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26/33

26,十年の時が経ちまして


 雨音だけが響く部屋で、二人は静かにソファに腰かけていた。

 それぞれ過去を思い返す時間を過ごした後、フルールは勇気を出して口を開く。


「お兄様、わたくしは」

「これまですまなかった」


 二人の言葉は重なった。

 フルールは目を丸くし、隣で頭を下げるジスランを見る。


「えっ!? ど、どうしてお兄様が」

「俺はお前を傷付けておきながら、ずっと謝罪もせずに逃げ続けてきた。また拒絶で熱を出さないか、苦しめてしまわないか怖くて……」

「あ……」


 ジスランの言葉通り、フルールがレジスやジスランに拒否反応を示さなくなるまで、それなりの年月を要した。

 これまでを補うため、急に距離を詰めようとしたレジスの目の前で、フルールは過呼吸を起こし倒れたこともある。

 フルールは慣れた相手でなければまともに接せない状態にまで陥っていたのだ。


「そんな……! わたくしが先にお兄様を傷付けたのですわ! わたくしは決してお兄様の努力を疑っていませんでした。けれど、わたくしの顔や態度が……そのように見えてしまったのでしょう……?」

「違う! お前は、俺や父上のために学んでくれていただけなんだろう? 俺が父上の力になりたいと思ったように。なのに、俺は……っ」


 ジスランは顔を覆い俯く。

 そしてぐしゃりと前頭を掴んだ姿のまま、当時の幼い嫉妬心を叫んだ。


「優秀なお前に抜かされるのが怖かった! 嫡男のくせに二つも違う妹に負けるなんて、そんなみっともない兄になりたくなかった! 母上が死んでしまって、俺が父上のこともお前のことも守らなければいけないと思っていたのに。なのに俺は、全然駄目で……っ」


 それは初めて聞くジスランの本音だった。

 そんな風に考えていたなんてと、フルールはきゅっと口を噤み、静かにジスランの心の吐露に耳を傾ける。

 顔を上げたその瞳は暗く、彼もどれだけ辛かったのかを表していた。

 

「お前が俺を頑張っていると言った言葉が嘘なんて、本当は思っていなかった。でもお前にすぐ追い付かれてしまって、悔しくて情けなくて……八つ当たりしてしまったんだ。まさかそのせいでお前が笑えなくなって、話せなくなるなんて思いもしなかった。お前を傷付けて突き放した俺が、一番みっともなかった……。自分がどれだけ愚かなことをしたのか、後になって痛感したんだ」

「お兄様……」

「悔やんでも悔やんでも、お前が人形のようになってしまったあの頃が、頭からずっと離れなかった。俺が近付けばまた傷付けるんじゃないかって、怖かったんだ」


 ジスランは唇を噛み締め、膝の上で両手を握り締める。

 フルールは目に涙を溜めながら、ソファから立ち上がってジスランの側に跪くと、その手をやんわりと解いた。


「……こんなに握り締めては、爪が肌に食い込んでしまうではありませんか」


 その受け売りの言葉を優しく労わるように言い、跡がついた手のひらをそっと撫でる。

 

「フルール……っ」


 ジスランは前のめりになり、フルールをきつく抱き締めた。


「ごめん……ごめんな……っ! お前は何も悪くなかったのに。ただ俺や父上のために頑張ろうとしてくれていただけだったのにっ」

「お、にい……っ」

 

 フルールの言葉は掠れて続かなかった。

 あの頃を思い出すと、どうしても様々な感情が混ざってしまう。

 レジスやジスランのために、尊敬していたルイーズの娘として恥じない子供になるために……そう思って過ごした一年。

 教師から褒められ、フルールは自分にもこんな特技があったのだと、晴がましい気持ちを抱いていた。

 自分が頑張ればジスランに好きなことが出来る時間を作ってあげられると、これでジスランの支えになれると、勝手にそう喜んでいたのだ。

 

 それがまさかジスランを苦しめ傷付けるとは思いもしなかった。

 嘘をつくなと、何もしなくていいと言われたあの日から、フルールは回復した今も自分に自信が持てず、誰かの……何よりもジスランの邪魔にならないよう、臆病で何も出来ない自分でいることを選んだ。

 見てしまえば覚えてしまうからと、フルールは人の顔も景色も全て、焦点を合わせないままぼんやりと捉える術まで身に付けて。

 ジスランをもう傷付けまいと、ジスランの邪魔にはならないようにと、毒にも薬にもならないような令嬢で在り続けていた。


 しかし、それは誤解だった。

 二人ともお互いを思うが故の擦れ違いだったのだ。

 家族の力になりたくて、けれど上手くいかなくて、一人で抱え込んで苦しんで、思い込みで行動して、どちらも言葉が足らないまま傷付け合い、そうして長い年月が経ってしまった。

 二人ともが不器用なまま、ずっと相手を思い続けていた――『もう二度と傷付けないように』と。

 

「お兄様は、わたくしのことが嫌いなのではなかったのですか……?」

「馬鹿言うな! 俺はお前を愛しているよ!! お前は大事な……大事な俺の妹だ」

「…………っ」

「お前が俺のため心を殺す必要も、学ぶ楽しさを捨てる必要もなかったんだ! そんな思いやりなんて、持たなくて良かったのに……っ!! 今までずっと謝れなくて……こんな兄でごめんな、フルール!!」

「ぅあ……っ」


 抱き締められたままふと壁面へと視線をずらす。

 なんら変わるはずのないルイーズの肖像画が、涙で滲んだ歪みのせいか、幼い頃のような笑みを浮かべて、こちらを見下ろしているように見えた。


『ジスランはジスラン、フルールはフルール』


 そう言ってくれたルイーズに見守られている気がして、そして自分を嫌っていると思っていたジスランの胸の内を知ることが出来て……。


「あぁ……っ! うわああぁぁん!!」


 フルールは幼子に戻ったかのように、ジスランの腕の中で泣き叫んだ。




 フルールの泣き声に何事かと起きてきた使用人達は、抱き合う兄妹の姿を見てみな涙ぐんだ。

 使用人達は長く擦れ違ってきた二人の姿をずっと見守り続けてきたのだ。

 ルイーズが亡くなって丁度十年。

 朝日が差し込む頃には吹き荒れていた雨も上がり、空には美しい虹がかかっていた。



「戻りましょうか、お嬢様」

「……えぇ」


 駆けつけた使用人達の中にマリーも居て、ジスランから離れて立ち上がったフルールの側へと寄ると、そう声をかけた。

 ジスランと和解出来た安心感からか、泣きすぎて瞼が腫れぼったく重たいせいか、フルールは欠伸を漏らす。


「ゆっくり寝かせてやってくれ」

「言われなくても。お嬢様の健康が第一ですので」


 マリーはジスランの言葉につっけんどんに言い返す。

 フルールが傷付き弱っていた時、ずっと側に居てくれたのはマリーだった。

 当時十三~十四歳の侍女見習いであるマリーには何も出来なくて当然だったのに、自分のことのように胸を痛めて寄り添い続けてくれたのだ。

 そのせいかレジスとジスランを少々目の敵にしているところがあり、一介の侍女だというのに、こうした態度を取ることが多い。


「もう、マリー?」

「……出過ぎたことを申しました。申し訳ございません」

「フルール、いいんだ。フルールに付いていた者達が、お前の味方をするのは当然だから」

「ですが……」


 眉を下げるフルールに、大きな手が頭を撫でる。


「昼には食堂に来られるか? きっと父上も俺達が揃って行けば喜ばれるだろう」

「はい!勿論ですわ!」

「なら早く休め。俺も少し寝てくるよ」


 ジスランはぐっと伸びをする。

 長い憑き物が取れたのか、見るからに表情が明るくなったようだった。

 

「おやすみなさい、お兄様」

「……あぁ、おやすみ」


 こんな珍しくもない言葉のやり取りも、この二人にとっては十年ぶりのことで。

 少し気恥しさを滲ませて返事をしたジスランに、フルールはくすくす笑うと、マリーを連れてその場を後にした。


 


「ロイク」

「はい、こちらに」


 マリーと同じく、使用人達の中にロイクも居た。

 ジスランが呼ぶとすぐ前に出てきて、サッと頭を下げる。


「調理場に行って、フルールと俺の朝食は要らないと伝えてきてくれ。あと急だが、昼食は祝いのように豪華にしてほしいとも」

「かしこまりました。本日の執務はどうなさいますか?」

「後で徹夜でもするさ。今日くらいは俺も父上も仕事を忘れたっていいだろ?」

「……そうですね」


 ロイクは仕方なさそうに笑うと、足早で廊下を歩いていった。




 昼食の時間、レジスは首を傾げていた。

 今日一日、屋敷の使用人達がどことなく浮ついている気がしたのだ。

 一人二人であれば明日休みなのだろうか、何かいいことがあったのだろうかといった程度で済ませただろうが、こぞって全員がそわそわしている。

 今日は何かイベントでもあっただろうか……そう思っていると、食堂の扉が開いた。

 使用人達の様子に意識を向けていたレジスは、扉の方へと何気なく視線を移し――目を見開いた。

 長年並び立つことのなかった息子と娘が、二人揃って入ってきたのだから。


「お父様、長い間心配をかけてごめんなさい」

「俺達、やっと仲直り出来たんだ」

「…………っ」


 その言葉にレジスは勢いよく立ち上がった。

 だが、多くの感情が込み上げてきて、唇は震えるだけで何の言葉も出てこなかった。

 

 二人にとってレジスは唯一残った肉親だった。

 だというのに、仕事を言い訳にして二人と距離を取り、その結果、二人は急くように大人の階段を上らなくてはいけなくなってしまった。

 そうして仲睦まじかった兄妹の関係は崩壊してしまったのだ。

 もう二度と二人が並ぶ姿など見られないだろうと、それが愚かな自分への罰だとレジスは思っていた。

 

 視界を滲ませながら、これが夢ではないかを確かめるように二人へと近付いていく。

 二人もレジスへと歩み寄っていくと、その両腕に二人は抱き締められた。

 声を押し殺し涙を流すその姿に、フルールはついもらい泣きをし、レジスにしがみつく。

 豪勢な料理を出すよう頼んだというのに、これでは二人とも味が分からないかもなぁと苦笑するジスランだったが、二人には悟られないよう、彼もそっと目尻を拭っていた。

 

 三人は十年の時を経て、再び家族としての関係を取り戻したのだった。



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