92話 ~3章~ 白面鏡と黄金竜
騎王アラソルディンが厚みのあるはっきりとした声で聞かせてくれた。
十日ほど前、騎王国の国宝、白面鏡が竜に奪われたと、王は語る。
「心の内を話せば、あんな鏡、儂はどうでも良いのだがな……愛剣が奪われなら話は別だが」
そうは言っても王と違って周りが黙っているわけがない。
王は民の代表であり、民が望むのなら応えなければならない、とアラソルディンは言う。
白面鏡が奪われた時。
その時、騎王国では一年に一度の正騎士試験が開かれていた。
天覧試合にて現役の正騎士と正騎士候補が打ち合い、その腕を認められれば正騎士となれる。
この試験は騎王国の重要な催事の一つである。
城下町の大広場で開催され、都市民も騎士の剣戟を見て楽しむ一日となるはずだった。
だが、突如として飛来した黄金の竜が白面鏡を飲み込み、瞬く間に去っていってしまったのだ。
白面鏡は騎王国の大事な宝物だ。
騎王の鏡への関心はどうあれ、この白面鏡に姿を映された者はその間に嘘がつけなくなる、という神秘の力を秘めた国の宝なのだ。
その日、もし晴れて正騎士になれた者が居たのなら、伝統に則り、騎王と白面鏡の前で噓偽りのない正騎士の誓いを挙げ、叙勲式が執り行われる運びとなっていた。
ここまで話を聞いていた俺は疑問に思った。
竜は強大な生き物だ。なまじの人間が敵う相手でないことは知っている。
だが、白面鏡が奪われようとしていた時、騎王アラソルディンは何をしていたのだろうか。
これほどの男が居ればいかなる竜とて相手では無いと思ったのだ。
「儂が居眠りしておらねば、こんな面倒にならなかったのだがなぁ……」
悪びれもせず王は言った。
寝ていたのか……。
その後、竜の体の大きさや、竜の飛来でパニックを起こした民衆の話なども聞いたが、それでも一向に起きることはなく、様々なことが終わった後で王はようやく目を覚ましたらしい。
「これは言い訳なのだが、儂はなぁ……つまらぬ戦いを見ていると眠気に襲われて寝てしまうのだ。今回の正騎士試験は酷かった。家柄だけで推薦されたつまらぬ者ばかり……正騎士の座に忖度はない。強くあることだけが正しき騎士の姿である……だから寝てしまったのだ!」
凄いなこの人。
何十年か経ったらアッシュもこういう事を言い出すのだろうか。
「その後はもう色んなところからチクチクと言われてなぁ。久々にむしゃくしゃした勢いで叩き切ろうかと思った程だ。さすがに止めておいたがな」
洒落にならない。
騎王アラソルディンが斬る気はなくとも、ひと睨みすれば泡を吹いて倒れる者は居るだろう。
「……と、まあ……そんなところだな。アラゴルスタンが騎士と近隣の傭兵を集めて数日後に黄金竜の退治に向かう。……儂が行っても良かったのだが、竜と戦う機会もそうない経験だ。未来ある息子に譲ったというわけだ。六王連合の諸君も暇なら手伝ってくれ」
俺はピンと来た。
カトレアも同じように連想したことだろう。
イスタリオスが放った言葉『騎王国へ行け』とは、この黄金竜のことを指していたのだ。
黄金竜の特徴を聞いてますますその説は濃厚となる。
なぜ黄金の竜なのか。
それは見たままの姿を指している。
竜の強靭な鱗の上に、各地から集めたと思しき莫大な量の金貨や財宝が張り付いている。
翼も腹も、しっぽの先まで金色に輝いているらしい。
家を四、五軒も寄せ集めたほどの巨体。そんな巨体が宝物で覆われているのだ。
しかも白面鏡を丸呑みだ。腹を捌けば金銀財宝が溢れ出て来ること間違いなしである。
この黄金竜の討伐こそが、負債の呪いを解く近道で間違いない。
俺はカトレアと顔を見合わせ、互いに頷く。
「儂が直に依頼したのでは断るに断れんだろう? アラゴルスタンか他の正騎士にでも詳しい話を聞いて決めれば良い」
確かにその通りだ。
この王に頼まれて断れる者がいるだろうか。
おおむね引き受けるつもりだったが、討伐対象の黄金竜についてもう少し詳しい情報を得てから判断した方がいいだろう。
話もだいたい終わったな。
そろそろ退室して黄金竜の話を聞いてみよう、と思っていたらアラソルディンが思い出したように本来の謁見理由を聞いてきた。
色々あってすっかり忘れていた。
マーキル教皇から俺たちの紹介状を預かっているのだ。
紹介状+近況の報告をしたためた手紙、のような書状を渡すとアラソルディンは嬉しそうに目を細めてそれを読んでいた。
本来はこの書状が六王連合の身の証と取り計らいを担ってくれるはずだったのが、ヴィクトールという顔つなぎ役やアッシュの暴走などもあり、ほとんど不要になってしまったな。
まあ旧知の友から文が来て喜んでもらえたのが何よりか。
俺たちは何度も何度も頭を下げ、非礼を詫び、それからようやく謁見の間を後にしたのだった。
どっと疲れた……。
「アッシュ……本当にお前は……もうちょっと器用に生きられないのか……アラソルディン王が寛大じゃなかったら今頃は首と胴が離れてるぞ? あの人にはそれが出来た。しかも、易々とだ」
「……仕方ねえだろ……俺は何で生き返ったんだ? お前らが俺を生き返らせたんだぜ? 俺はな、俺とお前らにだけは嘘は言わねえ! 命の恩は返すって言ったろ?」
「……何なんだ、そのアッシュ流、戦闘狂の恩返しみたいなのは……」
アッシュなりに俺たちの事を大切に思っているのは分かるが、コイツの持つ生来の爆発力は時に味方さえ巻き込むほどの威力があると再認識したのだった。
「すっごい強そうな人だったね! 王様!」
俺とアッシュの疲労困憊な様子とは別に、フーディはケロリとしていた。
クロエも似たような調子でフーディと話し始める。
「ねっ! 凄かったね~。わたしにもアラソルディン王が強いの分かったもん。ヴィゴとアッシュが戦ってる時のビリビリした感じが何倍も強くなってる感じっていうのかな? あんな人いるんだね」
「実際どのくらい強いのですか? 例えば、ヴィゴくんとアッシュくんの二人掛かりでも無理でしょうか?」
カトレアが俺を見ながら聞いてくる。
魔術組と体術組が持つ|知見の|相違は著しいな。
「無理。絶対的に、圧倒的に無理。絶対に超えられないような壁がある感じ」
「そんなにですか……なんとも、世界は広いものですね」
ああ、本当に広い。
まさか戦う前から届かないと思うような相手が居るとは、思いもしなかった。
俺が何気なく口にした一言に、アッシュは妙に執着した。
「かべ……壁、か。確かにな。壁一枚ある感じだった。アイツの領域に行くには……壁一枚、けど、その壁の差は絶対的なモンだ。それをどうにか出来る奴があのくらい強くなれる、そんな気がする……」
「……アッシュ……色々考えてるとこ悪いが、また突っ走ったりしな――」
「ヴィゴ……お前なあ……ごまかしてんじゃねえよ。お前だって同じだろうがよ」
まるで敵に向けるような目をして、アッシュが言う。
「……同じって何がだよ」
「おい、マジで言ってんじゃねえよな? そこまで腑抜けたわけじゃねーだろ!?」
……あぁ、クソ。本当にこの馬鹿は……。
俺が黙ったままで居ると乱暴に胸ぐらを掴まれる。
「スカしてんじゃねーよ! 俺とお前の土俵が違うのは分かってる。けどお前も考えたはずだぜ? アラソルディンを殺れるかどうか、お前の領域で考えたはずだ! それでも敵わねえと思ったから動けなかったんだろうが!! 違うかよ!?」
本当に……こいつは……ズケズケと言ってくれる。
「お前にも矜持があんだろうが! アラソルディンは神じゃねえ! だったらお前は殺せなきゃ駄目だろうが! それがお前の役目だろうがよ!! 俺が間違ったこと言ってるか!?」
襟元を掴まれた手を殴って払う。
「デカい声を出すなよ。お前みたいに喚いて強くなるんだったらそうしてるよ」
「でけー声も出せねえような奴は強くなれねーんだよボケ」
本当に苛々させられる。
胸中が暴かれたこともそうだが、何も俺だって考えていなかったわけじゃない。
隠遁術を駆使すれば誰だって排除してみせる。
それが俺の持ち合わせている自負だった。それを打ち砕かれた。
それを……他でもない俺が――
「分かってんだよ!! このままじゃダメなことくらい!! お前に言われるまでも無いんだよ!!」
思わず手が出ていた。
アッシュの横っ面を思い切り殴りつけていた。
「……痛ェなオイ……やる気かよヴィゴ? いいぜ……俺もお前も次の段階に行かなきゃならねえ。喧嘩すんのも糧になるかも知れねえよな。……俺らより上の奴が出て来やがった。明確に、圧倒的に上の領域に居る奴だ。追いつかなきゃ気が済まねえ、このままで居られるわけがねえ」
アッシュは「来い、広いとこでやろうぜ」そう言って歩き出した。
俺も黙ってついていく。
クロエが焦りながら止めようとしたが、俺は努めて冷静に、そして笑顔で言った。
「大丈夫。もう頭は冷えてるよ」
思いのほか平然とした顔で返答があった事に、逆にぎょっとしていたようだった。
「えー……ヴィゴ? な、なんでアッシュと戦うの?」
「ん~……まあ修行だな」
「えっ、意見の衝突で……喧嘩するんじゃなくて……?」
「いや、別に衝突してるわけじゃないんだ。というか意見なら一致してる。俺もアッシュももっと強くならないとな~って思ってるわけだし」
クロエが理解不能な顔で首を傾げている。
理解が及ばない、という一点だけを抑えたカトレアがフォローする。
「あれですよクロエ。筋肉理論です。ヴィゴくんも一皮剥けばアッシュくん的なところがありますからね……。私も何だかよく分かっていませんが、たぶんこの先も分からない事なので、こういう物なんだなと思っておけば大丈夫ですよ」
そうそう、たぶん伝わらないだろうし、そんな物だと思って貰えればそれでいい。
城の中庭、そこでたまたまエレンイェルを見つけ、動き回るのに使えそうな場所へ案内して貰う。
「灰銀の籠手は使わねえ、お前も刃物は使うな。後は何でもいいだろ? 別に死にたくねぇしな」
「ああ、それ以外は何でもありだな」
アッシュと向かい合う。
まさかお前と戦うことになるとはな。
これも良い経験だ。
「それじゃあ……」
「……やろうか」
俺とアッシュ、思いがけず戦いの火蓋が切って落とされたのだった。




