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導きの神様  作者: 夕月夜
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第三章二節 風光る雛月の寿ぎ その19


境内にある灯籠には灯が灯っていたが、桜の木の周囲には特にこれと言って灯がなかった。


すでに完全に陽は落ち、先ほどよりも闇が深まっている。


空には春の星__柔らかな春の夜気に包まれて、潤むようにも見える星が燦然と輝いていた。

小舟のような形をした春三日月も浮かんでいる。


翡翠は空を見上げながらも、本当に大丈夫なのだろうかと、内心首を傾げていた。



「お待たせしました、翡翠さん。それでは、満開の桜をご覧ください」



東雲の声が途切れるや否や、パッと周囲が明るくなった。

と同時に、目の前の巨木に色が灯る。


巨木の枝は地面に向かって垂れ下がり、その枝には小さく愛らしい薄紅色の花が所狭しと並んでいた。

そこでやっとことの次第を理解した。

東雲は翡翠に境内の桜を見せるために、花篝____花見のための篝火を特別に焚いてくれたのだ。

先ほどは暗くて認識できなかったが、木の幹を取り囲むように篝火が配置されている。

揺らめく炎に照らし出された枝垂れ桜は、刻一刻と浮かび上がる姿を変え、幻想的な光景を生み出していた。


その美しさに、翡翠は瞬きも忘れて見入った。

周囲にはパチッパチッと火の粉が爆ぜる音だけが静かに響いていた。


『なんだか吸い込まれてしまいそう』



枝垂れ桜に見入ってしばらく経ってから、翡翠は唐突にそう思った。

思ってから、翡翠は無意識のうちに桜に向かって一歩、二歩と歩み寄る。


不思議なことに、翡翠の動作に合わせて桜の枝も少しずつこちらへ向かって伸びているような気がした。

桜との距離がだんだんと近くなり、翡翠は腕を伸ばした。


ああ、もう少しで届く________


そう思ったところで、横からガシッと手首を掴まれたことにより、翡翠は我に返った。

東雲は桜から距離を取るように、少しずつ歩み始めた。



「あれ……東雲……?私、今何を……」



訳がわからず狼狽える翡翠を落ち着かせるように、東雲は優しい笑みを浮かべた。



「大丈夫ですよ、翡翠さん。申し訳ありません。この桜、市井にあるものとは少し違った性質を備えているのです。」


「違う、性質……?」


「はい。__翡翠さんは、『桜の森の満開の下』という文学作品をご存知ですか?」



東雲との会話で少しずつ冷静を取り戻した翡翠は、東雲の問いに頷いた。



「確か、盗賊の男が主人公のお話でしたよね」


「ええ。翡翠さんはご存知のようですが、あらすじを簡単にお話しさせていただきますね。

その昔、鈴鹿峠に満開の桜がありました。旅人はそこを通らなければなりませんでしたが、桜が恐ろしい旅人たちは皆走り抜けて通るようにしていました。

しばらくするとその桜の木がある山に、山賊の男が住み始めます。山賊はそこを通る人々を殺して物品を奪い生活をしていましたが、彼もまた桜の木の下に来ると恐ろしいと感じていました。そして、ある時山賊は美しい女性と出会い、さらに恐ろしい生活を送ることになると__まあこんなお話です」


「そういえば、桜の木は美しくも恐ろしいものと捉えられていたのですよね」


「はい、よくご存知で。特にこの『桜の森の満開の下』に登場する桜の木が持つ魔性は、他の桜の木々よりも強く描かれています。そして私たちの目の前に在る桜も、また同じように魔性を持つのです」


「では、私はその魔性に魅せられ、引き寄せられた……ということでしょうか」


「ご明察です。それに、今の翡翠さんはこの桜に魅入られやすい性質を備えていますので、余計に引き込まれそうになってしまったのでしょう。

もちろん、私の守護があるので、完全に引き込まれてしまうということはありませんが」


「魅入られやすい性質、ですか?」



翡翠は東雲の言葉の中で引っかかった部分を口にしてみたものの、東雲はただ目を弓形に細めるだけで、答えてはくれなかった。


東雲は二ノ鳥居に差し掛かろうとしたところで、ようやく掴んでいた翡翠の腕を離し、口を開いた。



「__さて、大分夜も更けてきたことですし、ここらでお開きといたしましょう。翡翠さん、本日はお付き合いいただきありがとうございました。

それと改めて、お誕生日おめでとうございます」



東雲の言葉に、翡翠はこれ以上聞いても何も答えてはくれないことを悟り、頭を切り替えた。



「こちらこそ、ありがとうございました。最後まで本当に楽しかったです。素敵な体験をありがとうございました。それでは、失礼します。おやすみなさい」


「出口までお送りしましょうか?」



東雲の申し出に、翡翠は横に首を振った。



「いいえ、大丈夫です。灯籠の灯りのおかげで、参道を一人で抜けるのも怖くはないので」


「承知しました。何かあれば遠慮なくお呼びくださいね。それではお気をつけて。__おやすみなさい」



翡翠は東雲に向かって一礼をしてから、くるりと百八十度回転して背を向けた。

そして、灯籠が並び立つ参道を一人歩み始めたのだった。


今日の出来事を、胸の内で噛み締めながら。




[第三章二節 完]

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