16話 作戦と指パッチン
「ホントに何にも知らないんだねー」
風船豚を目指して歩く道の途中、自由都市についてあれこれ質問していたら、ジェシカからそんなことを言われてしまう。知らないのだから仕方がないではないか。
だがしかし、一般常識らしきものが抜け落ちているのは少々怖い。
縦列で歩いていたのだが、前を見るとフレアとアッシュが話しているのが見えた。
どうもフレヤはアッシュに興味があるらしい。今も先頭で二人組だった。
「アッシュってなんで髪、赤いの? 炎みたいだよね」
フレヤが鮮やかな赤い髪に手を伸ばして「熱っ」とふざけてみせた。
「フハハ! 燃えろ!」
アッシュの方も軽く頭突きで返したりしてけっこう楽しそうだ。
フレヤの方はそんな気がしないでもないが、アッシュはどうだろうか。
なんとなく、うといのだろうな。
ちなみに心中が穏やかでない者もいる。
「ねえ、ヴィゴ。ねー、あれさぁ。ねえって、どう? どう思う?」
俺はクロエにシャツをぐいぐい引っ張られる。
分かりやすく嫉妬しているのだ。
「さあ? いいんじゃない? 仲良きかなは美しきかな」
「仲良いのはいいんだけどさ、いや良くなくて! つまり――」
「見てみてヴィゴ! ほらあたし! 高いよ! ねえ!」
「フーディちゃんはちょっとこっちの方を歩きましょうね」
見ればフーディの背が伸び……いやティントアに肩車してもらってい――
ティントア、お前、満面の笑みじゃないか。
そういう顔も出来るのか。つられて笑いそうになる。
「ねぇ聞いてる? ねーヴィゴ?」
「はいはい聞いてる聞いてる、もうクロエも行ってきたらいいんじゃない?」
「へぇ~」とジェシカもそこまで聞いて分かったらしい。
「クロエってアッシュのこと好きなんだ~」と、
まあそこまでは確かにそうなのだが、この人はちょっと特殊なのだ。
「そうなの、わたし……。顔のいい男、みんな好きだから……」
そんな純情可憐な乙女です、みたいな顔しながら欲張られても恰好がつかない。
返ってくる答えには予想がつかなかったようでジェシカも面食らっている。
さて、今日はお日柄もよく、長めの散歩のような気持ちで歩けるのがいいことだ。
「街道沿いにずっと進んで、あの小さな森に入るんでしたっけ?」
カトレアが聞いていた道順をジェシカに確認する。
「そうだよ。この森の端っこってちょっとした崖みたいな地形してるんだけど、その辺に居るはず」
小さくも鬱蒼とした森だ。木々が隙間なく生えてなかなか通りにくい。
「なあジェシカ、危ない獣とか出たりしない?」
「出てもイノシシくらいかな。そんなに何が出るから気を付けて~ってのはないよ」
「これだけ森が小さければ生態系の輪も小さいでしょうし。人の脅威になりそうな肉食動物も心配しなくて良さそうですね」
案の定、すぐに森の木々はまばらにぽつぽつ生えるだけになり、崖の近くには岩場が広がっていた。
噂の豚もすぐに見つかった。
なるほど、確かに風船豚だ。
白い巨体が宙にフワフワと浮いている。
まん丸のイメージをしていたが太くて長くて丸い体だ。申し訳程度についた四つ足は意味がなさそうなほど小さい。
ほとんど浮いているので足は使わないのだろう。空気をシューシューと吹いている鼻が特徴的だ。長い鼻を器用に動かして手の代わりに使っている。
「どう? あんな空に浮いてるやつ仕留められる?」
ジェシカはそれ見たことかと言わんばかりだ。
動きは思っていたより早いが、それでもまだノロいと言えてしまう範囲だった。
「誰がやる?」
俺は三人を見る。
クロエ、カトレア、フーディの三人だ。
たぶん誰がやっても同じだろう。
アッシュは「期待して損した」とか言っていたので戦わせなくても大丈夫だろう。
「いち、にい、さん……。全部で八匹ですか。生け捕りじゃなくていいんですよね? 取り逃がすのも勿体ないですし、三人でいっぺんにやりましょう」
本気で言ってる? と信じられない顔で見てくるフレヤとジェシカ。
これくらいの相手なら問題ないだろう。
俺は思いつくまま作戦を口にする。
「じゃあフーディはいつも通りに岩で攻撃、カトレアは木を伸ばして捕まえるなり叩くなりで、あと落ちたら拾うの面倒臭そうだから、植物で下に網みたいなの張っておけばいいかな、クロエも、攻撃とカトレアがもし拾い漏らしたら髪でキャッチで」
「殺して谷底に落ちてもティントアくんなら操作して上がって来させることが出来るんじゃないですかね?」
確かに。
ティントアの死霊術で浮かんでもらえば運搬も楽か。
「たぶん、可能」ティントアの判断的にもいけるみたいだ。
決まりだな。楽な仕事になる。
フーディが肩車されたまま手をかざして周辺から岩を集めてくる。
かなり大量に持ってきたな。疲れないんだろうか?
「フーディ、きつくないか?」
「だいじょぶ。ヨユー。あと三倍くらい浮かせられるかなー」
ぱっと見ても数えるのがちょっと大変なほど操作しているが、これの三倍か……。全力を出したなら凄まじい広範囲攻撃が出来るな。
カトレアもお決まりの緑生魔術で辺りの草や木を伸ばし始めたところだった。
異常成長をする木がねじくれながら空へ向かっていく。
こっちもいつもより操作する量が多い。束になった草と木で合計二〇本ほどか。
「カトレアも平気か?」
「ええ。ですが三倍は無理ですね。これがいっぱいいっぱいです」
十分だろう。
木を成長させるスピードが少し上がっている気がする。
レベルアップしたんだろうか。
「クロエ?」
クロエの操る髪は二人と違って見えづらい。少し離れるとほとんど見えない。目を凝らせば銀の筋が空に張られているのだが、本数までは分からなかった。
「え、気遣ってくれないの? 大丈夫? みたいなやつは!?」
いや、だってこの距離だと見えづらいし……。
「だっ、だいじょうぶ?」
「ありがとう……。ヴィゴって優しいね。好き! いつでも大丈夫だよ!」
すぐに機嫌が治った。そんなんでいいのか。
三人の手際はどんなものだろうかと事が始まるのを待っていると、どうしたのか妙に間が空く。なにか問題かと思って三人を見やると、それぞれと目が合った。
「どうした? 三人とも俺のこと見て」
「ヴィゴくんの合図を待ってました」
「うん、アタシもヴィゴ待ってた」
「ヴィゴの役目でしょ?」
合図が俺の役目?
思い返してみると、確かに何度かそういう場面があったか。
アッシュが飛び出していって、それで俺がとりあえず「やるぞ」と声を出すことが多い。
別に放っておいてもカトレアが仕切るのかな、と思っていたのだが。
それじゃあ待ってくれているらしいので俺は合図を送る。
……少しかっこつけた。
よく見えるように手を空に掲げ、パチン! と指を鳴らす。
襲い掛かる大岩、迫りくる樹木、絡みつく銀の髪。
あっと言う間だった。
でかい風船が中の空気を吐き出し、萎みながら崖下へ落ちていく。
うん。八匹全てきちんとしとめたようだ。しかしけっこうな高さのある崖だな。
ティントアが居なければそこそこ苦労したと思う。
アッシュや俺ならこのくらいの崖は飛び降りられるだろうが。
そんな取り止めもないことを考えていると、パチン、誰かが指を鳴らす音が聞こえた。カトレアだ。
「ヴィゴくん、何ですか今の? 今ちょっとかっこつけちゃいましたよねぇ?」
カトレア?
ちょっと見たことのない珍しい顔をしている。
なんだか少し嫌な絡まれ方だ。
「……いや? 別に? フツーだったと、思うけど?」
「いやいやヴィゴくん? ダメですよ。嘘ついちゃってますよね? あんなオシャレな合図だと思いませんでしたもん。ちょっともう一回やってくれません?」
おいおいなんだカトレア、どこがそんなに気に入ってるんだ。
あんまりいじってくれるなよ。
確かに少しかっこつけたなー感は自分でもあったが。
別に俺はそこまでかっこつけてない、ということを証明するためにももう一度やってみせた。
パチン! お、いい音した。
「ァヒー」と珍しい声を出して笑うカトレア。そんな面白いかこれ!?
「音、良すぎ……」とかなんとか言って息を吸うのもやっとのようだ。
あんまりカトレアが笑うものだから、ほら、子供が真似をする。よく分かっていないので真顔で指パッチンするフーディ。やった後にやっぱりよく分からず小首を傾げている。
フレヤとジェシカは声もないほどに驚いていた。
「魔法って……初めてみた……」
魔法はそんなに珍しいのか。
なんとなくそこまで一般化された技術ではないと思っていたが、この驚きようであれば少なくとも三人の力はちゃちな代物ではなさそうだ。
「魔法? 魔術じゃなくて?」ティントアが疑問の顔をしている。
確かに魔法と言っていた。
言われてみると俺たちは魔術という言葉ばかり使っていたか。
なにか明確な違いがあるのだろうか。
「魔法と魔術の具体的なちが――」
「すごいすごいすごい! なに今のもういっか――」
クロエの言葉をジェシカが消して、更にそのジェシカの言葉を消したのは風船豚の襲来だった。
どうやら崖下の見えないところに潜んでいたらしい。鼻息の荒い様は怒っているのだろう。
たしか巨体で押しつぶしてくるんだったか。
俺はとりあえず近くのジェシカを抱えて走る。
クロエも俺と距離が近かったが、まぁジェシカ優先でいいだろう。
下敷きになったりしたら大変だ。
後ろを振り返れば逃げ遅れたフレヤとアッシュの前に、風船豚が迫っている。
問題ないとは思うが……。
あのアッシュのやる気のなさが少し心配で、嫌な事が頭をよぎるのだった。