第三章一節 弥生の邂逅 その9
ゆっくりと意識を覚醒させると、そこには闇が広がっていた。
耳にはざーという音が途切れることなく入ってくる。
どうやら、雨が降っているようだ。
目の前に見えるのは傘。その色は闇にもよく映える赤だ。
その傘を見た瞬間、翡翠は碧泉が持っているものと同じ傘であることに気がついた。
ということは____
『これは、以前碧泉さんと会った時の記憶……?』
そうは思ったものの、先程碧泉と会った時の状況とも酷似しているため、これが初めて碧泉とあった時の記憶であると決めつけることはできない。
だが、今見ている光景ではあたりが夜闇に包まれているので、やはり先ほどの光景とは違うのだろう。
翡翠が困惑している間にも、お構いなしに映像は進んでいく。
映像の中で、翡翠と碧泉と思しきものが何か言葉を交わしているが、その声は雨音にかき消されてよく聞き取れない。
「あなたは______ない______さま______」
神経を研ぎ澄ませて、必死に声を拾おうとしたが、いくら頑張っても途切れ途切れでしか聞き取ることができず、その内容は全くわからなかった。
しばらく、その光景を眺めていたが、ふいに視線の先にいる翡翠の体がぐらりと揺れた。
みるみるうちに全身の力が抜け、その体が傾いていく。
「危ない!!」
道路に倒れ込むと怪我をすると考えた翡翠は、咄嗟にそう叫んだ。__つもりだった。
しかし、喉の奥に何かがつっかえているような感覚があるだけで、実際に声を発することはできなかった。
身体も、そこから動くことはできなかった。
翡翠の代わりに倒れかかった映像の中の翡翠を止めたのは、碧泉だった。
彼は傘を持たない左手で、翡翠を抱きとめていた。おかげで、特にどこも怪我をすることなくすんだようである。
その様子を見て、翡翠は安堵のため息を漏らした。
『……自分で自分が倒れたところを見るって不思議な感覚だな』
普通、自分が意識を失っているのだから自分が倒れるところを目撃する、なんて考えられない。幽体離脱を体験したら、こんな感じなんだろうか。
苦笑しながらそんなことを思っていると、不意に視界が暗転した。
いきなりのことで驚いたが、すぐに視界に碧泉の姿が映ったため、ひとまず安堵の息をついた。
『何で一瞬目の前が暗くなったんだろう……。それに、さっきよりも碧泉に近い位地からの視点になった。』
頭に疑問符を浮かべていると、俯いた碧泉から声が発せられたのを聞いた。
「ずっと、こうして会える日を待ち望んでたんですよ。やっと________やっと、手に入った!」
この言葉だけが嫌にはっきり聞こえた。
まるでその瞬間だけ、降り頻る雨が止んだかのように、はっきりと耳に届いた。
低音で耳に心地よく届くその声は、間違いなく碧泉のものだった。
彼の腕の中には、力なくもたれかかる自分の姿がある。その瞳は硬く閉じられていた。
ふいに映像が切り替わり、碧泉の表情が見えた。
その表情から読み取れるのは、悲哀でも憂いでもなく、________愉悦だった。
そこで、映像はプツンと途切れた。




