第四章一節 水無月の戯れ その8
「これは、なかなか美味ですね。」
翡翠の向かい側でうさぎまんじゅうを一口食べた碧泉が、少しだけ嬉しそうな表情を浮かべながら呟いた。
「碧泉さんも美味しいと感じてくださったんですね!良かった……」
「何がです?」
翡翠の言葉の意味がわからないというような表情で、碧泉が首を傾げた。
「一緒にいきませんかって誘ったのは私なのに、碧泉さんに気に入っていただけなかったらどうしようって少し気負っていたんです。」
「そんなことで気負っていただかなくても良かったのに。」
「せっかく一緒に来ていただいたなら、楽しんでいただきたいので」
その言葉に、碧泉が虚を突かれたような表情し、開きかけていた口を閉ざした。
東雲は、何も言わずに目を閉じて聞いているが、心なしか口の端が釣り上がっているような気がする。
少しの間を置いてから、碧泉が口を開いた。
「他者に気を使うなど、馬鹿馬鹿しいことだと、何年も、何百年も、思っていましたが…………いざ己に向けられると、何だか嫌な気はしませんね」
少し俯きがちに、いつもより弱々しい声の碧泉が、何だか幼い子どものように見えて、翡翠はその姿を微笑ましく思った。
「それに、翡翠さんの表情はコロコロと変わって見ていて飽きません。
僕に新鮮な体験をくれたお礼に、一つ助言をしましょう。
あなたは少し他者に気を使いすぎのように感じます。自己以外の誰かを気遣うことができるというのは素晴らしいことなのかもしれませんが、相手への信頼が低いということの現れのようにも僕は感じます。
もちろん、時には疑うことも必要です。
この世界は本当に存在するのか、この世界では何が本当で何が嘘なのか、という風に。ですが、あなたはもう少し相手を信頼して、自分勝手をしてもいいのではないですか。」
その言葉は、翡翠の心に強く響いた。
「まあ、以前お見かけした時よりは、幾分かマシになっているようですがね。」
そう言って、碧泉は東雲をチラリと見やった。東雲は碧泉の視線を受け流し、次の言葉を持っているようだった。
「__ありがとうございます、碧泉さん。碧泉さんの今のお言葉、大切に胸に刻みます」
翡翠が真剣な眼差しでお礼を述べると、碧泉はふいっとそっぽを向いた。
肩口に切りそろえられた艶やかな髪から、耳朶が覗く。
その色がほんのりと赤く色づいているので、きっと照れているのだろう。
翡翠と東雲は顔を見合わせて、クスクスと笑う。
一人と一柱の笑い声に気がついた碧泉は、何も言わずにまたうさぎまんじゅうを食べ始めた。
すでに食べ終わっていた翡翠と東雲はそのまま会話をしていると、いつの間にかお皿をからにした碧泉が「お待たせしました」と声をかけたところで、お店を後にすることにした。




