第四章二節 鳴神月の鎮魂歌 その2
一歩、二歩と進むたびにその姿が鮮明になっていく。
鳥居との距離が数メートルになったところで、翡翠はやっとそれが誰なのかを判別することができた。
声が届く距離に来たと思ったところで、翡翠はその影に向かって声をかけた。
「碧泉さん!!!」
翡翠の声に、碧泉が振り返りながら微笑んだ。傘をさす姿も、様になっている。
「ああ、翡翠さん。……それに東雲も。」
「とってつけたように名前を呼ぶの、やめていただけませんか。それで、なぜあなたが私の社の前にいるのでしょうか。」
東雲が尋ねると、碧泉の顔に狼狽の色が浮かんだ。
「実は、少々厄介なことが起こりまして。本当は君の手なんか借りたくなかったんだけど、僕だけでは対処しきれない問題が起きたから、こうして僕直々に出向いたわけです。
____東雲、少し話がしたい。耳を貸してくれ。」
東雲は嫌そうな表情をしながらも、何かを感じ取ったらしく、大人しく碧泉の側へと寄っていった。
わざわざ東雲だけを名指しで呼んだということは、私には立ち入れない領域の話であろうことは容易に想像できた。
そのため、少し離れたところで二柱の会話が終わるのを待つことにする。
しばらく言葉を交わす二柱を観察していると、段々と表情が険しくなっていくのが遠目でもわかった。
先ほどの碧泉の焦りを孕んだ表情といい、どうやら本当に大変な事態が起こっているらしい。
『気になるけど、聞き耳を立てるわけにもいかないし……』
悶々としながら暇を潰す。
それから数分後、頭を突き合わせていた神々の会話が途切れた。
「大丈夫ですか?」
会話が終わったと見た翡翠は、二柱の元へ近づく。
「ええ、話は終わりました。が、この後早急に行わねばならないことができてしまいました。大変申し訳ないのですが、今日のお出かけは無しにさせていただいてもよろしいですか?この埋め合わせは必ず後日行いますので」
東雲の言葉に、翡翠は頷いた。
「はい、大丈夫ですよ。パフェは逃げませんので、また別の日に行きましょう」
「本当に申し訳ありません。急なお願いを聞き入れてくださりありがとうございます、翡翠さん。
全く……大分厄介なことを持ち込んでくれましたね、碧泉。それも最悪な時期に。今回の事態は誰も予想ができなかったことのようなので、言っても詮ないことでしょうけれど。」
「こればかりはどうしようも。____最初は僕一人で対処しようと思ったけど、事態が思った以上に大きくなっていたんだ。僕が介入する前から、もう君の手を借りないという選択肢は存在してなかったんだよ。」
東雲は苦虫を踏み潰したような表情を浮かべているが、碧泉は打って変わってどこか楽しげだ。
「あの、そんな大変な事態が起こっているのであれば、いますぐに対処したほうがいいのでは……?」
「それもそうですね。今はとにかく時間が惜しい。そうだ、良ければ翡翠さんも一緒に来ませんか?」
「碧泉、あなた何を言っているんですか。」
「いいじゃないですか。神が舞う姿なんて、そうそう見れるものではありませんよ?」
「それって……もしかして、この神社の舞殿で東雲と碧泉さんが舞う、ということですか?」
「ええ。と言っても、僕は舞いません。その役目は東雲のものですからね。その代わり、僕は笛を担当します。」
「自分で言っていることの意味、わかっているんですか。」
「もちろんだよ。大丈夫だと確かめたから、こうやって翡翠さんを誘っている。」
碧泉の言葉に、東雲は口をつぐんだ。翡翠は訳がわからず、ただ二柱のやりとりを見守っていることしかできない。
数秒ののち、東雲は迷うようにして口を開いた。
「信じていいんでしょうね。」
「ええ。この件に関して僕は嘘はつかない。」
「__わかりました。この場であなたが虚言を吐く利点もありませんし、信じることにしましょう。」
東雲の言葉を聞いた碧泉は、満足げな表情を浮かべた。
しかしすぐに、その表情を消した。
「結論は出たようだし、早く行こう。今は一刻を争う。」
手短に告げると、碧泉は背を向けて歩み始めた。
それを見た東雲は、振り返って翡翠に声をかけた。
「それでは、僕たちは準備がありますので一度本殿に下がります。僕たちの準備が終わるまで、翡翠さんは適当に過ごしてくださって大丈夫ですよ。」
「わかりました。」
「では、また後ほど。」
そう言い残して、東雲は碧泉とともに姿を消した。
鳥居の前に一人残された翡翠も、参道を駆け抜け、境内へと向かうのだった。




