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21,悪戯に心が揺さぶられまして


 秘密のレストランを出てからは、ジスランに声をかけるためのジャムや茶菓子を選び、早めに帰路についた。

 馬車に乗り込むと、窓は開けているのに夏らしい暑さのせいで、車内は少し蒸し暑い。

 馬が走り出すと心地好い風が熱気を攫っていく。

 夕暮れと呼ぶにはまだ少し早い、仄かな赤みが景色を優しく照らしている。

 フルールは静かに座っているユベールを見た後、今日一日を振り返った。


(街に出て、こんなにも楽しく過ごせるなんて……。そういえばユベール様は最初からそうだったわ。わたくしが勝手にビクビクしているだけで、いつだってこちらを気遣って下さって優しかった……)

 

 そうして胸を押さえる。

 そこには数日前まで領地に帰る憂鬱さがあったはずなのに、その時よりずっと心が軽くなっていた。

 ダニエルの件に続いて、またしても助けてもらってしまったとフルールはユベールに頭を下げた。


「ユベール様、今日は本当にありがとうございました」

「いや、気にしなくていい。私はフルール嬢の買い物に付き合っただけで、根本的な解決はしてやれないからな」


 その言葉にフルールはふふっと柔らかく笑う。

 確かにユベールの言う通り、ジスランとの関係が解決したわけではない。

 領地に戻って会話や和解を試みても、結局失敗してすごすごと戻ってくる可能性だって十分ある。

 けれど――。


「ユベール様が後押しして下さらなければ、わたくしはきっと領地に帰っても部屋に閉じ籠り、お父様に誘われて家族で食事をしても、気まずい食卓を囲むだけだったはずです。こんな風に向き合う勇気なんて、きっと持てませんでしたわ」


フルールはそう言って、持ってきていたポシェットを開き、そこから平たい箱を取り出した。

 そしておずおずとユベールにそれを差し出す。


「その……、ユベール様にはこれまで沢山お世話になっていますから、お礼をと思って……」

「……これを、私に?」


 無言でこくりと頷くフルールを見て、ユベールはそれをそっと受け取る。

 箱を開けると、そこには刺繍の施されたハンカチが入っていた。

 刺繍は黒馬の頭部と、その首元に緑色のリボンを付けているようなデザインで、それはユベールの髪と瞳の色を表していた。

 ユベールは驚いた表情で「ハンカチ……?私に?」とフルールに問いかける。


「万が一、街で良いものが見つからなければと、念のためハンカチだけでもお兄様に贈れるよう用意しましたの。せっかくユベール様に背中を押していただいたのに、無駄にするわけにはいきませんから。それでその時に、ユベール様にもこれまでのお礼を、と……。こ、こんな些細なもので恐縮なのですが」

「フルール嬢」


 フルールは膝の上で手を握り、焦りからか早口になり視線を逸らして俯いていた。

 ユベールに呼ばれたことでフルールはハッと顔を上げ、そして見たものは――絵画のように美しかった。


「大切にする。ありがとう」


 その赤みは陽の光のせいだろうか。

 嬉しそうに微笑むユベールが、殊更優しい表情でハンカチの刺繍をなぞっている。

 フルールは胸がキュッと掴まれたような、何故だかまた泣きたくなるような、そんな感覚を抱いた。

 言葉を出せずフルールが固まっていると、ユベールから手を掴まれ「ひゃっ!?」と変な声を上げてしまう。


「こんなに握り締めていては、爪が肌に食い込んでしまうだろう。……ほら、赤くなっているじゃないか」

「あ……」


 手のひらをやんわりと押し広げられてみれば、爪の形に痕がついていた。

 ユベールの手は男らしく、フルールの手は包み込まれてしまう。


「小さな手だな」

「あ、あああのっ、ユベール様っ」

「なんだ?」


(手を、どうして手を握られたままですの!?)

 

 またもやフルールは俯くしかなく、陽の光のせいも相まって顔に熱が集まっていく。

 ユベールが手を離し、ホッとしたのも束の間、ユベールは立ち上がってフルールの横に腰かけたのだ。


(な、なななんでわざわざ横に座られるのですか!?)


 突然のことに少し身を引いていたフルールの頬に、ユベールの手の甲がそっと触れた。


「顔が熱い。熱でもあるのか? 今日の外出で疲れさせてしまっただろうか」

「ふぇっ!? い、いえ……そんなことは……っ」


 ユベールの言葉に、更に顔が熱くなる。

 フルールはあわあわと目を回しながら、自分に言い聞かせていた。


(お、落ち着くのよ……! ユベール様は純粋に心配して下さって、だからわざわざこちらに座られただけ! 何も意図はないはずですわっ!)


 頭から湯気でも出そうなフルールを見て、ユベールは少し目を細めた。

 その表情の意味に気付いたフルールは、むうぅと頬を膨らませる。


「ユベール様、からかっていらっしゃいますね!?」

「くくっ。朝には言えなかったが、今日は一段とフルール嬢が可愛らしくて、ついな」

「か、可愛……!?」


 フルールは口をはくはくさせながら、心臓が止まるような思いでユベールを見つめていた。

 そこにはいつかに見た、少し悪戯が成功したような顔で笑う、()くも美しい精悍な顔があり――フルールの頭は見事に沸騰した。



 フルールは屋敷に着いても放心状態だった。

 ユベールに声をかけられ、声に従うようにエスコートされながら馬車を降りる。

 しかしまるで魂が抜かれたようなフルールの様子に、使用人達は「一体何があったんだ?」「お嬢様が何か仕出かしたのか?」と、笑顔を浮かべながらも顔を引き()らせていた。

 ゆっくりと導かれるまま、フルールは使用人達の元へと辿り着く。


「今日はどうやら疲れさせてしまったらしい。先程まで顔が熱かったから、熱があるかもしれない」

「なんと……!? カスタニエ様はお体の不調はございませんか?」

「私は大丈夫だ。早く彼女を休ませてやってくれ」


 家令にそう説明したユベールは、未だぼぅっとしているフルールの髪を撫でる。

 手が触れたことで意識を取り戻したのか、フルールはビクリと肩を跳ね上げ「ゆ、ユベール様っ!?」と再び顔を赤くした。


「今日は時間を作ってくれてありがとう。二学期になったら、話し合いが出来たのか聞かせてくれ」

「えっ……あっ…………!」


 フルールは背を向け立ち去ろうとするユベールに手を伸ばした。

 腕を引かれると思っていなかったユベールは、目を丸くしながら振り返る。

 そこにはまだ僅かに頬を染めながらも、真剣な表情を浮かべたフルールがユベールを見上げていた。


「わたくしこそ、わざわざお時間を作って下さり本当にありがとうございました。必ず、必ずお兄様と向き合ってみせますわ! ユベール様も、どうか良き夏休みをお過ごし下さい」


 フルールは精一杯の感謝と、ユベールの与えてくれた機会への意気込みを語った。

 下心のない真っ直ぐな姿勢と態度に、ユベールは少し物足りなさを覚えつつも、そのフルールらしさに優しく微笑む。

 風でふわりと揺れるパウダーピンクの髪がユベールへと向かってきたので、一房摘んでくるくると指先で遊んだ後、そこへキスを落とした。


「「「「「!?」」」」」

「フルール嬢も、良き夏休みを」


 唖然とするフルールや使用人達の表情を見て、ユベールは満足げな笑みを見せると、馬車に乗り颯爽と去っていった。

 フルールは固まったままそれを見送った後、糸が切れたようにへたりとその場に座り込んでしまう。

 使用人達は「お嬢様!?」と慌て、フルールを抱えて屋敷へと戻る。

 そのまま侍女達に世話をされるまま湯浴みをし、温かな格好でベッドに放り込まれた。

 天蓋を閉められ一人の空間になった途端、フルールはじたばたとベットの上で悶えた。


(もうっ、もうっ! あんな風にからかわれるから、ユベール様のことが頭から離れないではありませんかっ!!)


 フルールはベッドのクッションを八つ当たりのようにぽすぽすと叩く。

 しかし暫くしてから、それをぎゅっと抱き締めた。


(……ユベール様にとってわたくしは、お兄様の妹だからこんな風に親切にして下さっているの。しっかりするのよ、フルール! わたくしは的外れな自惚れはしないと、出会った時から思っていたでしょう?)


 ユベールと出会って約三ヶ月。

 まだ三ヶ月とも、もう三ヶ月とも思える、人生が百八十度回ったような日々だった。

 目立つことなく平凡な学園生活を送っていた一年生の頃と比べて、良くも悪くも想像以上に色濃く、目まぐるしく変わる毎日。

 

 その中心にはいつだってユベールが居た。

 

 顔良し、家柄良し、人柄良し。

 文武両道で優秀、学園でも常に成績トップを収め、生徒会長を務める優等生。

 彼に見初められたいと願う令嬢は後を絶たず、それ故にフルールは多くの視線に曝されるようになったのだから、ユベールの人気は身に沁みて理解している。

 これまでのフルールだったら、関わるのも恐れ多いと避けてしまうような、本来手の届かないそんな人。


(あんな方に優しくされて、ドキドキしない方が無理でしょう? そうよ、何らおかしなことではないわ。わたくしは今、あんな素敵な方に優しくしてもらって、ちょっと浮かれて舞い上がっているだけ)


 フルールは一人でうんうんと頷いて、そう言い聞かせる。

 けれど、何故かそれは出会った頃に言い聞かせた時のように、すとんと胸に落ちてくることはなく、フルールの心にチクリと鈍い痛みを与えるのだった。




 翌日、見事にフルールは知恵熱を出した。

 そのため、予定より三日遅れて領地に向かうことになってしまう。

 夏らしく太陽の光が燦々(さんさん)と降り注ぐ中、緑広がる長閑(のどか)な領地、メルレ伯爵領に向けて――馬車は走り出した。



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