ラン・ルーシー【5】
街の名はアストル。オリヴィエという森から一時間と少しのところにある。オリヴィエは巨樹の森であり、その下は川が流れている。それ故、オリヴィエの住民はその上で暮らし、森に住処をつくった。木と木には吊橋が掛けられ、住民は川の水を生活用水として利用した。透き通る水からは魚がよく見えた。子どもは遊びとばかりにその魚を釣る競争を始める。だが、その遊びは晩飯の食卓に並び、役立つ遊びであった。子どもは娯楽の少ないこの森の中で次々と遊びを発明した。遊びに関しては発明家も顔負けであろう。仕事や役割の中にも遊びと称した競争をつくり、結果的に最大の成果を生み出す。オリヴィエから少し離れた場所に、農場があり、そこで大量の食料が生産され、一部は街へ売りに出された。森と街までは道が結ばれており、道は長くあちこちの街へと蜘蛛の巣を張るように繋がっていた。その中で一番近い街、それがアストルになる。
アストルまでの道中、森に住む者達はさぞ驚かされることだろう。どの木々も細く痩せている。土の悪いところでは作物も中々育てにくい。原因は人間が生み出した化学による廃棄物等により土地が変化してしまったのだ。今や自然の重要性を認識し始めた人間は、あらゆる処置を施し、その為のルールを作り出した。しかし、既に死んだ土地を蘇らせるのは困難。毒砂がその例えとなろう。人間によって人間が住めなくなった土地である。それが拡大することだけは避けねばならなかった。アストルの街周辺はというと、まだそこまでに至ってはいない。まだ、自然というものがあった。ただし、一度はその自然が失われている。街を生み出し工場を建て、自然を伐採してきたからだ。その為に今ある自然は元からではない。人間によって生み出された新しい自然なのだ。それが野生の生物には敏感に気づくようで、その自然には近寄ろうとすらしなかった。いるのは、空を飛ぶ黒い鳥、鴉であろう。鴉は動物の死骸を食らう生き物で、それ故に不吉な生き物と見なされてきたが、人間に害を成すものではなかった。むしろ、人間の死体には絶対に口をつけない生き物だ。まるで、人間の死体の方が害があるかのように鴉の方から避けているようだ。あと街に近づく生き物は人間の移動手段である馬ぐらいか。馬は黒も白も茶色も様々だが、どれも同じ馬である。二本の前足、四本の後ろ足を持つその馬はどの生き物より速い。荷馬車にすればもっと便利で、それに人を乗せて移動すれば沢山の人を運ぶことが出来る。街には壁があり、その中には幾つものガーゴイルの像がある。夜になると、ガーゴイルは動きだし、夜を外出している人間を襲う。ガーゴイルは生物ではない。普段は像であり、その正体は魔法によって生物のように動いているに過ぎない。一度掛けた魔法は解除しない限りは半永久に与えられた条件のもと発動し続ける。街の住民であれば誰もが知ることだ。それ故にガーゴイルに襲われた人はこれまで存在しない。
◇◆◇◆◇
どんどんどんと踏み鳴らす音に目を覚ました私はまだ夜中だというのに部屋の外が騒がしく、目を擦りながらベッドから起き上がった。上で寝ていたサンサもあれに起こされたようで、一緒に起き上がる。二人は靴も履かずに部屋の外を出て廊下を見渡す。廊下の窓はガタガタと風で音を鳴らして、外は不気味な夜をしていた。明かりは階段下から見え、私達は階段まで行き上から下へ覗き込む。耳を澄ますと寮母が他の大人達と何やら喋っているようだが、会話までは聞き取れなかった。寮のルールで消灯時間以降は朝まで基本部屋から出ないこととなっている。ここで様子を見に下に降りれば寮母に叱られペナルティを言い渡されるだけだ。とはいえ、何かあったのは間違いない。
「どうしてこんなことに……」
「分からない。とにかく、他の学生には知られないように」
寮母と男の会話が近づき、二人は忍び足で足早に部屋へ戻り隠れた。
翌朝。そのことを寮の食堂で一緒に会った友達のジャスミンとベルに昨夜の出来事を話した。
すると、ジャスミンが「そう言えば……」と昨日のことを思い出す。
「そう言えば昨日チェルシーが門限になっても戻って来ないってルームメイトとかその子の友達が騒いでいたけど、本当に戻って来なかったのかな?」
「チェルシーって誰?」
「え?」
サンサは呆れながら「ルーシーに最初に絡んできた一つ上の先輩だよ」と答えた。
ということは、高学年ということだ。
「なんで戻らなかったの?」
「なんか、その前に失恋して落ち込んではいたけど……なんでかは分からないかな。朝もいない様子だし……」
遠くではそのチェルシーの友人が寮母となにやら話しをしていた。
「でもさ、夜中に外を出歩いてたら街のあちこちにあるガーゴイルに襲われるんでしょ? 本当かどうかは知らないけど」
「本当だよ。だから皆守ってる」とベルはスープにスプーンでかき混ぜながらそう言った。
「だから、先輩の友達は動揺してるんでしょ」
すると、寮母と話しをしていた先輩達が突然怒号をあげ、近くにあった椅子を蹴り飛ばすと、足早に食堂から出て行った。
辺りは静まり返り、寮母は倒された椅子を戻すと出て行った子を追いかけにいった。
寂寞とした朝から一日の授業が始まり、大人達は何事もなかったかのように振る舞った。恐らくは生徒達に動揺させまいとした心遣いだろうが、何も知らされない私達にとってはむしろ逆効果で不安が増大した。大人達は何かと私達に不都合なものをシャットアウトする習慣がある。どの大人達も同じことをするが、むしろ知ろうとありもしない噂が立ち上がり拡散されていくものだ。そして、その噂は例えば、チェルシーは密かに他校の男子と付き合っていたが振られてしまってそれから戻っていない、自殺をしたんだ、とか本人がいないことをいい事に本人の人格、尊厳、名誉を無視した発言が横行する。それを許したのは言うまでもなく、初動の対応が間違っていたからだろう。
結局のところ、最後の授業が終わったあたりで全校集会が行われ、校長が皆の前で状況の説明をしだした。
「既に知ってると思うが、本校の生徒が1名門限の時間を過ぎても戻らずそのまま行方不明になった生徒がいる。今、警察や他の大人達が本人捜索に当たっている。その生徒の名誉の為にも君達には良からぬ噂を流さず状況を見守って欲しい」
具体的な詳細は語られず動機も不明のまま、全校集会が終わった。消化不良に合った気分で、その後も変わらずどんよりとした空気が学校全体に重くのしかかった。
とは言え、人は良くも悪くも時間と共に切り替える生き物だ。そうやって困難を乗り越えてきたとも言えるだろう。チェルシーのいたクラス以外は数日には陽気を取り戻しつつあった。
そんなある日のこと、学校で火事が起きた。小さなボヤであったが、現場はチェルシーのいたクラスの教室だった。寮母と前回言い合っていたチェルシーの友人が教室に放火したのだ。
「なんであんた達は一人消えたというのに普通にしてられるわけ!?」
暴れまわるその友人に教職員が取り押さえ連行していく。そして、その友人が再び姿を表すことはなかった。
しかし、彼女の言う通り周りがでは義侠心がなく軽薄であったかと言えばそれは違う。ただ、その暴れた友人にはそう見えたこととチェルシーが見つからない苛立ちと不安がずっとずっと蓄積され、不安定になっていた。だからこそ、その友人が責められるべきでもなかった。何人かは教職員に直談判し、抗議をしたが、彼女への対応は結局のところ大人達だけの判断によってこの学校をそのまま去ることとなった。その後、他校へ移ったのか、どうなったかさえ私達は知らない。
◇◆◇◆◇
数日が経った頃、短い間隔に高学年が2名卒業することなく学校を去ったことを受け、教育審議会委員が来校することとなった。調査委員会が立ち上がり、今度について審議される。
学校正門前に教職員2名が出迎えに待っていると、黒い馬車が現れた。馬車は正門前に止まり、馬車から一人の男が降りてきた。細長い首に鉤鼻で青白い顔をした年寄りにも見えるその人物からは只者ならぬ空気が漂っていた。オーラというべきか、そこにいるだけでも違いが明らかになる、これが本物と表現するに相応しい紳士。髪はなく、黒い外套に立派な白い髭を生やしている。背は高く、二人の背を頭一つ分超えている。二人はたじたじになりながらもぎこちない動きで校長室へとその人物を案内する。それを遠くから私達や下級生は見届けていた。
「そんなに偉い人なの?」
「校長より偉い人だよ」とサンサは答える。
「ふーん……」
「特に前回の審議会はかなり厳しい内容だったらしいよ。なんでも国王は英姿颯爽とした若者を育てて欲しいと願っているのに、全くそうは育ってないって嘆いてたって」
「辛辣もそこまでにして欲しいよ」
「だよね~」
校長が見えるところまで校舎の外を回って見ようとルーシーが提案すると、三人は大反対し結局校長とどんな話しがなされたのか知らないまま、昼前には委員は学校を出て王都へと戻っていった。
校長はというと、校長室から暫くは出てこなかったそうだ。
恐らく、私はその時から嫌な予感を薄っすらとは持っていた筈だ。
日照時間が長くなった月日、校長が突然変更された。新しい顔が全校集会で現れた時はどれだけ驚いたことか。その人物は体育会系といった感じの体つきに、若者、短く切り揃えられサッパリした黒髪に、爽やかな笑顔。それに何人かの女子は騙されたことだろう。だが、世は天国と地獄、あの顔にも天国と地獄があるように、私達に向けられたのは早起きと毎朝の体操とランニングからのトレーニング、そこからの授業。点数の低い者は放課後居残り。学校終わりはまた運動。授業のない日はボランティア活動強制。ボランティアとは? スパルタ教育と言っても過言ではない過密なスケジュールを突然押し付けられた私達は当然不満を抱いた。
校則もより厳しくなり、他校との恋愛も禁じられ、自由時間も減らされた。中には髪が長すぎるという理由から髪を切られた子もいた。そんな事もあり不満を遂に爆発したルーシーは机を叩き「こんな学校出ていってやる!」と叫んだ。ルーシーの友達、サンサ、ジャスミン、ベルも賛成した。
「校長が変わってから本当に最悪だよ」とサンサは不満を爆発させた。
「まさか、前の校長がマシに感じるなんてな」とベルも言った。
「旅に出よう! どうせ家に帰っても学校に連れ戻されるだけだ。ちょっと早い私達の卒業、そして新しい旅立ち。どう?」
それはまるで卒業旅行を計画する学生かのように、その旅はずっと前から話し合っていたことだった。
「私達の卒業旅行にしては壮大だな」とベルは腕を組みながら言った。
「まさか脱け出すかたちで旅することになるとは思ってもみなかったけどね」とサンサは言う。
「私達って結構悪ガキだよね」とジャスミンは皆を見ながら言った。
「そう?」
一番自覚して欲しい本人が全く気にしていなかった。
「どうせなら、私達が一気に抜け出したことであの校長の責任問題にしようよ」
「いいねぇ! 最高の置き土産になるね」とベルは笑った。
「それじゃ皆、明日決行ってことで!」