第三章二節 風光る雛月の寿ぎ その8
一人と一柱が小さな約束を交わしてからも、大勢の花見客と共に桜並木を歩き続けた。
桜並木なそこまで長さがあるわけではなく、お花見のオフシーズンは二十分ほどで通り抜けてしまうことができるが、今日はなんと倍近くの時間がかかってしまった。
歩いた時間が想定よりも長かったことに加え、人が密集し、かつ暖かな日差しを遮るものが何もないという状況で体力を奪われた翡翠は、少し疲労を感じるようになった。
そろそろ休憩をしようかと翡翠が考え始めていた時に、上から柔らかな低音が降ってきた。
「少し休憩しませんか?大分歩いたので、少し疲れてしまいました。」
東雲の言葉に、翡翠は一も二もなく頷いた。
「そうですね、そうしましょう!ただ、今日はいつもと違ってこの公園の付近にある行きたいお店がどこにあるのかを調べてくるのを忘れてしまいまして……探すのにもう少し歩くかもしれませんが、大丈夫ですか?」
「もちろん大丈夫ですよ。それでは、少しでも早くお店が見つけられるように、人が少ないあちらの方を歩きましょうか。」
そう言って、東雲は翡翠の方へと自分の手を差し伸べた。手を差し出されたのは初めてのことだったため、翡翠は内心驚いたが、すぐにはぐれないようにするためだと気がつき、その手をしっかりと取ってから一緒に歩き始めた。
なんだか照れ臭いと感じたが、それは心の内に留めておくことにする。
公園内を歩いていると、小さい子たちが元気に走り回っている姿があちこちで見受けられた。どの子もとても楽しそうにはしゃいでおり、その姿を見守っている親もとても嬉しそうにしている。
「家族で来ている方が多いみたいですね。」
「そのようですね。先ほどから童の姿をよく見かけますし、高くて可愛らしい声もそこかしこに響いています。」
東雲がそう話しながら子供たちに向けた視線には、子どもたちへの慈しみが込められていた。
子供たちが楽しそうに遊ぶ姿を微笑ましく思いながら公園を抜け、少し歩いたところにお目当てのカフェの看板が置かれていた。
「あ、この看板に書かれているお店ですね。この小径を入って後五十メートルほど行けば着くそうです!」
「そうですか。後もう少しですね。頑張りましょう」
「はい!」
そのまま看板に従い小径に入って歩いていくと、お目当てのカフェに着くことができた。
洋風で白塗りの壁が春の柔らかな日の光を受けて光っている。
壁は白だが、窓枠や入口のドア、屋根等の他の部分は全て焦げ茶色で彩られていた。
素敵な外観だと思いながら翡翠が手前側に引いて扉を開けると、チリンという鈴の音が聞こえてきた。ドアの上方にドアベルが取り付けられているらしく、その音が店内に来客を知らせるのだ。どうやらまだできたばかりのお店らしく、新しい木の匂いが鼻を抜けた。
店内も外装と同じく白と焦げ茶色で統一され、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
ここなら、人の多さを気にせずにくつろげそうだ。
どこでも好きな席を取ると言うスタイルのお店だったため、翡翠は東雲とともに空いている窓側の席につき、早速それぞれでメニューを手に取り広げた。




