61話 ~2章~ 撫でられ癖のあるフーディ
黒いワンピースドレスを着たフーディを持ち上げながら、俺は感動していた。
「フーディ……可愛すぎる……!」
俺たちは服を買いに店に来ていた。
【淑女蟻装具店】という変わった名前の店だ。
カトレアが酒場を回っている時に評判を聞いたそうで、ここは質が良くて値段も抑えめの優良店だそうな。とはいそれは服一枚に銀貨七枚をつぎ込む女の意見なので俺からすると高い値段設定だった。
だが、このフーディを見ているとそんな後ろ向きな意見も吹き飛ぶ。
「このツルリとした質感の黒い生地にフーディの豊かな金髪がよく映えている。
ドレスの無駄を排したデザインがまたいい、
小さなフーディに着せればそれはまるで良家のお嬢様だ。
着慣れない雰囲気が背伸びしてお洒落をしたのだな、という背景を想像させられる」
「な、なに言ってんのヴィゴ? 何か様子おかしくない?」
フーディはポカンとしていた。
「座ってみろ、フーディ。ほら、あそこの椅子だ。膝の上に手を添えて座るんだ。深く腰掛けちゃダメだぞ? 浅く腰掛け背筋を正す。足を開かずにな」
フーディを立派な椅子に座らせ俺の言う通りのポーズを取らせる。
良い! ぎこちない顔がまた良い!
あぁそうそう! すまし顔もモチロン良い!
俺は叫んだ。
「絵描きを呼べぇッ! 今すぐに!! うちの子の晴れ姿を残さずにおけるか!!」
「あ、呼ばなくていいです。すみません大丈夫です」
俺が呼びつけた店員に向かってカトレアが頭を下げる。
「どうしたんですかヴィゴくん? クロエ並に暴走してるじゃないですか。落ち着いて下さい」
それで俺はハッとした。
妙にテンションが上がっていたようだ。
いつも見た目に無頓着なフーディが綺麗な服を着て髪も少し整えてもらったので見違えたように可愛くなった。
言うまでもなく元から可愛いのだが、手を入れてやるとここまで光るとは思わなかった。
カトレアが声を抑え、こそっと言う。
「フーディちゃんをあれだけ褒めたんですからクロエの方も頼みますよ?
……ほら、物凄くこっちを気にしてます。
クロエの機嫌をとっておけばこの後も乗り気でやってくれるかも知れませんしね」
なるほどね。
円滑に物事を進めるための気配りに余念がない。
「分かった。それじゃ褒めにいってくるか。
……その前に、カトレアも良く似合ってる。いつにもまして綺麗になった」
去り際に耳元で囁いたが、ちょっと不意打ちだったのか「当然です」の返答には多少の照れが含まれているのを感じ取れた。
フーディ、クロエと褒めるならカトレアのことだって褒めるさ。
――
――――
上等な黒に身を包んだ俺達が街を歩く姿は注目を引いた。
自分で言うのも何だが俺たちは見栄えが良い。貴族の子女が連れ立って歩く様に見えることだろう。
全員が一様に黒のドレスとスーツで統一したのは四季麗人会の持つ公的な空気を感じ取ったためだ。
落ち着いた混じりけの無い黒であれば失礼という事もないだろう。
人は外見が全てでは無い。
だが、外見とは、相手の中身を知らない場合における判断材料の全てだ。
道行く人にペリゴール家の屋敷の場所を聞けば誰もが襟を正して教えてくれるのが良い例だな。
通常、一般人が高級服に袖を通す機会はそう多くない。先ほど【淑女蟻装具店】で俺たちが支払った金は羊が五頭も買えるくらいの金額だった。
そんな物を着て歩くほど金に余裕がある人物、そうなると力のある貴族なのではないか? と予想する。
予想したのなら貴族かも知れない人に失礼をしてはいけないと頭が働く。
よって人々の対応が変わってくる。
信用と信頼の全てが外見で決まるとまでは言わないがとても重要なことなのは言うまでもない。
そんな話をフーディにしながら歩いたが、分かったのか分からなかったのか何とも微妙な反応だった。
まだまだ色気より食い気といった感じなので仕方がないか。
いつもの癖でフーディの金髪フワフワ髪を撫でようとして、そう言えば今日は整えてもらっていたのだった、と思い出し慌てて手を引っ込めた。
だが、俺が撫でる癖ならフーディは撫でられる癖とでも言えばいいのか、空中で止まった手に「ありゃ?」という顔をした後、あちらから頭をグイと近づけてくる。
俺は悶えた。
我慢を重ね、辛うじてポンポンと髪が崩れないよう優しく触るだけに留めるのだった。
まったく今日のフーディは構いたくて仕方がない程に可愛い。
さて、そんなこんな、あれやそれや話をしていたらペリゴール家の屋敷の前に着いた。
主教八家、侯爵家相当の家柄ともなれば屋敷の構えもなかなかの物だな。
「それで? 屋敷に着いたのはいいが、ここからどうするんだカトレア」
今日の上等な服でまさか忍び込めとは言うまい。俺もさすがに一張羅を初日で汚したくはない。
「クロエとヴィゴくんが知り合いのていで取り次いで貰いましょう」
「え、そのまま突撃なのか? カトレアにしては珍しく雑だな」
「話を聞く限りクロエに気がありそうですし、わざわざ相手からやって来たと知れば喜んで迎えてくれそうじゃないですか? それに、もし会えなくてもヴィゴくんが後で忍び込めば何でもかんでも解決しますもの」
なんか最近とりあえず俺に隠密してこいって感じ多くないか?
いやまあそれが仕事だし手っ取り早いから問題ないのだが。俺も好きだしな。
「今日の私たちの出で立ちなら執事の方も勘違いすると思うんです。
いかにもラルフ様を知っている顔をして堂々としていればどこかの貴族家の者が来たのかな?
と考えてくれるでしょうし、通してくれなくてもクロエの訪問がラルフ様の耳に届けば遠からず門を抜けられると思いますよ」
そこまで聞くと確かに、と納得できる。
雑とは言え行き当たりばったりではなくて次が繋がるよう見越している。
クロエと俺は軽く打合せをし、いざ屋敷へ。
「ラルフ様は居るかしら? 銀の髪を持つ女が来た、と伝えなさい」
銀の髪をした人間は非常に珍しい。
余所行きの服を着て歩かなくても後ろ姿だけで目立つほどにクロエの髪の色は希少だ。
話が通るなら感づかないわけがない。
そして意外と演技派だな、クロエ。
屋敷の門を任される下々に敬語を使う貴族など居ない。
だが、家の品格を損なような居丈高ではならない。あくまで平然と、若い給仕人には分からぬ事と判断してもらい上に話をあげて貰う必要がある。
どこか冷たい空気を放つ美人が急にやって来てラルフを出せ、という要求はすぐさま受け入れられた。
給仕人は俺たちがどこの誰かを問うまでもなく、慌てて屋敷に確認へ向かう。
名のある名家であれば「あなたどこの誰ですか?」と聞くこと自体が失礼になる場合もあるので今の給仕人の判断は正しい。
クロエの美貌と風格が一定のラインを超えている証明だな。
結果はどう出るだろうか。
良ければ案内役が現れて連れていってくれるだろう。
悪ければ不在のため本日はお帰りを……だろうな。
ところが結果は思いもせぬ最良だった。
屋敷の奥から慌てて走ってきたのか、ラルフは息を弾ませて現れたのだ。
まさかペリゴール家の御嫡子が御自らご登場あらせられるとは思いもしなかった。
ラルフのような立場のある若様がこういうことをしては家が舐められるとか色々あるのだが、裏を返せばそれだけクロエに特別な対応をしているということでもある。
ゴクリ、こちらに唾を飲む音が聞こえそうなほど一拍を置きラルフは言う。
「まだ名も知らぬ銀の君が、こうして足を運んでくれるとは……今日ほど神を信じた日は無い」
まだ名も知らぬ銀の君と来たもんだ。
さすがにお貴族様ともなれば洒落た言い回しを心得ているものだな。
ラルフは今すぐあれこれ聞きたい欲をぐっと抑え、俺達を屋敷に案内する。
中に入ってすぐ左に応接室があり、椅子に掛けて待つよう促される。主教八家ともなれば来客も多いのだろう。使いやすい部屋の配置、客の目に入る家の顔とも言えるこの部屋の調度品は中々の物だ。
飲み物と茶菓子がやって来てラルフも席に着いた。
先程とは打って変わって落ち着いた様子だ。
奥で気持ちを切り替えてきたのだろうな。
「まず、君たちの名を聞かせてくれ」
クロエから順に俺達は名を明かす。
ラルフは一人一人にしっかりと目を合わせ、多くは聞かずに次の事を話した。
「クロエさん。君たちが来た理由を話してくれ。僕に何か頼みたいことがあるのだろう?」
先に言われてしまった。
クロエから仕掛けて気を良くしてもらった後に言い出そうと思っていたのだが、ラルフの持つ空気は舞い上がることもなく冷静さを保っていた。
「これでも教国エドナの聖職貴族にあるペリゴール家の跡継ぎだ。
父ほどではないが腹芸が出来ないわけではない。
街で会っただけのクロエさんが僕を訪ねて来るなど、何か頼み事があっての事としか思えない」
クロエがすまし顔で俺を見る。
顔こそまだ取り繕えているが、目の奥がすでに助けを求めているのだった。
うーむ、まあ無理だな。
上手いこと取り入りたかったがここまで直接的に来られると打つ手がない。
俺がカトレアに視線をやると目で「了解です」と返って来た。
「では、端的に申します。私たちを四季麗人会に招待して貰えませんか?」
「……会に参加したい理由を聞こうか」
「マーキル教皇にお目通り叶いたく……私たちは商人連国ゴルドルピー王家からの書状を預かっているのですが、大聖堂では面会の目途が立たないことを告げられました。
火急の用にて参った次第ですが、これでは務めを果たすことがなりません。
主教八家のラルフ様であればご助力を頂けるかと存じ参じました」
よくそこまでスラスラと出てくるものだ。
こういう時のカトレアはいつもの柔和な雰囲気が消えて別人のように見える。
ラルフは手を顎の下に置き、考えてから口を開く。
「一応、君たちも身の証はあるわけか。
……身なりからしてどこか他国の貴族かとも思ったが、
それなら従者もなしに歩くことは考えにくいし、
そもそも急な訪問もしてこないか。……火急の用とは?」
「申し訳ございません。
ゴルドルピー王家の意向もありますため、伏せさせて頂ければ幸いにございます」
上手いな。
さすがにアッシュの事を話すわけにはいかない。
王家の秘密だと言われれば侯爵家相当の、それもまだ家督を継いでもいないラルフが無理に教えろと迫ることは出来ない。
内容次第ではどれだけの事柄に首を突っ込むか分かったものではないのだ。
まだ少ないやり取りしか交わしていないが、ラルフはそんな考えなしの愚物ではないように思う。
「……なるほど、それは確かに僕が覗き見て良い代物ではないな」
思った通りの反応を示してくれる。
「四季麗人会に君たちを招くことは可能だ。主教八家にはそれぞれ各家から招待してよい枠が設けられている。父ほどではないが僕にもその権限は与えられている。その一枠を君たちに譲るのは簡単なことだ」
ラルフは一度ここで話を切った。
言葉を選んでいるように見える。
「君たちに……いや、クロエさんに、かな。ひとつ提案……違うな、交換条件を……」
言い淀むラルフはまたも言葉を止め、ついに意を決して口を開く。
「……クロエさん。出会って間もなくする話でないことは重々承知しているが、言わせて欲しい。僕は君に惚れてしまった」
おお、言い切った。
きっとそうなのだろう、という事は分かっていたがはっきり口にするとは思わなかった。
今まで部屋の内装をキョロキョロと見まわしていたフーディが驚愕の表情でラルフを見ている。それからクロエを見て、もう一度ラルフを見て、またクロエを見て、と首をブンブン振って事の成り行きを見ている。
クロエが答えようとしたところをラルフが制する。
「待った! もう少し聞いて欲しい。交換条件というわけではないが、君たちが四季麗人会に参加できるように僕から招待をしよう。
……本当の事を言えば、交換条件としてクロエさんと婚姻を結ばせて欲しい。
さっきはそう口走りそうになったが、政敵ならいざ知れず、
好きな女性の心を考えもせず嫁いでもらうなど、男の風上にも置けぬ卑怯者だ」
おいおいコイツ。
めちゃくちゃ清々しい男だな。
「四季麗人会まで数日の時間がある。答えはその時に聞かせて欲しい」
涼風一陣。
ペリゴール家の屋敷を後にした俺達が感じたのはそんな言葉だっただろう。
海千山千のしたたか者が多い貴族の中でも、ああいった手合いが居るのだな。ラルフは見たところ成人したてくらいだろうか。
若輩がゆえの気風ということもあるだろうが、筋を通そうとする気持ちのいい人物だったのは言うまでもない。
……求婚されているクロエを見て、焦りにも似たチクリとした痛みが一瞬だけあったのだが、俺はそんなことをおくびに出すことはない。
カトレアだけが意味深にニマニマと俺を見てくるのみだ。やめろカトレア、意地が悪いぞ。




