第三章一節 弥生の邂逅 その6
私たちが注文したのは、ほうじ茶と抹茶の二種のブラウニーと薄茶のセットだった。
ブラウニーが載せられた陶器製のお皿は、少しくすんだエメラルドグリーンに彩られたガラス釉の表面が良い味を出している。
そしてその味のあるお皿に芸術品のように盛り付けられているブラウニーと良くマッチしており、思わず写真を撮りたくなるような美しさがあった。
崩すのがもったいないなと思いつつも、翡翠は手にした小さな銀のフォークでブラウニーを一口サイズに切り、口へと運んだ。
まずは定番の抹茶から。
口にした瞬間、抹茶の爽やかな香りが鼻腔を抜け、苦味がほんのりと舌に伝わってくる。
微かに感じるその苦味はチョコレートの甘さのなかで良いアクセントとなっており、幾つでも食べれてしまいそうなほど美味しかった。
先ほど口に運んだ分はあっという間になくなってしまったので、今度はほうじ茶味のブラウニーにフォークを当てた。
手元に抵抗感を感じながら、ゆっくりとフォークを沈み込ませていく。
先ほど同様一口サイズに切り分けられたら、そのまま口の中へとブラウニーを運んだ。
この時点でまだ微かに抹茶の風味が舌の上に残っていたのだが、ほうじ茶は抹茶の風味を邪魔することなく、お互いが見事に調和していてとても美味しかった。
これは抹茶のブラウニーもそうだったが、生地には刻んだナッツが練り込まれており、ブラウニーのしっとりとした食感とナッツのカリカリとした食感を楽しむことができる。
このナッツのおかげで味はもちろん、食感にも飽きがくることはなく、永遠に食べ続けられそうだ。
「このブラウニー、本当に美味しいですね!散々迷いましたが、このセットにして良かったです」
翡翠の言葉に、東雲も頬を緩めて頷いた。
「本当に。ほうじ茶も抹茶も、お互いの風味を邪魔することなく調和していますね。そしてその二つの素材が持つ独特の苦味を、ちょこれいとの甘さが良い具合に引き立てているという、まさに至高の逸品です。」
「東雲がそこまでいうなんて珍しいですね」
「そうでしょうか?考えてみれば、確かにここまで感動したのは久しぶりかもしれません。
味が非常に私好みである、ということが私にここまでの感動を与えてくれたのでしょう。」
「なるほど。好みの味ならそうなりますよね。そういえば、この二種のブラウニーはお持ち帰り用にも販売しているそうなので、お社で食べる用にご購入されてはいかがですか?」
「それは良いことを聞きました。後で購入して社でも楽しみたいと思います。ありがとうございます、翡翠さん。」
「いえいえ。東雲のお役に立てて良かったです」
向かい側に腰掛ける東雲の幸せそうな表情を見て、翡翠は心からそう思った。
「少し話は変わりますが翡翠さん、この薄茶はもう召し上がりましたか?」
そう言って東雲が手で指し示したのは、温かみを持つ白いお茶碗に注がれた薄茶だった。
先ほどまで目にはっきりと見えるほどゆらゆらと湯気が立ち上っていたのだが、今は見えなくなっている。
「いえ、まだです。猫舌なので、先にブラウニーをいただいて、その後にいただくつもりでした」
「そうでしたか。こちらもとても美味しかったので、もし器の熱さが大丈夫そうであればぜひ」
「そうなんですね!すごく気になるので、ちょっと試してみたいと思います」
言うや否や、翡翠はそっとお茶碗に触れてみる。
お茶碗の側面に触れている部分がじんわりと暖かくなっていくのを心地よく感じながら、これならいけそうだ、と翡翠はお茶碗を持ち上げた。
そのままゆっくりと慎重に一口だけ口に含んでみると、思った以上に口当たりが軽く爽やかだったので、翡翠は内心驚いた。
『苦味があまりない……それに、甘味を感じる』
口に含んだ薄茶を舌の上で転がしてみると、ほのかな甘みも感じることができる。
短絡的で恥ずかしいが、飲む前は薄茶の“薄“という字から、あまりお茶の味を感じることができないのではないかと考えていたのだが、全然そんなことはなかった。飲んでみれば、お茶特有の優しい甘みと旨味をしっかりと感じることができる。
「いかがでしたか?」
静かに見守っていた東雲が、翡翠に問いかけた。
「思った以上にすっきりとした爽やかさの中で、甘味の存在感もしっかりと感じられて驚きました。東雲がおっしゃった通り、とても美味しいですね!」
翡翠が微笑むと、東雲も嬉しそうに目を細めた。
美味しいお茶とお菓子に、ともにその美味しさを分かち合える存在と共にある幸せを噛み締めながら、翡翠は手にしていた湯呑みをぎゅっと握りしめた。




