婚約者になってしまった。
そのまま、唇を重ねられた──訳ではない。
「「「「きゃあああああああ?!」」」」
だが、影で見ていた女子達、大絶叫。
真実は固まる私の隙をついてそう見える絶妙な角度で顔を近づけただけだが、こうなると実際にキスをしたかどうかなんて問題ではない。
今、完全に私と奴は公衆の面前でちゅーをぶっかましたことになったのだから。
そしてキスをされていないという真実もまた残念なことに、奴を校則という学園の法に則って断罪することもままならない、ということ。
精々騒ぎを起こしたことを、怒られる程度だろう。そして私も巻き添え濃厚。
「や……やりやがったな?!」
「おっと」
嵌められたと気付いた私は、奪い取った成績表を握り締めた手でクローザー卿に殴りかかった。しかし渾身の右ストレートは敢え無く避けられ、逆に腕を取られてしまう。
そして再び待ち受ける、壁ドン。
「くくっ……喜べ。貴様の言う通りにしてやったぞ、俺は紳士だからな」
「はぁ?!」
くつくつと性格の悪さが滲み出た忍び笑いを漏らしつつ、奴は続ける。
嫌な予感しかしない。
「いない間に、『シェリル・マクブライト嬢との婚約を希望する』という手紙を出しておいた」
「…………はぁぁぁぁぁぁああ?!」
「「「「きゃあああああああ?!?!」」」」
私の雄叫びは御令嬢達の大絶叫に掻き消された。
つーか、なにしてくれてんのこの人!?
「行くぞ、ここだと周りが煩い。 そろそろ教師もくる」
「ちょっ……!」
そのまま腕を引っ張られ、走った。
混乱する脳内を必死で整理しようと試みる。
『……貴様の言う通りにしてやった……』
(なに吐かしてやが……ハッ!)
脳内に過ぎる、先程(※中庭に行く前)のプレイバック。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
「えーと……そう! 紳士たるもの、そういうのはそれこそ婚約者相手にすべきです! 私はアンタの蚊帳ではナイ!!」
「……ふむ? まあ一理あるな」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
「──ッ!!」
あ れ か よ !!
「アレでどうして婚約者になるワケェー?!」
「フッ、照れんでもいい」
「そのトンデモ脳内変換どうにかしろ!」
大体いつもわかってての酷く強引な変換だが、内容に関して言えば過去一。
絶好調か。
「貴様の成績はクソ。 しかしながら実家は田舎だが経済状況も悪くない伯爵家。 今のでまず決まったことだろう。 親父は厳格だからな」
「あっ……ああッ?!」
高位貴族のくせにこんな騒ぎを起こしやがって、と思っていたが、まんまとそれを利用し私を婚約者に据える気だったとは。
なんたるクレイジーさ。
「言っただろうが。 『俺から逃げられると思うなよ』と」
クローザー狂(※誤字ではなく、お気持ち表記)は学舎内のある部屋で止まると、扉を開け、私を放り込むように中に入れてから後ろ手に鍵を閉める。
「うぇっ?! ここ、婚約者でも密室は駄目でしょ?!」
「安心しろ、この部屋はダメ学生を更生させる為の勉強部屋……監視の魔道具がそこここについている」
全く安心できない。違う意味で。
「だっ大体、クソ成績だのダメ学生など言ってるけど、私の成績はまがりなりにも中の下よ!? もっと下の人に失礼極まりな……ハッ!?」
とりあえず抵抗を試みた私があまり本質とは関係ない文句をつけると、黙ったまま鬼の様な圧で、虫けらかゴミでも眺めるような目を向けてくるクローザー狂。
「……」
「言いたいことはそれだけか?」
「……ハイ」
「そうか、席に着け」
最早、文句をつけるだけ無駄──そう悟った私は素直に席についた。
クローザー狂は満足気に微笑みながら上着を脱ぐ。その仕草は意味なくセクシーで、流石は攻略対象認定を勝手にしただけのことはあり、ウッカリ見惚れてしまう程。
その一連の仕草に何故か腕まくりをして片手に長い定規を持つのが含まれていなければ、の話だが。
「さあ、暫定でも俺の婚約者になったからには、それに恥じない女になってもらおうか」
それから暫くの間、酷い目にあった。
主に、クローザー狂に。
そして公爵家からの婚約打診という有り得ない事態に、田舎伯爵家のウチの否やなど許されるワケもなく……アッサリ婚約者になってしまった。
その旨が書かれた手紙から、大いに困惑している様子は伝わってきたが。
他生徒からは嫉妬ややっかみを受けるかと思いきや、毎日のようにダメ学生更生部屋で長時間拘束され、ヨロヨロと出てくる私を周囲も見ているせいか、それはなかった。
(いや、四六時中ヤツが傍にいるせいか。 考えてみれば、コレでなんかできるわけないわ)
「フン、勉強はマシになったな。 後は所作か」
「所作!! そんなモノどーでもいいじゃありませんか! アンタの私への所業を見て、残念なことにもう『私が!』って気概のある奴ぁおらんみたいですけど?!」
そう訴えるとクローザー狂は鼻で笑った。
「ハッ、表立って騒ぐのは所詮羽虫共だからだ」
「裏にはデカい虫がいるってことすか……?」
「多少は言葉の裏を読めるようになったようだな。 感心感心」
「イヤァァッ?! せめて私の扱いは蚊帳レベルで頼んますわ!! 羽虫以上の毒虫に張り合うなんて致しかねる!!」
「ははははは、相変わらずシェリルはオモシロイナー」
妙に爽やかな笑顔と軽快な調子で心の篭っていない台詞を宣いながら、婚約者っぽい感じで頭を撫でる。
抵抗しようとした矢先、奴は突如撫でていた髪の毛をひっ掴んで強引に顔を近付けた。
「我が婚約者となった以上、隣に立って恥ずかしくないレベルまではやってもらう」
その表情は、悪魔のような美しくドス黒い笑顔であった。
これまで生きてきて伯爵家に生まれたことを過分だと思ったことはあっても、もっと高位の貴族家に生まれたかったなどと思ったことはない。
だが、今切実にそう思っている。
なんでコイツからの縁談を蹴れるくらいの家に生まれなかったのか、と。
……いや待て、ソレ王家しかないじゃん。(白目)
「シェリル」
また胡散臭い爽やか笑顔に戻った奴は、私の髪を弄りながら甘やかに耳打ちする。
「そろそろ、『ジェラルド』って呼べよ」
──絶対嫌だ。