第三章二節 風光る雛月の寿ぎ その18
訳のわからないまま振り向いてみると、そこには、黒光りする漆のお盆に乗った、一皿のケーキがあった。その上にはチョコレートのプレートがちょこんとのっており、文字が書かれている。
「えっと、『お誕生日おめでとうございます』……?________これ!!!!」
翡翠は勢いよくバッと顔を東雲へと向ける。
「あなたの誕生日を祝うために用意したけーきですよ。……現代の人の子は、このようにして毎年誕生した日を寿ぐのでしょう?」
実は、今日は私の十九歳の誕生日だったのだ。
「は、はい、そうです。でも、なんで私が今日誕生日だってわかったんですか?私、東雲に誕生日を伝えていないはずですけど……」
「私を誰だとお思いですか。翡翠さんのご様子を見ていれば、聞かずともわかります。…………というのは冗談で、一番初めに翡翠さんとお会いした時、私はあなたの思考を読んで見せたでしょう?それと同じ原理です。」
「いつの間に……。でも、ありがとうございます、東雲。本当に、本当に嬉しいです。まさか私の誕生日を東雲に祝っていただけるなんて」
翡翠はあまりの嬉しさに少しだけ泣きそうになりながら、東雲に精一杯の笑顔を向ける。
「そんなに喜んでいただけるとは、お祝いをした甲斐があるというもの。こちらこそ、素敵な笑顔をお見せいただきありがとうございます。__また一つ人の子との良い思い出ができました」
最後の言葉は、東雲自身に言い聞かせるような口ぶりだったと、その時翡翠は感じた。
しかし、それは自分の気のせいだと思うことにして、ケーキの上に載ったチョコレートプレートに齧り付いた。
「美味しいです!!さ、東雲。一緒にいただきましょう」
「よろしいのですか?いくら円柱上のものとはいえ、大きさは控えめなので翡翠さんの食べる分が少なくなってしまいますが」
「一緒に食べて欲しいんです。ケーキの美味しさとこの幸せな気持ちを、東雲と共有したいので」
翡翠の言葉に、東雲は顔を綻ばせた。
「それでは、お言葉に甘えていただきましょう」
返事をした東雲は、早速フォークとナイフを手にした。どうやら切り分けてくれるらしい。
いつの間にか背後に置かれていた取り分け用のお皿を手元に寄せ、東雲のフォローに回る。
半分に切り分けて食べたケーキは、心温まるような、優しく懐かしい味がした。
*
ケーキを食べながらゆっくりと談笑していると、気がつけば陽が落ちる時刻になっていた。
夜闇が空の大部分を侵食し、茜色は端へと追いやられている。
街中はまだ少し明るいかもしれないが、この神社は山際に位置するため、すでに辺りは暗い。
「すみません、すっかり長居してしまって」
翡翠が謝ると、東雲はゆるゆると横に頭を振った。
「翡翠さんが謝ることではありません。……実は、翡翠さんに日暮れまで私の領域の内に居ていただこうと画策した結果の今の状況なのです」
東雲の意図するところが分からず、翡翠は首を傾げた。
「それは……どういう……?」
「今朝、お話させていただいたでしょう?境内の桜が見頃なので、是非に……と」
「そのお話はもちろん覚えています。ですが、この時間だともう暗くてお花もよく見えないのでは……」
翡翠が未だ腑に落ちないと言った表情を浮かべていると、東雲がいたずらっぽさのある笑みを作った。
「それはご心配には及びません。何はともあれ、桜の前に行けばわかりますよ。__それでは、参りましょうか」
東雲に大丈夫だと言われてしまえば、翡翠にできることはただ頷くだけだった。
翡翠の反応を見た神様は、満足気に目を細め、境内の奥へと歩み始めた。
その後を追い、翡翠も歩き始めたのであった。




