第三章二節 風光る雛月の寿ぎ その1
碧泉との邂逅から数日後、翡翠の姿は東雲の社の中にあった。
白の長袖ブラウスの上に纏った空色のワンピースが、風にひらひらと靡いている。
今日翡翠が着用しているワンピースは、腰のところに切り返しがついており、お腹周りがキュッとすっきりとして見えるので、翡翠はこのワンピースを愛用している。
スカートは膝丈だが、少し厚めの生地で作られているため、風が吹いても捲れることはないので安心だ。
足元は、くるぶし丈の白のソックスに黒のリボン付きヒールを履いている。どれもお気に入りなので、心なしかいつもよりも気分が良い。
境内に誰の姿もないのを良いことに、翡翠は鼻歌を歌いながら奥へと進んでいった。
舞殿の前までくると、境内と邸宅とを隔てる門が見えてくる。
そこに東雲の姿を確認することができたので、翡翠は「おはようございます」と声をかけた。
「ああ、翡翠さん。おはようございます。」
そう言った東雲の声が、普段よりも少し暗いような気がして、翡翠は首を傾げた。
「あの、何かありましたか?」
もしかしたら、今日のお出かけがあまり気乗りしないのかな。
そんな不安を抱きながら、翡翠が尋ねると、東雲は逡巡ののちに重々しく口を開いた。
「実は今朝、早急に対処しなければならない案件が舞い込んできてしましまして。早く終わらせることができればよかったのですが、残念ながらそういうわけにもいかず、今もまだ対処中です。
出かけるのであれば、翡翠さんにお待ちいただく必要が生じてしまったのが申し訳なく……。あと四半刻もしたら片付くとは思うんですが……」
東雲の言葉をきいた翡翠は、なるほど、と心の中で納得していた。
『東雲は私を待たせることになってしまうことを申し訳なく思ってくれていたから、声がいつもより暗かったんだ。』
東雲が自分のことを大切にしてくれているという事実に気がついた翡翠は、先ほどまで胸の内を巣食っていた不安な気持ちはどこかに消え去り、代わりになんとも形状し難い嬉しさが込み上げてきた。
「大変な中私のことを考えてくださってありがとうございます。三十分待つくらい全くもって問題ないので、お気になさらず。私は適当に待たせていただくので、早くお戻りください。そのご様子だと、重要な案件じゃないんですか?」
翡翠の言葉に東雲は頷いた。
「すみません、ありがとうございます。翡翠さんのおっしゃる通り、中々重要かつ迅速な対応が求められる案件を押し付けられておりまして、早急に戻らなければなりません。
……境内では流石に申し訳ないので、釣殿でお待ちいただけますか?あそこなら危険もなく、ゆっくりと過ごすことができると思うので。」
「では、お言葉に甘えてお邪魔させていただきます」
「はい、そうしていただけると助かります。あとで眷属にお茶を持っていかせますので、ごゆっくり」
そう言い残して、東雲は足早に寝殿へと向かっていった。
翡翠は美しく白い長髪を靡かせる後ろ姿をしばらく見つめていたが、東雲の姿が見えなくなり、ふと我に帰ったところで翡翠も後を追うようにして門をくぐった。




