17話 互いの瞳だけを見つめ合って
目の前に迫りくる豚と、腰を抜かすフレヤ、即座に構えるアッシュ。
「このブタ野郎!」
豚に豚野郎と言うのを初めて見たと思う。
アッシュの蹴りで崖下に叩き落とされ、これで九匹の成果となった。
フレヤは……。
あぁ、もうダメだな。
その顔はもう完全にアッシュのことを――痛い痛い痛い! 俺を叩くなクロエ。
「アッシュもだし! ヴィゴも! わたし連れて逃げる気ないの!?」
「俺にも怒ってんの!? クロエなら自分で何とかできるだろ?」
「そーいうことじゃないの!」
バシバシと叩いてくるクロエをやんわり押さえる。
随分とお怒りなので後で少しくらいはサービスしてやろう。
さあ引き上げだ。ティントアに「いけるか?」と聞くと「あと百倍はいけるよ」と返ってきた。
さすがに嘘だろう。
そして、これ見よがし指を鳴らしてみせるのだ。
やめろティントア、なんでお前までそんな風になっちゃったんだ。
ほらまた子供が真似をする。ほらまたカトレアが笑ってる。
ティントアは肩に乗ったフーディを降ろしてから両手のひらを上に向け、泉から水をすくうような動作で豚たちを操った。絵になる挙動だ。修道服でも着てくれたら祈るように見えたことだろう。
「えっ、え、これ、うそ……これって……」
フレヤとジェシカが二人して声を合わせるのはもはやよく見た光景だ。
一つ一つ驚いてくれるので見せがいのあることだが、今回ばかりは少し毛色が違う感情のように感じた。
俺たちの能力を披露することついて、いくつか気になることがあった。
見た相手の反応、ティントアの死霊術は人の目にどう映るのか、という点だ。
カトレアもそこに思い至ったらしく、笑いを引っ込め警戒心から少しだけ目を細めている。
「ティントアってもしかして再屋の人!?」
ふたたや?
何屋さんだろうか。分からないので素直に聞いてみた。
「あ、そっか、出身がこの辺じゃないからそれも知らないのか。この国なら知らない人いないんじゃないかってくらい有名なんだけど」
ジェシカが熱を入れて説明してくれる。
再屋というのは、死者を蘇らせるサービスを提供しているのだそうだ。
生前、家族に伝えられなかったことを伝える。
遺族も最後にもう一度だけ大切な人と話すことができる。
再び、会える。それで再屋と名乗って商売をやっているそうだ。
人の生き死にを売り物とするなど言語道断との声が無くはなかったが、それでも営業開始からはや五年、再屋のロジェという店主は城下に大きな屋敷を構え、功績を認められ、今では一代にして伯爵閣下にまで登り詰めたと。
それもあってこの国では死体を操る術にも少しは理解が出来たのだと。
確かに死んだ人に会えるとなれば大金を積んでも一目会いたいという要望はありそうだ。
なんと話してくれたジェシカも病で死んだ両親を生き返らせてもらったと言っている。
「ちょっと借金しちゃったけど、でも良かったよ。もう返し終わったし。……お父さんとお母さんに、ありがとうって言っただけなんだけどね。……うん。それで頑張れるって思ったんだ」
思い出したのか、ジェシカの目の端に綺麗な物が滲んでいた。
再屋か。
人に心があるからこその商売だな。
話の流れから言ってやはりティントアに水が向けられる。
「俺も、口寄せの術は出来るけど、損傷の少ない死体で、魂が強い人じゃないと無理。そのロジェって人は国中から依頼を受けてるんだよね? たぶん蘇生術に近い、白魔術の系統だと、思う」
ジェシカの話から、彼女の親の死が最近ということはないだろう。普通、死んでしまった人の損傷を気にして管理するはずもない。なのでティントアの扱える術とは違うということだ。
「ごめんね。俺じゃ、ジェシカに両親との時間は作ってあげられない」
どこまでも優しくジェシカに話す姿にはっとさせられる。
いつも無い表情がこんなにも豊かに、まるで慈しむように綺麗な顔で言葉を選び、ティントアが事実を伝えた。
ジェシカは少し残念そうにし、それから明るく「ありがとう」と言った。
「俺の力が、人を生き返らせるものなら、良かったのにな」
また感情が乏しそうな顔に戻って、呟きが空に溶けた。
ティントアが思う大切なことがあり、真剣になる事柄があるのだと考えさせられる姿だった。
帰りの道は空飛ぶ豚の行進だ。
俺たちは仕留めた豚の背に乗って帰っていた。
ティントアの死霊術は本当に便利だ。死んだ対象が生きているうちに行えていた大抵のことはさせることが出来るらしい。恐ろしい能力だ。どこまで可能か実験したくなる。
「進め! 我が白豚号よ! ブヒーン!」
アッシュはご機嫌だ。行進の先頭豚にまたがり高笑いを続けていた。
ちなみにフレヤも一緒に乗っている。なにかと馬が合うらしくアッシュと会話が弾むようだ。
俺が乗る豚にも他にもう一人、痛い痛い痛い――。
「やめんかクロエ! なんで叩くかねぇ!」
「だって! アッシュのやつ」
「だったらクロエも行ってきたらいいだろ?」
「でもー」とか「だってー」と言葉が続く。
俺は少し気になって聞いてみた。
「クロエが嫉妬深いのはなんとなく、ぽいなとは思ったけど、もうちょっと許してやってもいいだろ? フレヤはいずれ俺たちとは離れていく人だ」
マチルダとの約束通り、いやそれ以上の成果を上げたのだ。これで開放しないとは言わないだろう。もしかしたら今日にもお別れかも知れないのだ。
それでもクロエが「でも」と続くので俺はしょうがなし、と餌を与えることにした。
「膝で寝ていいから、それなら機嫌も治るか?」
「舐め――」
「おかしなことをしたら即終了する。分かったな」
「仕方ないな」と、おい舌打ちするんじゃない。お前は押し頂く方だろうが。
俺が足を延ばして、クロエは体を横向きにして太股の上に頭を乗せた。
ふーと息を吐いて空を流れていく雲を見ているようだ。
「落ち着いたか?」
「興奮してきた」
「じゃあもう終わりまーす」
「ごめんなさい嘘でーす」
言葉の上ではふざけていたが、少しはトゲがとれてきた雰囲気があった。
「わたしもね、分かってるんだ。フレヤはずっとは一緒にいないって。……六人で旅してきたでしょ? そんなに長い時間じゃないし、ていうかまだまだ短い付き合いだけどさ、でもなんか、一本の糸みたいなのがあるの、分かる?」
「分かるよ」
この街への旅路はひとつの死線だった。それを欠けることなく皆で超えられた。その達成感、全員の中にどこか向かう方向性というのか。輪が出来ていたのは肌で感じている。
「なんか、そういうの好きなんだ。それが邪魔される感じがしたのかな」
クロエが実は繊細なことを、俺は知っている。
あの夜、俺の腕の中で卵のようにじっとしていた姿を思い起こした。
「わたし、皆のこと好きなんだ。皆でいると楽しいよ。アッシュが好き。ティントアも好き。フーディもカトレアも大好き。それで――」
わざと一度、言葉を切って。
「ヴィゴが好き」
雲を見ていた目がまっすぐに俺を捉える。
良く晴れた空の明るさが、クロエの瞳の美しさをあらわにした。
透き通るような金色の瞳、まるで宝石のようだ。
クロエのことをよく知らなければ、思わず顔を寄せていただろう。
「ヴィゴって、意外と目、そらさないんだね」
「そらすと思ったわけだ」
「うん。なかなか手ごわいね」
そのまま互いの瞳だけを見つめ合っていた。
時間が伸びたような、遅くなったかのような、何とも不思議な時間が流れていたように感じる。