四月二日
朝の陽ざしが透けた、綺麗で風情ある建物だった。病院と言われても、とても信じられないような建物だったが、私は慣れた手つきで吸い込まれるように入った。
あまり人のいない、静かな病院だと思った。
「千歳さん、千歳華火さん、お入りくださーい」
病院の待合室を抜け、仕切りのカーテンの中へ足を踏み入れた。
ここに来るのは初めてのはずなのに、どうしてか建物の構造を理解していた。
「あぁ、君か」
医者は女性だった。ボブヘアが似合う、可愛らしい見た目だった。先生は私の顔を見てすぐになにか悟ったようだった。
「ふぅ、本当に忠告を聞かない若者には困ったものだな。いや、今の君には関係ない。私が君の担当医だ。ある程度のケースを想定している。あぁ、何はともあれまずは自己紹介から始めよう。私の名前は伊予―――伊予麻美子だ」
人間関係というのは良好であればあるほどよいだろう。つつがなく、そつなくこなしてこそ普通であり、平均的だろう。だからこそ、千歳華火は当然のように日常を過ごすのだ。
「おはよう千歳さん。昨日は間違えてお弁当持ってきちゃったんだって?そんな面白いことは真っ先に、私に、知らせて欲しかったぞ」
「おはよう・・・、手水さん。昨日の今日でよく知ってるね」
「一瞬なんか変な間があったけど、朝から疲れてたりする?華の高校二年生には疲れてる暇なんてないんだゾ」
彼女は手水真水、テンションの高さに合わない、切れ長の目が特徴である。ショートヘアがよく似合う女の子だ。
「ふふ、疲れてないよ。というか、そうじゃなくて。どうして私が昨日お弁当を持ってきたことを知ってるの?祭ちゃん?」
「あぁ、そんなこと。それは簡単よ、目撃証言があったから。匿名のね。それに、昨日は外が暗くなるまで学校の中をふらふらしてたみたいだけど、何してたの?」
「そんなことまで・・・」
手水からは白状するまで逃がさないというぞ、という目力が感じられた。
「春休み明けの学校で、なにか変わったことないかなぁって、思ってぶらぶらしてただけだよ」
「ふ~ん、本当に?」
「本当」
私はまっすぐに彼女の目を見て答えた。
「ごめんごめん、怒らないで。それで、なにか変わってるところあった?」
「いや、特になかったよ。気になるなら自分で調べてみれば?」
「怖い怖い。私が気になったのは、千歳さんについてだよ。千歳さんだけじゃなくて、この学校の生徒全員、と言っても過言じゃないけどね」
「どうして?」
「どうして、とは寂しいな。お忘れかな?千歳さん。私はこの学校一の情報通を目指している。情報屋にあこがれている!だからこそ、この学校のことくらいは把握しておきたい。面白そうなネタがあったら是非、私に教えてちょうだい。お礼はするわ」
面白そうなネタ、ではないが、気になる話ならあった。
「・・・眠り姫の噂って知ってる?」
「眠り姫!とってもタイムリーなお話ね!もちろん知ってるわ!」
手水は先ほどよりも目を輝かせていた。
「私はその噂を祭ちゃんから聞いたんだけど、なんとなく気になって」
「私もその話はいろいろな人に聞いてはいるけど、やっぱり噂って感じかしら。実際に見たって人とも出会えないし、そもそも、そんなことがあったら学校の教師たちがこんなに落ち着いてるはずもないのよねぇ。だから私の見解としては、まったくの嘘か、一部分が本当だけど、それに尾ひれがついちゃってるパターンが濃厚かな、って思ってるわ」
「尾ひれ・・・。手水さんはその噂も調べてるの?」
「調べてるってほどではないけど、気にはなるかしらね。本当に、あっという間にこの噂は広まったから。新学期のみんなのアップデートされた情報を聞きつつ、片手間に探ろうかしら、と思っていたけど、やめたわ」
「え」
「片手間じゃなく、全面的に手間と時間をかけてこの噂について調べるわ。今決めた」
手水の口元が弧を描くように歪む。
「なんでそんな、突然?」
「あなたよ、千歳さん」
「私?」
「そう、いつもクールで何事にも深入りしないあなたが、今回の噂に関して興味をもっている。それだけでそそるわ」
思わず私は苦笑いを浮かべてしまう。だが、それで構わないといった様子で手水は続けた。
「どういう心境の変化かはわからないけど、あなたと仲良くなりたい私個人としては、こんなチャンスは見逃せないのよ」
「仲良くなりたいって・・・。ふふ、ありがとう、嬉しい」
驚き半分、嬉しさ半分だった。
「誰とでも仲良く、でも深入りしない。噂やゴシップ好きな私とは正反対。だからかしら、一年生の時から気になって仕方なかったの。千歳さんとお近づきになれるなら、噂調べの一つや二つ、なんてことはないわ」
華火は目をそらし、苦笑いをする。
「そんなふうに言ってもらえる人じゃないかもよ?」
「それならそれでいいじゃない」
手水はあっけらかんと言う。なんでもないように。
「クールな千歳さんの素顔がみれる数少ない人間になれるのよ?光栄だわ。大丈夫、イヤなやつだったらちゃんと手帳にメモしておくわ」
そうだ言い忘れていた、と手水は付け加える。
「祭のことを下の名前で呼ぶなら私のことも下の名前で呼んでほしいな、華火ちゃん」