ユウタ、バイトデビュー。
高校でもバスケをもちろん続けたが、コジンとは別の高校に進学した。
新たな出会いもそこには待っていた。しかし、中学生の頃とは違いバスケのレベルは全く上で、ユウタは付いていくのがやっとであった。
次第にユウタのバスケ熱は薄れて行き、勉強も大変になって来たので、高2でバスケ部をやめる。
バスケ部をやめたユウタは丸っと空いた放課後にバイトを始めた。縁あってKと言うお好み焼き屋でバイトを始める事になった。時給650円のスタートだったが、仕事が出来たユウタは当時の最高時給1030円に3年で辿り着く。
無事高校を卒業したユウタは専門学校に進学。バイトは継続して、月収12~13万円を稼ぎ出していた。バイト代のほとんどはブランド服につぎ込んだ。特にディーゼルと言うブランドを好んで購入していた。
そんな生活を専門学校卒業の2000年頃まで続けた。この生活は楽だったが。そんな生活を続けられるのは、学生だからであり、いつまでもぬるま湯につかっている訳にはいかなかった。
とは言えバイト先はとても忙しい人気店だった。新潟県内のみの鉄板焼き・お好み焼きチェーンであったが、給料に見合った仕事をしなければならなかった。バイトの中ではリーダー格のユウタは、何かと人を寄せ付ける人格があり誰もが認める所であった。
しかしまだ、この頃は激しい双極性障害の症状は出ていなかった。周りの人間から見ても、異常行動はしていなかったし、仕事は自他共に認めていた。何よりも最低賃金が時給650円の時代に時給1030円もの高給取りだった事がユウタの評価の高さを証明しているだろう。
バイトに没頭しながらも、私立高校から専門学校へと進学したユウタは、両親に金銭的な負担をかけていた事を申し訳無かったと振り返っている。