25,幼い兄妹は擦れ違いまして
フルールは部屋から出るとすぐ、レジスやジスランのために自分も力になれるよう学びたいと望んだ。
フルールがエンゾに頼むと、一旦ジスランと同じ家庭教師を付けてもらえることになった。
その頃のジスランは、部屋に籠っていたフルールがやっと出てきたと喜び、率先して面倒を見てくれていた。
二人は決して仲の悪い兄妹ではなかったのだ。
家庭教師のこともジスランから紹介してもらい、フルールは頑張ろうとより意気込んだ。
それから何度か授業を受けると、教師はフルールの記憶力に驚き絶賛した。
どうやらフルールは一度見たものをすぐに覚えてしまう記憶力の持ち主だったらしく、更にレジス譲りの勉強に向いた脳だったのか理解力も高く、みるみる学力を身に付けていく。
フルールはみんなに喜んでもらいたくて、エンゾやマリー、そしてジスランに「これも出来るようになったの」「先生に褒めてもらったのよ」と見せて回っていた。
だが、初めの頃は「凄いな!」と褒めてくれていたジスランだったの様子が変わり始めたのは、それから暫く経ってのことだった。
ジスランの笑顔に陰りが見え始め、どうにも元気がなくなっていったのだ。
フルールはそんなジスランが心配で、早く元気になってもらいたいと、必死で努力を重ね続けた。
そうして一年が経つ頃、ジスランが学んでいた十二歳くらいの令息令嬢が学ぶ知識を、なんと七歳のフルールが身に付けてしまったのだ。
当時九歳のジスランが十二歳の年頃の勉学を学んでいるのも凄いことだというのに、フルールはジスランに追い付いてしまった。
そしてフルールはジスランに喜んでもらいたい一心で、ジスランの気持ちを考えずに言ってしまったのだ。
「お兄様が頑張っていらっしゃるのは、わたくしが一番分かっておりますわ! けれど、好きな乗馬や剣術に行ってもいいんですのよ? その分わたくしが頑張りますから!」
それは純粋な思いやりだった。
ジスランに元気がないのは、苦手な勉学ばかりに励んでいるせいで、好きな乗馬や剣術が出来ないからではないかとフルールは思っていたのだ。
ルイーズから言われた通り、フルールにはフルールの、ジスランにはジスランの得意なことを伸ばせるようにと、そう思っての言葉だった。
だからこそフルールはジスランの支えになれるように、必死で勉学に力を入れていたのだ。
それこそ、兄に追い付けるようにと――。
けれどその言葉はジスランにとって、これまでの努力を馬鹿にされたような心地を抱かせてしまった。
いずれ伯爵家を継ぐはずの自分より、二つも年下の妹が教師に大層褒められ、とてつもないスピードでぐんぐんと成長していく。
それを間近で見ていたジスランの心は傷付き続けていた。
どうして自分はこんなにも飲み込みが悪いのかと。
ジスランは決して劣ってなどいなかったのに、フルールの天才ぶりはジスランに劣等感を植え付けてしまったのだ。
挙句、元々フルールは家庭教師すら付けられていなかったというのに、たった一年で自分の数年分の努力に追い付いてしまった。
幼いジスランがそれを信じたくないと思ってしまっても仕方がなかっただろう。
その積もりに積もった悔しさややるせなさが、フルールの言葉によって我慢の限界に達し、爆発してしまったのだ。
「なんでそんな嘘を吐くんだ! お前よりも劣る俺のことを、本心では不甲斐ないと思っているんだろう!? フルールは何もしなくっていい! それは俺の役目なんだ!!」
その憎悪に歪んだ母と似た瞳を、フルールは未だに忘れることが出来ずにいる。
ヒュッと息を飲み、声を震わせながら「……お兄様?」と声をかけるも、ジスランは憎々しげな表情のまま、その目にいっぱいの涙を溜め、唇を噛み締めて駆け出してしまった。
(嘘なんかじゃ、ないわ。お兄様はいつだって、わたくし以上に努力なさっていたもの。不甲斐ないなんて、思っていない。……でも、本当に? まさかわたくしは、そんな顔をしていたの……?)
目も記憶力もいいからこそ、他人の表情の機微に敏いからこそ、目は口ほどに物を言うと幼いながらに理解していたフルールは、まさか自分がジスランに対し、無自覚でそんな顔をしていたのではと恐ろしくなった。
実際、フルールはそんな顔などしていない。
ジスランは兄や嫡男としての矜恃を保つため、卑屈な言葉を言ってしまっただけだった。
けれどフルールは、ジスランからはそう見えてしまったのだろうかと、素直に受け止めてしまったのだ。
(わたくしは、お兄様の邪魔をしたかったんじゃないのに。わたくしが出しゃばらなければ、こんなことには……)
レジスとジスランの力になりたかった。
ルイーズが言ったように、自分の得意なことを伸ばして二人を支えられるようになりたかった。
でも――。
(お母様、ごめんなさい。わたくしはお兄様を傷付けるような、あんな顔をさせてしまうような……そんな妹になってしまったようです)
ルイーズを失い、それでも二人の家族のために前を向こうとしたフルール。
けれどそれが裏目に出るなど、努力を褒めて欲しかっただけの七歳の少女に分かるはずもなく。
その日以来、フルールは勉学を止めた。
そして再び部屋から碌に出てこないような、そんな少女へと変わってしまったのだ。
家族を顧みない生活を続けていたレジスは、ジスランが十歳目前になり、子供サロンに入れるかというエンゾの言葉で、ジスランと久々に正面から向き合い、まともな会話をすることになった。
ジスランは早くレジスを助けられるようになりたいと望み、今は少しでも勉学がしたいから子供サロンへは行かないと言う。
確かに学園は入学必須だが、子供サロンはそうではない。
しかし、約二年の間に子供らしさを失ってしまったジスランを見て、レジスは自分がいかに身勝手な生活を送っていたかを痛感した。
仄暗い顔で勉強しなければと言うその小さな姿に、レジスはルイーズの死や子供達から逃げていた時間を悔やんだ。
「すまなかった。お前もフルールも、母親を失って寂しかっただろうに……」
そうしてレジスに抱き締められたジスランは、あの日以来一切話していないフルールがどうしているのかと過ぎり、ぎゅっと胸が軋んだ。
「父上、その……。俺、フルールに……」
ジスランはあの日、フルールに自分が何を言ってしまったのか、反省を滲ませて切々と語った。
レジスは駆け出し、その後にジスランも続く。
フルールの部屋に訪れた二人は、幼いマリーからキッと睨まれ、他の侍女達からも気まずそうに視線を逸らされた。
嫌な予感が二人を襲う。
そうして部屋へと足を踏み入れて見たのは、窓辺で外をぼんやりと眺める、表情を失ったフルールの姿だった。
「フルール……?」
レジスが声をかけると、フルールはゆったりとした動作で顔を動かし、こくんと一度頷いた。
けれどそのまま一言も言葉を発することなく、焦点が合っているかも分からない虚ろな目をして座り続けている。
どういうことかと困惑顔のレジスとジスランは、マリーや他の侍女達に顔を向けた。
「旦那様、お坊ちゃま……」
そこにやって来たのはエンゾだった。
別室に移り、二人はフルールの状況を聞かされた。
「お嬢様はある時から再び部屋に籠りがちになられ、まずは表情、その後に声を失っていかれました。お嬢様のお加減が宜しくないことは、それとなくお伝えしていたかと思いますが……」
レジスは確かにエンゾからそう聞かされていた。
だから医者を呼んで治療させろと言っていたはずだが、まさかフルールがあんな状態になっているなど思わなかった。
「表情と声……? じゃあフルールは今、笑うことも泣くことも出来ないし、話せないってことなのか? なぁ!!」
ジスランはエンゾに掴みかかった。
エンゾは目を伏せ、静かに肯定するように頷く。
「医者……。医者には見せたのか?」
「初期の頃には。ですが、普段発熱などはありませんし、慣れない医者の前では問診に怯える仕草を見せられ、かえってそのせいで寝込まれることが多発しまして……。それに、お嬢様が医者にかかりきりになっていると何処かで知られてしまっては、貴族令嬢として致命的になる恐れもありました。熱を出された時には医者に診ていただきましたが、それ以外は……。それからは少しでも穏やかに過ごしていただけるように、我々の方で配慮するしか出来ず……」
「そ、んな……。俺の……俺のせいで……?」
「違う! お前のせいじゃない! 私が、お前達のことをきちんと見ていなかったから……っ」
二人はそう言い合うも、フルールの現状は変わらない。
彼らは自分達の言動に気付くももう遅く、フルールは母を失った悲しみと、家族の支えにもなれない己の不甲斐なさに、完全に心を閉ざしてしまっていた。
更に見たものを覚えてしまう力は、こうなったフルールを呪うように苦しめた。
母の最期の姿と兄の憎悪に塗れた瞳を、何度も何度も彼女に思い出させたのだ。
生々しい悪夢で飛び起き、どちらが夢でどちらが現実なのか分からず、錯乱状態になることも少なくない。
そんなフルールは言葉や表情に出して気持ちを消化させたり相手に伝えたりすることも難しく、自身の不調や不快感すら伝えれない。
レジスやジスランと接することは相当のストレスになってしまったようで、次の日フルールは高熱を出して寝込んでしまった。
こうしてフルールは、今の姿からは考えられないほど表情の乏しい、話すことすらも出来ない少女になってしまったのだ。
あらすじ下部に記載している『しんどい所はほぼないので』のしんどい所がここだと思います
※なお、ここだけかは……( ˊ罒ˋ )シーッ!
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