31話 蝶々が超いっぱい
アッシュを置いて剣術道場を後にする。
クロエと二人、特にアテもなく歩いていると人並みに流れて大通りに出た。
「さすが城下は人も多いね」
人の多さにきょろきょろしながらクロエが言う。
確かに、その辺りもサドンの街と比べて差があるところだ。
「はぐれちゃうね?」
そこまでの人ではないと思うが。
「はぐれると困るから手、繋ごっか」
「……はぐれないと思うから手、繋がないでいいと思う」
「えー? じゃあ、おんぶして」
やけに素直に言えるんだな。
王都までの道中は人目があったからだろうか。
今も当然、人は多いが、見知らぬ人は数に入らないのかも知れない。
別に手ぐらい何ということもないが、簡単に応じていてはその内に要求がエスカレートしそうである。どうしたものかと考えていると、いつかの話を持ち出された。
「ほら、ヴィゴ前に言ってたじゃん。にの腕さわってもいいって」
「にの腕と手は違うだろ」
「じゃあ、にの腕と交換、だから繋いでいい?」
まあ、それなら良いか。
これで貸しは無しだ。
俺の差し出した左手にクロエの右手が伸びて来る。やはり指は絡めるらしい。
性別が違えばここまで質が違うのか。
繋がれた手の滑らかなこと、クロエは女の中でも背が高い方だが、それでも俺の手と比べればこんなにも小さい。五指に触れる白く細い指が頼りなく感じ、つい力をいれてしまった。
「ん?」
「いや」と返す。
その後の言葉はうまく出てこなかった。
クロエの手が小さくて、どこか儚げに感じて……それで確かめるように掴んだのだろうか。俺にもよく分からない。
宿屋の前にある、二人座りの長椅子に腰掛け、手を繋いだまま通りを行く人をただ眺める。今のクロエはよく落ち着いている。いつもこうなら、俺もわざわざ渋るような真似はしなかった。
……クロエの親指が、俺の親指からゆっくりと外れる。もう気が済んだのかと思ったが違う。外した指の腹で俺の手のひらを探るようにこする。悪い癖のほうかと思って窺ったが、思い過ごしだった。悪戯な笑みを浮かべてはいたが、雰囲気は優しいままだ。
「くすぐったい? こういうの」
俺の反応を見て楽しんでいるようだ。
手の平を、指でくすぐられる。子供の頃には誰だって経験していそうな事だが、過去の俺はどうだったんだろうか。
くすぐられる事に「いい」も「だめ」も言わず、クロエの好きなようにさせてやる。
今日はけっこう歩いたからな……。
少しだが戦闘もしたし、こういう緩やかなやり取りが心地いい気がした。
大丈夫には見えたが、クロエが疲れていないか少し心配もしたのだ。
俺が背もたれに体を預けると、クロエも真似して体を逸らす。あぁ、やっとくすぐるのを止めてくれたか。本当はずっと我慢していたんだ。
目を閉じてうとうとしていると、こちらに近付く足音があった。俺たちの中の誰でもない足音だ。もしかして引ったくりだろうか。
「ヴィゴ! クロエ!」
知っている声だ。目を開けたそこにはジェシカの姿がある。
【樽乗り豚】亭で見ていた彼女と少し違う。なにかいつもより華やかだった。
あぁ、そうか。せっかくの王都だからおめかししているわけだ。
肩に小さなフリルがついたこの服は余所行き用のお気に入りなのだろう。
「まさか城下で会えるなんて、びっくりした。わたし馬車で来たのによく一日で着いたね」
馬車で来てたのか。というかジェシカも城下に行くのだったら一緒に行けばよかったな。驚いたのはこちらも同じ。この人の多さでよくバッタリと出くわせたものだ。
「お金が貯まったからね、お父さんとお母さんに会いに来たんだ!」
心から嬉しそうな笑顔だった。
ジェシカの両親はすでに他界している。金が貯まったということは、また再屋に頼んで一時的な蘇生をしてもらうのだろう。
俺たちも城下へ来る前の町でロジェに会ったことを教える。
広い世界も案外と狭いような気がしてくる。
ジェシカが視線をちらと落とす。どうも繋いでいる手を見られたようで、からかわれた。
「てか、なになに二人して、このお手々はどうしたの~? 仲良ししてんの?」
夕陽に染まって赤い頬をしたクロエが言う。
「ヴィゴが……繋ごうって、言うから……」
おいおいおい、なに大嘘ぶっこいてんだ。
「いや、クロエが言い出したんだ」
「えー、なにそれカワイイ。別にどっちでもいいけど、二人してコイツが~みたいなのめっちゃ甘ったるいんですけど? どっちにしろ繋いでんだよね? お手々。繋いでるもんね? お手々」
お手々って言うのやめてぇ!
背中がむず痒い。物凄く恥ずかしいような気がしてくる。
けれども、いやだからこそか、ここで先に手を離せば逃げた方がからかわれるのだ。
ここはもう多少強引でもいいから話を変えよう。
「……ジェシカはこれから、どうするんだ? 時間がいいなら俺らと飯でも」
「え~、そんな仲良ししてる二人の間にはちょっと入れな――」
「俺ら! っていうのは全員のことだな! 俺たち六人、ジェシカを加えて計七人!」
ハイハイ、と手をひらひらさせて俺の剣幕もどこ吹く風だ。ジェシカってこんなにやりにくい奴だったのか。侮っていた。さすがにふざけるのも止めてくれて、食事の誘いについて返してくる。
「嬉しいんだけど、今日は無理だね。これからさっそく再屋なんだ~」
なるほど、それは俺たちと食事どころではないな。時間にはまだ余裕があるらしいが、早めに行って気持ちを落ち着けたい、と言ってジェシカはこの場を去っていった。
明日も城下には滞在するので食事はその時にでも、という話になった。
ジェシカと別れたすぐ後、三人が帰ってきた。ティントア、フーディ、カトレアだ。その時だ、互いに立ち上がろうとして、繋いだ手はどちらからということもなく解けた。
強い風が吹いているわけでもなかったが、ずっと触れ合っていた体温が無くなり、手に肌寒さを覚える。思わず左手を見そうになって、無理やり視線を切った。
「あれ、アッシュくんはどうしました?」
「あーアイツね、なんかね、何ていうんだろ? 仲良くなってたよ?」
「え? てっきり揉めに揉めに揉めると思いましたが」
揉めが多いな。
「平和的だったなら良かった良かったです。いやーちょっと食べ過ぎちゃいましたよ~」
ハッハッハッハー! とカトレアがらしくない高笑いをしている。
どうしたんだ? そういえば顔が赤い、夕陽のせいと言うにも赤すぎる。そこで俺は合点がいった。ティントアに聞く。
「カトレア、飲んでるのか?」
「うん。かなり飲ん――」
「のんでまえんよ?」
かなり飲んだのか……。
【樽乗り豚】での宴会を思い出す。大抵は完璧にこなすカトレアだが酒癖が悪い。
さすがに趣向品をやめさせるわけにもいかないし。まあこれくらいなら可愛いものか。
「蝶々が蝶々が、超いっぱいですねぇ」
なんとも酔いが極まった発言をしていたのでもう部屋に寝かせて来よう。
フーディもよほどはしゃいだのか少し眠そうだ。城下まで歩いて来てもいるしな。酔っ払いとおねむの子を部屋に置いてきてもう一度外に出る。
二人の面倒はクロエとティントアが見てくれるし、流石にそろそろアッシュのことが気になるので見に行くか……と、次々に世話を焼く自分にふと気付く。
保護者か俺は……。いや、よそう。何とも言えない気分になる。