43話 ~2章~ 教国エドナの内情
馬車の旅の一日目が終わる。
予定通り小さな町に到着し、俺たちは翌朝の集合場所からほど近いところで宿を取ることにした。
酒場が併設されていない素泊まりの宿なので自分たちで食事を作る。
一階の広間が談話室兼、調理スペースとなっているのだ。
フーディが芋の皮を剥きながら聞いてくる。
「十日間だよね? エドナ教国に着くまで」
「ああ、しばらくはこんな生活だな」
「色んなとこ行けて楽しい! 大きい街も通ったりするのかな?」
「いや、教国に着くまでには小さい町か村ばっかりだな。野宿する日もある」
「そうなんだぁ。なんか大変そうだね」
なんで他人事なんだ。
ついでに言うと旅順のことは前にも説明したんだがな。
まあフーディなので別にいいが。
ふかした芋にチーズ、それから干し肉と野菜のスープ、デザートに果物が今日の夕餉だ。
初日から贅沢し過ぎだろうか。
俺たちの他にも宿屋の利用客はいるが、どこを見てもこんな豪華な物は食べていなかった。
食卓を囲む俺たちを見て宿の主人が「今日はお祝いかい?」と聞いてくる程だ。
昼間に馬車の上でナックが言っていた「浮いている」というのは、こういった基本的な生活の質のことも含まれるのかも知れない。
お腹が膨れるとすぐに眠くなってしまったのか、フーディがうとうとしていたのでティントアに部屋に運んでもらう。
このままいくと、いつか丸々としてしまうかも知れない。
それはそれで可愛いと思う。
食事の後片付けも済んだところでクロエから散歩に誘われた。
特に断る理由もない。
「散歩にはちょうどいい大きさの町だな」
「町が大きくないと明かりが少ないね」
確かに、言われてみるとゴルドルピーの城下町より数段は暗い。
「……暗くてこわぁい」
「はいはい」
これ見よがしな理由で肩をよせてくるクロエ。
この程度の夜の暗さをいまさら恐がるとは思えない。
森の中で野宿したこともあるのだ。
「クロエは、今日はどうだった? 馬車の旅の一日目について」
「んー? まあ快適だったよ。座ってるだけで町まで着いたし」
「乗合馬車も悪くないだろ?」
俺がそう言ったら、腕を強めにぎゅっと抱かれた。
「今のところはね。……わたしさ、基本的に皆のことしか信用してないんだ」
「馬車で一緒の三人のことか?」
「うん。別に悪い人たちじゃなさそうって思ってるけど、本当のところはどうなのか分からないじゃん? ゴルドルピーのロジェの件もあるし……ね」
羊の皮を被った狼というのはどうしたって一定数いる。
現に俺たちが被害を被ったわけだ。
「そうだな。すぐに人を信用するのは良くない。でも腹を割って話さなくても情報交換はできる。乗り合わせた人たちは、俺らと比べれば普通の生き方をしている人たちだ。世間一般的な常識を得るためにも大事なことだと思う」
「うーん、そだよね。……ナックさんが言ってた、フツーの旅人には見えないってやつ。あれって実は重要なことだと思う。……謎の魔術師たちが生き返らせたって時点で、わたしたちが全部フツーになるのは無理かもだけど、世界に馴染む努力はしておかないと」
クロエがその辺の感覚を持ってくれているなら問題ない。
すぐさま何か悪いことが起きるわけではないにしても、知らないうちに小さな見落としが積もって大きな損失になりそうで、そこを恐れているのだ。
「そういうことならクロエも明日からは馬車の団らんに参加してくれ」
「え~? あんまりやる気ないなぁ。普通のおじさん達だし、ヴィゴとイチャイチャしてる方が楽しいよ。カトレアに任せちゃえばよくない?」
「ダメだよ。そのうちカトレアの負担がデカくなりそうだし、こういうのは皆で気を付けるからこそ意味があるんだよ」
「ヴィゴって真面目だよね。カトレアは要領いいし、無理するタイプじゃないと思うけどなあ」
「はいはい。おんぶでも抱っこでもしてやるから、素直に聞いてくれ」
「それならいいよ!」と、安い報酬で動いてくれるのはクロエのいいところだ。
おんぶのまま小さな町を一周する。
仕方がないとは言え、ゴルドルピーの城下町と比べれば見るものは少ない。
日が完全に落ち切り、僅かばかりの露店が店じまいをするのを見て宿へ戻る。
「おんぶされながら言うのも何だけど、ヴィゴって疲れないの?」
「このくらいなら別に全然。逆に、なんでおんぶで歩き回ってんだ? って周りの目のほうがしんどい」
「そっか。疲れてないなら良かった!」
後半は耳に入らないらしい。
「でも、重い物とかも全部ヴィゴに任せちゃってるじゃん? ……アッシュ運ぶのとか」
アッシュ亡き今、彼を運ぶ役目は俺になっている。
蘇生してもらうためにはアッシュの死体が必要だからだ。
大きな麻袋の中に死体が入っている。
外から見た限りでは食料の入った大きな麻袋にしか見えない。
ちなみに、死体の防腐処理は死の専門家であるティントアが行ったので抜かりない。
「炎天下の野原に転がしても半年は腐らないようにしておいたよ」と、ティントアが自分の仕事に満足したような口調で言うのが少し面白かった。
「アッシュを運ぶくらい大したことじゃないさ。一日中担いで歩けってなると大変だろうけど」
この馬車の旅の中、アッシュ運搬の瞬間はそんなにたくさんあるわけではない。
荷台に運ぶ時、宿の部屋に運ぶ時、そのくらいだ。
「でも、わたしじゃゼッタイ無理だし、そもそも、たぶん持ち上がんないよ」
「ま、適材適所だ。ティントアの防腐処理の技術は他の人に出来ないことだし、重い物を持つのは俺がやればいい話だし、皆が安心して寝られるのはクロエが結界を張ってくれるから、だしな」
役割は誰にでもある。カトレアにもフーディにも。
むしろ、重いものを持つなんていう役に最適なのは、本来のところ俺ではないのだ。
アッシュがやっていることを俺が肩代わりしているに過ぎない。
俺が得意なのは斥候、尾行、隠密潜入、暗殺、などなど。
……あとたぶんスリとかも得意だと思う。
アッシュの強みは、俺には難しい。
突発的な状況で、誰もが尻ごみする瞬間でも、アッシュは誰よりも早い一歩目を踏める。
圧倒的な我の強みで他人を引っ張り上げる力強さがある。
それは、俺にはないことだ。
「わたしより、誰より、アッシュを待ってるのはヴィゴだよね」
宿に着いて、俺の背から降りる時にクロエがそう言った。
何気ない一言だったのだろうが、寂しさを見透かされたようで気恥ずかしくなった。
「わたしもう寝るね。なんか、おんぶされてたら眠くなっちゃった」
クロエがあくびを噛み殺しながら部屋に入っていくのを見送る。
俺もそろそろ寝るつもりだが、喉の渇きを覚えたので一階の談話室に寄る。
茶を淹れようと思っていたらカトレアと、それからアウール司祭も一緒だった。
同じ宿だったのか。
「ああ、ヴィゴさん。こんばんは」
司祭の髪は老いによってもたらされた白髪が多い。
目尻の皺を深くして笑むその姿に、人としての年季を思わせられる。
軽くお辞儀して挨拶すると、アウールはちょうど席を立つところだったらしい。
「私はこれからお祈りの時間なので、失礼致します。明日も宜しくお願い致しますね」
エドナ教の教えには隣人を愛せとあるのだろうか。
礼儀正しい姿は心地がいい。
「アウール司祭からエドナ教国の話を聞いていたんです。昼間の時、わたしたちが巡礼者ではないと知った時に、司祭が「それは良かった」と仰ったのを覚えていますか?」
頷いて返す。
俺も気になったので印象に残っている。
「なんでも、いま教国の中ではエドナ教が二つに分かれているらしいんです」
教派が出来たのか。
カトレアの話に予想がつく。
「今から、だいたい二十年前だそうです。エドナ教は元々の教えを守る伝統派のエドナ=ミリア教と、改革派のエドナ=ファドラ教に別れたそうです」
「あぁ……巡礼者かって聞いた時、アウールさんは反対派の信者かどうか気にしてたのか」
「ええ。同じエドナ神を崇めているわけですけど、考え方が違いますからね。エドナ=ミリアもエドナ=ファドラも、ここ数年、派手な衝突はしていないそうですが、もし狭い荷台で反対派の信者とずっと一緒だったら……と思うと、息が詰まるでしょうね」
ちなみにアウール司祭は伝統派のエドナ=ミリア教徒だそうで、俺たちが持つ教団への紹介状、ゴルドルピー王家が一筆書いてくれたのもエドナ=ミリア向けのものだそうだ。
誕生してからまだ二十年のエドナ=ファドラより、伝統派のエドナ=ミリアが王家と親交を持っているのは自然な話だ。
「司祭様から聞いた話を私の言葉に直してざっくりお伝えしますね。
ミリアはエドナ神とその母、聖母サリザが崇拝の対象になっていますが、
ファドラはエドナ神以外の人間は皆平等という考えから聖母を重要視していません」
エドナ=ミリア教とエドナ=ファドラ教の違いについてカトレアが教えてくれる。
「物凄く簡単に言いますと、聖職者が持つ特権を否定しているのがエドナ=ファドラ教。
エドナ神だけが特別であり、聖母も、聖職者も神ではない。
だから偉そうにしないでくださいね! というのがエドナ=ファドラ教だそうです」
金の匂いがしてきたな、と思ったら続く説明で案の定だった。
「聖職貴族と商人の癒着による富の独占を好ましく思っていなかった中小貴族の一派がいたそうで、特権の恩恵を自身たちも受けられるように新たな教義を作り出した、それが改革派エドナ=ファドラの始まりみたいです」
皮肉な話だ。
聖職者の金儲けを否定する奴らは新しい教派を作ったが、結局、同じことをやっているわけだ。
「改革派エドナ=ファドラ教は出来た経緯こそお金が絡んでいますが、聖職者の特権の否定をすることで、どんな貧しい人にも信心がある、という主張が民衆に受け入れられて勢力を伸ばしているみたいです」
「なるほどね。……カトレアは放っておいても仕事してくれてるよな。頼りになるよ」
「間が良かっただけですよ。仕事しない子が居たんですか?」
「いいや、けど、全員がカトレアだったら色んなことがスムーズに進んだのかな、とも思う」
「そうかも知れませんね。でも、きっと面白くないですよ? 私はヴィゴくん以上に安全策を取るタイプですから、平和すぎてあくびが出て来ちゃうかも?」
「そりゃ願ったり叶ったり、だ」
アッシュが居なくなってから、決め事はとても簡単に済むようになった。
九割はそれでいいと思うが、一割ほど物足りなく思うのも正直なところだ。
「アッシュくんが居たら……って思っちゃいますよね?」
お前もか、カトレア。
ただのタイミングかも知れないが、何だか俺が一番アッシュに会いたがっているみたいじゃないか。
妙なばつの悪さに頭をかいてみるが、俺の心を知ってか知らずか、カトレアは優雅な手つきで茶を一口飲んでクスクスと笑うだけだった。




