2,恋敵と鉢合わせまして
フルールは学園の部室棟へと向かった。
乗馬クラブに入部しているダニエルは、今頃クラブを終えた頃に違いない。
向かっている最中、フルールはハッとした後、わたわたとポケットを探った。
中から綺麗なハンカチが出てきてホッとし、更にバッグにも厚手のハンドタオルが入っていることを確認しておく。
もしダニエルが汗をかいていたら、ハンカチでもハンドタオルでも渡してあげられる。
少し気分が浮上したフルールは、ダニエルはどこかしらと部室棟の乗馬クラブの入口を見て、立ち止まった。
ダニエルと笑って話している令嬢が居たのだ。
その令嬢はダニエルが言っていた、お見合い相手の令嬢の特徴にそっくりだった。
引き返そうと思うのに、何故か足が地面に縫い止められたように動かず、そうしている内にこちらに気付いたダニエルが手を振ってきた。
令嬢の方も会釈をしてきて、フルールは思わず会釈を返してしまう。
「なんだい?どうかした?」
「あ……いえ、その……。さっきまでアレットとお喋りをしていて……」
近寄ってきたダニエルの問いかけに対し、フルールはしどろもどろにしか返事が出来なかった。
まさか真横に恋敵となる令嬢が居るとは思わず、何よりその本人が居るところで「貴方の恋の悩みを聞きに来たの」だなんて言えるはずもない。
まごまごしているフルールに慣れているダニエルは、仕方がなさそうに苦笑を漏らして「まぁいいや」と話を終わらせてくれた。
しかし安心したのも束の間、
「そうだ、せっかくだから紹介するよ。こちら、レオノル・ソラン伯爵令嬢。レオノル嬢、こちらフルール・メルレ伯爵令嬢。前に言っていた幼馴染の一人だよ」
と、ダニエルからお見合い相手のレオノルを紹介されてしまった。
しかも同じ伯爵令嬢で、彼女が先に紹介されたのだ。
付き合いの長いフルールよりも、最近知り合ったばかりのレオノルが先に……。
(ダニエルの中では既に、彼女を身内のように思っているということなの……?)
そんなことを考えてしまい、フルールは顔を強ばらせないよう必死で表情を取り繕っていた。
そんなフルールに気付かず、レオノルは嬉しそうな声を上げる。
「まぁ! お話しはダニエル様から伺っておりますわ。仲の良い幼馴染がお二人いらっしゃると。はじめまして、メルレ伯爵令嬢。わたくし、レオノル・ソランと申します。お会い出来て光栄ですわ。わたくしのことはどうぞレオノルとお呼びください」
しゃんと伸びた姿勢と、丁寧な言葉遣い。
明るく少女めいた可愛らしい雰囲気なのに、レオノルはアレットとはまた違った雰囲気のしっかりした令嬢だった。
「は、はじめまして、レオノル様。わたくしはフルール・メルレと申します。わたくしもどうぞ、フルールとお呼びください」
「ありがとうございます、フルール様」
ほわりと微笑まれ、吊られて笑顔を返してしまう。
そんな二人を見てダニエルは嬉しそうにしていた。
「そうだ、フルール。話があったんだろう?」
「あら、そうですわよね。ではわたくし、今日はこれで失礼致しますわ」
「すまない、レオノル嬢」
レオノルは気にする様子もなく、ぺこりと一礼してから立ち去っていく。
後ろ姿も堂々としていて気品がある。
「羨ましい……」
「ん?なんだって?」
フルールが思わず小さく零した言葉は、ダニエルの耳には届かなかったらしい。
なんでもないと苦笑して誤魔化し、部室棟の近くにあるベンチに並んで腰かけた。
「……あの方でしょう?ダニエルの婚約者候補の方って」
フルールは嘘も駆け引きも苦手で、少し言葉に悩んだものの、結局直球で聞くことにした。
ダニエルは口をむずむずさせながら「そうだよ」と言う。
「丁度さっき、アレットと話していたの。ダニエルはお見合いのことをどう思っているのかしらって」
「どうって……どうもこうもないよ。いつかはこうして誰かと婚約するんだろうと思っていたから、その相手が彼女になりそうなだけだよ」
ダニエルは肩を竦めて返事をする。
聞きたいのはそんなことではないと、フルールは頭を振った。
「勿論そうよ。アレットもわたくしも、いつかは婚約者が出来て結婚するのだと思うわ。この国は恋愛結婚に寛容だけれど、家の繋がりや関係性のために結ばれるのだって普通のことよ。けれど、その……まだお見合いをしたばかりで相手は婚約者候補なのだし、ダニエルはレオノル様のことをどう思っているのかしらって……その……えっと……」
尻すぼみに声が小さくなっていくフルールを見て、ダニエルはくすくすと笑った。
そして、ぽんとフルールの頭を撫でる。
「心配してくれていたのかい?」
「……えぇ」
フルールはダニエルの目を見られず、伏し目がちに頷いた。
心配と言えば心配だ。
けれど、純粋にダニエルの心情を心配したのではなく、今後の進展を懸念している身勝手なものだ。
そんな自分が酷く浅ましい人間のような気がして、フルールはダニエルを見ることが出来なかった。
しかし、どうやらその言葉がダニエルの心に響いたらしく、彼はぽつぽつと話し始めた。
「僕ってほら、あまり男らしくないだろう?」
「え?そうかしら?」
ダニエルがせっかく答えようとしてくれているのに、フルールは話をぶった斬るように目をパチパチさせ、首を傾げた。
ダニエルは肩透かしを食らったかのように、ずるりと体を傾ける。
「そうなの、そうなんだよ。全く……フルールはぼんやりしているから、僕は君の方が不安だよ」
「だって、ダニエルはいつもわたくしを優しく引っ張ってくれていたわ」
「それは僕だけじゃなくてアレットもでしょう?
それにね、君の為人を知れば誰だって手を貸さなきゃいけないって思うはずだよ。僕が男らしいんじゃなくて、君がふわふわしていて危なっかしいだけ」
「うぅ……」
フルールは「そんなことはない」と言い返したいところだが、なにせもうかれこれ十年近くそう言われ続けているのだ。
否定したくとも否定出来る要素が何一つないので、フルールは素直にその言葉を受け入れながら泣きべそをかく。
「まぁ、それはさておき。言った通り、僕はあまり男らしくないんだ。背丈も微妙だし、体格だって逞しいわけじゃない。美形と言われる人達みたく、美しい見た目をしているわけでもないしね。正直中途半端だと思うんだよ」
「そんなことないわ!」
「はいはい、分かったよ。ありがとう」
フルールは子供のように宥められ、ぷくりと頬を膨らませた。
ダニエルはそんなフルールをお構いなしに話を続ける。
「僕は一応侯爵家の嫡男だし、レオノル嬢からすればこのままいけば爵位が上がるわけでしょう? 僕は少し覚悟していたんだよ。こんな僕に媚びた態度を取るような、地位や爵位目当ての令嬢が来るんじゃないかってね」
ダニエルは少し顔を上げ、顔を遠くへ向けた。
その方角は先程レオノルが立っていた場所だった。
「それがどうだい。初めて挨拶をした時、とても丁寧で礼儀正しい人だと思ったんだよ」
「……わたくしも、そう思いましたわ」
ダニエルの言葉に素直な感想を返し、フルールはハッとした。
何故わたくしは恋敵の令嬢を褒めているのか、と。
そんなフルールの胸の内を知らず、ダニエルは嬉しそうに「そうだろう?」と微笑んでいた。
そのキラキラとした笑顔にフルールは目を瞬いた。
「フルールの質問に正直に答えるなら、父上からお見合いの話を聞いた時は不安と面倒さがあったよ。でも今は、そこに来たのがレオノル嬢で良かったって思ってるんだ」
あまりにも澄んだ瞳でそんなことを言うものだから、フルールはそんなダニエルが輝いて見えた。
これからを期待するようなダニエルを見て、純粋に彼が眩しくて仕方がなかった。
フルールがそんなダニエルを羨ましいという目で見つめていると、二人の元へ一つの足音が近付いてきた。




