ユウタ、離婚。
幸せな時間はそう長くは続かなかった。双極性障害による影響で、ユウタはヒトミをないがしろにして、浮気やギャンブルを繰り返した。
もちろん、ユウタにも子供が生まれ父親の自覚と責任はあった。子供と同じ位の愛情をヒトミにも注げれば良かったのたが、躁状態を放置してユウタは自分の欲求のおもむくままに、突き進んだ。
無論、夫の不貞をヒトミは感じてはいた。だが子供の手前その不貞を正せずにいた。そこに双極性障害が重なったものだから、ヒトミの我慢も限界に来てしまったものだから、ヒトミはユウタに離婚の免罪符を突き付けた。3人の子供の親権はヒトミが持つ事になった。
子供達もまだそう大きくはない2014年(ユウタ33歳)の時に離婚が成立した。となると、ユウタはどこで生活を送って行けば良いのか?そこは実家の両親の元へ転がり込み何とかなった。よくあるパターンではあるが。
仕事もまだ続けていた為、扶養していた家族の分手取りの給与は少し増えた。とは言え、病識(病気に関する知識)はほぼなく、俺テンション高いな位しか思っていなかった。夜は眠りが浅く覚醒状態になり、いよいよ、両親に暴力をふるうようになり手に負えなくなったユウタの両親はM病院への紹介状を書いてもらい、ユウタをM病院に医療保護入院させる事になった。
最初の担当医はN藤先生だった。N藤先生はM病院の元院長であり、当時は名誉院長だった為ユウタも安心して治療に取り組む事になったのであった。