ。いつだったかしら……?)
そんなことを考えながらフルールは頭を摩る。
シャリエ侯爵家に仕える使用人達は、気の強いアレットがここまで心を許すフルールを全員で歓迎した。
シャリエ侯爵領は観光地として領民達の意識が高く、美しい街並みが維持されている。
街には多くのホテルや宿泊施設、娯楽施設などが並んでいて、どれも素敵な建物ばかり。
その領主である侯爵家のカントリーハウスは、そんな街の建物の中でも一際美しい。
クラシカルで優美な白亜の館で、大勢の来賓も迎えられるよう非常に大きな豪邸なのだ。
庭も広大で、等間隔に整えられたトピアリーや季節の花々が咲き誇り、中央には噴水も設置されている。
屋敷の白さも相まって、庭とのコントラストが際立ち、見るだけでうっとりしてしまう景色だ。
そんなシャリエ侯爵家のフルコースなど、至れり尽くせりでお姫様のような時間だろう。
フルールはわくわくしながらアレットの後に続いた。
「痛い、痛い! 痛いですわ〜〜っ!!」
「わたくしは気持ちがいい程度でしてよ。 貴女がそれだけ老廃物を溜めた証拠でしょう。我慢なさい」
「いだだっ! や、やめ……ちょっとストッ……ひいいぃぃっ!! ちょ、ちょっと!? 痛すぎませんかっ!?」
「フルール様、わたくし達は撫でているだけですよ? アレットお嬢様はしっかり揉みほぐしているはずですけれど……」
「こ、これで撫でているだけ!? アレットはもっと強くやっているの? あんなにも涼しい顔をしているのにっ!?」
フルールはあまり食欲がないと言うので、アレットはまずリラクゼーションを堪能してもらおうとサロン室へと連れてきた。
アレットから「徹底的にスッキリさせてやって」と指示された侍女達は、長年磨きをかけてきた腕前でフルールの凝りや老廃物を取り除いていく。
しかし筋肉量も少ない上に柔軟性がなく、そのせいで体が冷えやすいフルールはどうしても痛みを感じやすいようだ。
侍女達はヒートマットとホットストーンを取り出し、フルールの寝転ぶベッド下にマットを敷き、冷えた部位にストーンを乗せ、更に上からタオルをかけて温めることにした。
その間、真ん中に穴の空いた枕を渡されたフルールは、うつ伏せのままヘッドスパを体験する。
頭や首周りまでカチコチだったフルールは、優しく頭皮を揉み解され
「は、はわぁ〜〜」
と力の抜けた気持ちよさそうな声を漏らした。
そうして暫くマッサージを受けていると、うんともすんとも反応しなくなった。
アレットは顔を持ち上げ、横で突っ伏したまま動かなくなったフルールを見つめる。
「……もしかして寝たのかしら?」
「そのようですね」
疲れていたのもあるだろうし、マッサージが気持ちよかったのもあるだろう。
フルールはどうやらヘッドスパを受けたまま寝落ちてしまったらしい。
体に力が抜けている間にと、侍女達は温めたことで解れた体を優しく揉んでいく。
先程よりも痛みを感じないからか、フルールはすやすやと眠ったまま。
一時間の施術が終わり起こされたフルールは「……はれ?」と呂律も回っておらず、天国にでも居るような表情で目を覚ました。
「終わりましたわよ。さぁ、体はどうかしら?」
「……な、なぁにこれ!? 体がとっても軽いわ! 肩も首も凄くスッキリしてる……」
フルールはくるくると肩を回し、感激していた。
アレットはそんなフルールに半目を向けて嗜める。
「……貴女、まだ十六歳の貴族令嬢だというのに、仕事盛りの侍女のような発言は止めなさい」
「だ、だって……! 本当に感動しているのだもの! 皆様ありがとう」
「いえいえ、お顔がとてもスッキリなさいましたね」
「こちらのお水をどうぞ。汗をかかれて水分が失われていますから。冷たい水は体を冷やしてしまうので、ぬるま湯ですが全て飲み切って下さいね」
何処までも丁寧な対応に感動していると、フルールのお腹がきゅるる……と寂しげに鳴いた。
全員から視線を向けられ、フルールは顔を真っ赤にする。
「くっ……あはは! きちんと胃や腸も働き出したようね。汗を流したら食事にしましょう」
アレットのこんな破顔は珍しい。
フルールは恥ずかしい思いをしたが、アレットのこんな笑顔を見られて心が温かくなる。
「アレット、いつもありがとう」
「な、何よ突然。ほら、早く行くわよ」
アレットはプイッと顔を逸らし、ずんずんと先に進んでいく。
そんな照れ屋で優しい友達の背中をフルールは追うのだった。
少し遅くなった昼食は、ランチというよりもおやつ時のような時間になっていた。
最近きちんとした食事を取れていなかったというフルールのために、玉ねぎのスープやカプレーゼ、鮭のクリーム煮、きのこのリゾットが並べられていく。
どれも少量ずつで、胃に優しいものばかり。
アレットも同じものが出されているが、量はフルールよりも多そうで、具沢山になっているらしい。
優しい味わいで、じんわりと体に栄養が染み渡っていく。
そうして食事を食べ終わり、アレットとお茶を飲んでいると
「それで? カスタニエ様とのお買い物や、貴女のお兄様とはどうなりましたの?」
と問いかけられ、フルールはユベールとのお出かけや、帰省してからのカントリーハウスでの生活を話すことになった。
アレットは、ユベールとの一日を聞いている間は生暖かい表情を浮かべ、ジスランに逃げられ追いかける日々を伝えてみれば笑いを堪えるように体を震わせ、そしてルイーズの肖像画の前でお互いの誤解が解け、ジスランから嫌われていたわけではなかった、きちんと家族から愛されていたと言うと、その瞳を潤ませていた。
アレットに伝えるため言葉に出すと、一学期もそうだったが、夏休みに入ってからのひと月の間も怒涛のような日々だった気がする。
「漸く貴女の想いが伝わったのね」
「……えぇ」
フルールも釣られてその目尻に涙を光らせると、徐に立ち上がったアレットが近付いてきて、ぎゅっとフルールを抱き締めた。
「……アレット?」
「本当によかった。やっと貴女の気持ちが伝えられたのね。やっと……あの頃の貴女が救われたのね」
そのアレットの言葉にぶわりと涙腺が緩み、溢れ出した。
他の誰でもないアレットの言葉だからこそ、その想いの深さに温かい涙が頬を伝っていく。
思い出すのは色を失ったような日々に、温かさと優しさを届けてくれた二つの小さな姿。
レジスから距離を置かれ、ジスランに突き放されてから、フルールは何もしてはいけないのだと言い聞かせて生きるようになり、人間らしい表情も言葉も失ってしまった。
そんなフルールに寄り添ってくれたのは、他でもないアレットとダニエルだった。
二人の手を握り締めたあの日から――ずっと三人で過ごしてきたのだ。




