20,秘密の空間で満たされまして
予定よりも早くプレゼントが決まったため、少し早めに昼食をとることになった。
店から出て馬車で移動するのかと思いきや、手を取られたまま街中を並び歩く。
色々なお店が立ち並ぶ区画だが、この周辺には飲食店はなかったはず……。
そう思いながら歩くこと数分、フルールは「えっ?」と驚くことになる。
それは建物と建物の間、ほんの一メートルほどの隙間に扉だけが存在していた。
この一帯は馬具や武具のような商品を扱う店が立ち並ぶ区画のため、フルールが訪れることはない。
通りかかることも初めてだったフルールは、一見両隣の店どちらかの出入口にしか思えない扉に目を丸くした。
しかし言われてみれば確かに、それぞれの店の出入口は別で存在し、双方の店の雰囲気とは少し異なる装飾の扉であると分かる。
「この先には何が……?」
「それは着いてからのお楽しみだ」
ユベールが扉を開くと、両隣の店の間なのだろう細長く伸びた通路が続いている。
通路には屋根があるため陽の光が入らず、点々と灯されている僅かな明かりだけの道を歩く。
ユベールに導かれるまま、期待と不安を綯い交ぜにした心地でフルールは進んでいく。
そうして最奥へと到達するも、そこには木の壁があるだけだった。
……いや、厳密には右端に呼び鈴のような紐がぶら下がっており、ユベールはそれを躊躇いなく引いた。
すると木の板の一部がこちらに倒れてきて、郵便受けのように手紙を入れるような受け口が現れたではないか。
フルールはもう何が起きているのか分からず、わくわくする気持ちが止まらない。
そこへユベールが上着の内ポケットから取り出した葉書のようなものを投函し、受け口を元に戻した。
そうして暫くすると木の壁が向こう側から引かれ、初老のような年頃の侍女服を着た店員がで迎えてくれた。
深々と頭を下げ「いらっしゃいませ、ユベールお坊ちゃま。メルレ伯爵令嬢」と言う。
開けた先は既に店内のようで、アンティーク家具が配置されたレトロ感のある素敵な内装だった。
二人はカウンターテーブルに案内され、並んで腰かける。
カウンターの先には鉄板のようなものがあり、奥からかっちりとした燕尾服を纏った店員が現れた。
「ようこそお越し下さいました。ユベール様、ご予約の内容からご変更はございませんか?」
「少し確認させてくれ。フルール嬢、何か苦手な食べ物はあるか?」
「え? い、いえ、特にはございませんわ」
「そうか。それなら予約していた通りに」
「かしこまりました」
男性店員が一礼して下がっていくのと同時に、女性店員が水を出してくれる。
それを見送ってから、フルールは勢いよくユベールへと顔を向けた。
その瞳は「ここは何ですの!?」と物語っており、その通りの言葉を続いて発したフルールに、堪え切れずユベールは吹き出した。
「ここはカスタニエ公爵家で働いていた元シェフや元使用人が、ひっそりと経営している店なんだ。伝手がなければ入れない、秘密のレストランといったところだろうか」
「秘密のレストラン……!」
その響きにフルールは目を煌めかせる。
ユベールから「内装は好きに見るといい」と言われ、フルールは店内を見て回ることにした。
オープンシェルフに飾られたアンティーク雑貨は、まるで別の時代に迷い込んだような錯覚を抱かせるほど味がある。
コチコチと音を立てる時計も、刺繍の美しいフロアランプも、店の装飾は全て定期的にきちんとメンテナンスされているのだろう。
どれもが歴史を感じさせるのに、状態よく保たれている。
フルールはそのまま壁面に飾られている絵画へと足を向けた。
「まぁ! これはかの有名なミューリアの作品では? こちらはモロンですわね……! なんて素敵なのかしら!」
フルールはさらさらと巨匠の名を言い当てていく。
絵の配置も見事で、側に置かれたキャビネットや本棚との相性を考えて飾られているのが分かる。
それらの色のコントラストが美しく、フルールはうっとりとそれを眺めた。
フルールの後を静かに付いて回っていたユベールは目を見張り「へぇ」と感嘆の声を上げる。
「フルール嬢は絵画に詳しいのだな」
「えっ? そ、そうですわね。初めて見た時にとても印象的でしたので」
フルールは目を泳がせ、何故かそわそわし始める。
そうしている間に男性店員がカトラリーを運んできたため、二人は席へと戻った。
どうやら定番の順番で料理が運ばれてくるらしく、まずはアミューズが置かれた。
小ぶりの透明な容器に盛られたトマトムースに、モッツァレラチーズがかけられ、ピンクと白、二層の色味が可愛らしい。
更に上にはアボカド、トマトをサイコロ状にカットしたものが飾られている。
スプーンで掬って口に含むと、ドレッシングのように少しレモン汁がかけられているらしく、トマトやレモンのすっきりとした酸味と、アボカドやチーズの濃厚なまろやかさが合わさって、非常に美味だった。
暑い夏にピッタリの一品にフルールは感激する。
それからオードブル、スープ、ポワソン、ソルベと続き、次はメインのヴィアンドといったところで、きめ細かく光沢の美しい生のブロック肉が登場した。
どうやらこの店では目の前の鉄板で焼いてくれるらしい。
燕尾服の男性店員と共に、コックコートを纏ったシェフも出てくる。
シェフに「焼き加減は?」と聞かれたユベールは「レアで」と即答した。
フルールは迷った挙句「お、おすすめで」と答えたため、ユベールよりも少しだけ長く焼かれたミディアムレアで出されることになった。
肉がじゅうじゅうと焼ける音と香ばしい香りに、食欲が刺激されて堪らない。
肉を焼いて出た脂を使って、それに絡めるようにソースにも火を通し、美しく盛り付けられていく。
出されたステーキは見事な火の通りで、ナイフで引くとするりと切れてしまうほどに柔らかい。
ソースを添えて一口食べるも、じゅわりと溶けるように旨みだけを残して消えていく。
声にならない歓喜を上げながら、フルールは全てをぺろりと完食した。
しかしこのコース料理、一般的なものと比べてひと皿の量がかなり少なめだった。
ユベールの方はフルールに比べて少し多いようだったが、それにしても男性の量で考えるとやはり少ない気がする。
ユベールは足りたのだろうかとフルールが心配していると、デセールの準備が始まった。
再び専用のカトラリーが並べはじめ、ふとシェフへと目を向けると再び鉄板を使うらしく火を付けている。
デザートに鉄板?とフルールは目を瞬いた。
すると熱した鉄板の上に、シェフはもったりとした生地をいくつも落としていく。
「まぁ、あれは?」
「さて、なんだと思う?」
楽しげに問い返されたフルールは、むむっと眉を寄せ観察する。
しかし今の時点では何になるか、フルールには検討が付かなかった。
「領地への移動の支度もあるだろうから、今日は早めに帰った方がいいだろうと思ってな。だが、フルール嬢はスイーツが好きだろう? 早く帰るならカフェや喫茶店に寄る時間は作れないだろうし、この間も食べられるかと悩んでいたくらいだから、メイン料理が多いとデザートの前にお腹が脹れてしまうかもしれない。だからメイン料理を半分の量にしてもらって、デザートをしっかり食べられるように調整してもらったんだ」
「そ、そこまで気遣って下さっていたのですか!?」
「この間、幸せそうにケーキを食べていたからな。喜んでもらえたら何よりなのだが」
フルールが驚いている間に、シェフは鉄板の上に器を乗せ、その中でチョコレートを溶かし始めた。
生クリームを少しずつ足しながらチョコレートソースを作っているようだ。
また、別の器には苺や砂糖を入れたものを煮詰めているらしく、こちらはベリーソースになるらしい。
鉄板の上で焼かれていた生地はぽふぽふと膨れ上がり、厚みのある可愛らしい形状へと変わっていた。
それはどうやパンケーキのようだ。
シェフはサッとひっくり返し、反対の面も焼いていく。
フルールがシェフの動きに気を取られたり、ユベールの配慮に胸を打たれたりと、忙しなく視線を行き来させている内にパンケーキが焼き上がった。
二枚のパンケーキを皿の中央に、斜めになるよう重ねると、半分にはチョコレートソースを、もう半分にはベリーソースを、細く線を描くようにかけていく。
チョコレートパンケーキの上には細かなナッツを、ベリーパンケーキの上にはミントを飾り、更に皿の左右からチョコレートソースとベリーソースを流していく。
そこへダメ押しとでも言わんばかりに、チョコレートソースにはスライスしたバナナ、ベリーソースにはラズベリーやブラックベリーが添えられ、左右全く違った色のソースにとっぷりと浸かった、二色のパンケーキが完成した。
フルールは目の前に置かれた、美しい芸術品に胸をときめかせていた。
そしてユベールへと視線を向ける。
「あの、まさかとは思いますが、こちらも我が領地の?」
「勿論だ。使わせてもらったフルーツは全て、君の領地の物だ」
「まぁ……っ!」
感動のせいで食べる前から目元が潤み始めてしまうが、泣いて味が分からなくなってしまっては勿体ない。
フルールは必死で目を瞬かせて涙を押し込むと、それにナイフを入れる。
それからフルールは、甘さと優しさの暴力に舌鼓を打ち、お腹も胸もいっぱいに満たされるのだった。