第三章二節 風光る雛月の寿ぎ その17
口に含んだ瞬間、舌の上に優しい餡の甘さと、お餅の柔らかでワフワフした舌触りを感じた。
『やっぱり、いつ食べても美味しい』
翡翠は祖母の生前に共に食べていた時のことを思いながら、その変わらぬ優しい甘さを味わっていた。
「これはまた、美味しい桜餅ですね」
隣に座っていた東雲が声をあげる。その声音と表情から、言葉通り美味しいと感じてくれていることが分かり、翡翠は安堵感から笑みをこぼした。
「お気に召していただけたようで何よりです!このお店の桜餅は、毎年三月になるとよく買いに行っていた思い入れのある桜餅なので、余計に。
……思えば、祖母が亡くなってから初めてこの桜餅を食べました」
翡翠の呟きを聞いた東雲は、何も言わずに神妙な面持ちで翡翠の顔を見つめた。
何気ない一言で場がしんみりとしてしまったことを感じた翡翠は、慌てて謝った。
「ってすみません、別にこんな空気にする意図はありませんでした。どうか忘れてください。……それよりも、確か桜餅って二種類あるんでしたよね」
非常に苦しい話題転換だったが、東雲は特に気にする素振りも見せず、話に乗ってくれた。
「はい。確か、関東が“長命寺“、関西は“道明寺“で、それぞれ材料が少し違うんですよね」
「流石東雲。甘味のこともなんでも知っていますね」
「そうでもありませんよ。ですが、桜餅は昔からお供えにいただくことも多かったですし、何より好みですので」
「なるほど!それは納得です。……ちなみに、今私と東雲が食べているものはどちらですか?」
「これは“長命寺“の方です。もち米と小麦粉という使用されている具材で見分けることももちろん可能ですが、つぶつぶ感がありながらも艶やかな表面をしているものは“道明寺“、羽二重餅のように平な表面のものは“長命寺“と、その見た目から見分けることも可能です」
「そもそも使用されている具材が違うから、その表面の見た目も自ずと異なってくるというわけですね。そして、それが見分けるための材料になっている、と」
「その通りです」
「教えていただきありがとうございます。お陰様でその違いをはっきりと認識することができました」
「それは良かったです。さて、お餅が乾燥してしまわないうちに、残りも食べてしまいましょう」
東雲の言葉を合図に、一人と一柱はまた桜餅を食べ始めた。
数分もすれば、二つのお皿は空になっていた。翡翠は至福を感じながら、東雲に語りかけた。
「美味しかったですね、桜餅」
「ええ、本当に。やはり弥生は桜餅を食べないでは終われません」
「まだ初旬なので、きっとまた食べる機会はありますよ」
「そうですね。もしよければ、翡翠さんがこちらの桜餅を購入したお店を教えていただけませんか?とても気に入ったので、個神的に買い求めに行きたいと思いまして」
「もちろん、お安い御用です。お店の地図が書かれたショップカード__お店の名刺がありますので、後でお渡ししますね」
「ご丁寧にありがとうございます。……して、翡翠さん。まだお腹に空きはありますか?」
「えっ……?まだ、満腹ではないですけど……?」
「それは良かったです。実は、本日こちら側で用意してあるものは、お茶だけではないのですよ。何せ“特別な日“ですからね」
東雲の意図がわからず首を傾げていると、先ほどと同様、翡翠の背後に何かを置く音が聞こえた。




