地平線【3】
雷が鳴った。いや、実際私達は食べられているから雷の音が轟く筈はない。きっと怪物事変腹の音だろう。これだけ大きいと、私達が食べる魚と同一視するより違う種として新たにカテゴライズする必要がある。猿と人が違うように。
ランタンで合図を送ったのは奴隷船に乗船していた乗組員の一人だった。その近くにベルとジャスミンも一緒だった。二人はルーシーとサンサを見つけるなり手を振った。
「良かった。二人とも無事だったんだ」とサンサが言うと、ベルは悲しそうに「私達が乗ってきたクマノミは見当たらなかったけどね」と言った。確かに、ルーシー達が乗っていたクマノミも行方不明になっていた。
「海に出るには必要だよ」とルーシーが言うと、年寄りは髭を擦りながら「もしかすると連中に既に捕らえられているかもしれん。連中だって船がない以上ここから脱出はできんからな。それで脱出する気かもしれん」と言った。
「なんだ、見つけたのはその二人か?」とピーターはがっかりした声のトーンでとりあえず合図を送った男にそう尋ねた。
「いや、このガキが脱出する方法を思いついたようで」
男はそう言って目線をジャスミンに向けた。皆がジャスミンを見始めジャスミンは照れ臭そうにしだした。
「ジャスミンが!?」とルーシーが尋ねるとジャスミンは頷いた。
「昔読んだ生きもの図鑑でメガコウの生態について書かれてあったのを思い出したの。この巨体のメガコウの体内は頑丈で簡単には傷つけられないけど、弱い部分もあるの。それで、まずこのメガコウだけど間違いなくメス。これはオスはこれより大きくないから間違いないの。それで、メガコウのオスはというとこのメスと交尾する為にメスに食らいついてメスに放精後はメスと同化してメスの皮膚になるの」
「つまりチョウチンアンコウと同じというわけ。チョウチンアンコウは深海でそもそもオスとメスが一緒になること事態が難しい。だから、オスはメスと一緒になると永遠に離れずオスの方からメスに同化するってわけ」とベルが隣で補足した。
「オスは子づくりしたら用無しってわけだね。了解」
サンサは咳払いして「それで?」とジャスミンに訊いた。
「そこだけ皮膚が弱いの」
「オスを突き破って脱出出来るってわけね」
「ルーシー、少し黙ってて」
「なんで?」
「でも、そしたら海水が一気にそこから入ってこない?」
「クマノミなら泳いで脱出出来るけど」
「そのクマノミがいない……」サンサは腕を組んで考え込んだ。
「それだけじゃない。押し出される海流に耐えながら海に出るまで呼吸を止めなきゃいけない」とベルは付け加えた。
「方法はとりあえずそれしかないとして、クマノミの問題とその方法だと脱出出来るのは私達だけになるってことぐらいよ」
すると、突然ピーターが笑い出した。
「方法さえ分かりゃ充分だろ」
「やっぱりクマノミはあんたらが捕獲してたのね」とサンサが言うとピーターは「お前らのじゃないだろ」と反論した。
「あえてお前達にはクマノミをどうしたのかは聞かないさ。どうでもいい。生きてこんな場所からおさらば出来るならな」
ピーターはそう言いながら踵を返し船に戻ろうとした。
「やはり、あの船の中にいるのね」
「おっと、変な気を起こそうとするなよ。俺はガキだろうと容赦はしない。あのクマノミは人攫いのリーゼント族のもんだろ。その時点で本来ならお前達をボコボコにした後で奴隷にして売り飛ばしてたところだ。だが、脱出するにはクマノミは数が足りない。くだらない事で体力も使いたくないしな。お前達は自分達の運が尽きたと思えばいい。運は俺達に回った。それだけだ。それが運命さ。恨むならその運命に恨むことだな」
男は高笑いしながら船へ戻った。その後で連中は脱出を試みるだろう。だが、明らかに乗組員とあの金持ちの人数を考えるとそれでもクマノミの数は足りない。しかし、それもあの男なら仲間ですら置き去りにして自分だけは助かろうとするだろう。
「どうするの? このままじゃ連中だけ上手く逃げて私達は助からないよ」
すると、ジャスミンとベルは突然ニヤリとした。
「な、なによ二人とも」
「大丈夫だよサンサ。ベルと二人で考えたの」
「どういうこと?」
「私達が目を覚めた時、あの連中が私達の乗っていたクマノミを捕まえていたのを実は見ていたの。それでベルと私で脱出する方法を考えてたんだけど、あのおんぼろ船で全員脱出出来ないかなって」
「どういうこと?」
「実は皮膚を突き破るっていうのは嘘。それより聞いた? メガコウが腹を空かせ腹を鳴らしているの」
「そう言えば確かにそんな音がした」
「そろそろメガコウは口を開き餌をとろうとする筈だよ。その時にあのおんぼろ船で全員脱出するの。自分だけ助かろうとした連中は海水に溺れてそのまま奥へきっと流される。クマノミは溺れ死ぬことはないから大丈夫。あとはクマノミも泳いで脱出出来れば」
「嫌な奴らだけ置いて私達だけが助かる」とベルが言う。
「待って二人とも。あの船はマストが折れてるし、帆は破けてるから脱出なんて無理」
「それなら大丈夫。この作戦にマストはいらないから」
「そもそも脱出に風は必要ない」
「ますます分からない。海水が入ってくるから流れも逆流するし……どうやって脱出するつもり?」
「アンコウはそもそも深海魚の一種なの。でも、メガコウは関係なく深海から餌を求め上がってくることがあってその環境の変化に耐えられるし、大食いだけでなくなんでも丸呑みできちゃう。一方で、関係のないゴミまで飲み込んでしまうから、大きな獲物を狙いにいく前に体内にある大量のゴミを一度口に集めそれを吐き出すんだ。私達はそれで一緒にこの船と共に吐き出されるってわけ」
「流石はジャスミン!」
「人には得意不得意があるって言うからね」
「それじゃ私達も船へ向かおう」
◇◆◇◆◇
おんぼろ船が見えてくると、向こう側からクマノミを引き連れたピーターと金持ち、それに部下二人と遭遇した。
「じゃあな」と意地悪そうにピーターがすれ違う私達に言っていった。
だが、私達は何も言わず連中を無視してやった。あいつは自分に運が回ってきたと言ったが、最後に運命の女神が微笑むのは私達だ。
手筈通りに私達は奴隷にされた人達や置き去りにされた元部下達に船に乗り込むよう呼びかけた。その間も時々轟音が続いた。
ジャスミンは「もう時間がないよ!」と言い、最後に私達が船に乗り込んだ。
すると、ジャスミンの言う通り船はゴゴゴと動き出し、巨大な出口のある方へと勝手に流れ出した。振動が伝わり、瓦礫や残骸も寄せ集められ、船にぶつかる。その程度では大型船は壊れない。
そして、遂にその時が訪れた。
目の前から巨大な口が開かれ、船や残骸は海へと戻されていく。
「本当に出れたぁー!」
私達は両手を空へ突き出し、その場にいた全員がその瞬間を喜んだ。
ゴミを吐き出し終えたメガコウは再び海へ潜り出す。
「あれを見て!」
サンサは甲板から南へ指を差す。そこには魚の群れらしき影が薄っすらと見えた。暗闇にすっかり慣れたのか、暗くてもそこまで見えたが、距離はそう離れてはいない筈だ。
突然、その群れを真下から巨大なメガコウが口を開けて現れた。
「なんて恐ろしい……これが自然界の競争というやつか」と奴隷商の元部下だった男が言ったので、ジャスミンは「ううん」と言った。
「私達はそれを見て過酷な世界ってついつい見ちゃうけど、これが日常。これがここに住む生き物にとっての「生きる」という意味なの。私達とはただ住む世界が違うってだけ。本当は直ぐ近くだけど、全く違う世界。私達人には人の、生き物には生き物の世界があるの。私達の価値観は私達の世界だけの話し。自然界の競争を見て可哀想や酷いという感想は違うと思う」
静まり返った海。まだ、黒い大海原が太陽を待っている。そこにポチャっと、二体のクマノミが海面から姿を現し、再び海へと潜った。




