第二章一節 師走の雪 その9
何にしようと思いながら翡翠はパラパラとページを捲る。
お品書きに載せられた美味しそうな甘味の写真が、翡翠の視界を流れた。
『どうしよう、定番メニューも気になるけど、季節限定メニューも気になる……』
どの写真も本当に美味しそうであり、また実際に美味しいことを知っている翡翠は、この時点ですぐには決めきれないことを悟った。
「翡翠さん、もしよければ、翡翠さんのおすすめのお品を教えていただけませんか?どれも美味しそうで決められそうにないので、それならば翡翠さんのおすすめの品を食べようと思ったのです。」
翡翠は東雲が同じように悩んでいたことを可笑しく思うと同時に、『これは責任重大だ』、と心の中で呟いた。
「そうですね……。このお店の甘味はどれも美味しいので、正直なところ全てがおすすめです。ただ、このお店は小豆やきな粉みたいな和菓子を取り扱っているので、看板メニューのお汁粉は一番人気があり、よく祖母と一緒に食べていました。小豆の粒が口の中でトロトロと溶けて、本当に美味しですよ!」
一応、他に東雲が頼むのを悩んでいるものがあるのであれば、それを選んでもらう一助になればと思い、写真付きのお品書きを指さしながら、一つ一つ簡単に説明を加えた。
ページをめくりながら説明している最中、翡翠は『初めて東雲とカフェに行った時みたいだな』と思いながら、まだ東雲と出会って間もない頃の出来事を思い出していた。
初めて東雲とカフェに行った際、東雲はメニュー表自体を手に取るのが初めてで、かつそこに記されている文字が読めなかったので、メニューを読み上げながら一緒に見ていく作業を行なったのだ。
その時、東雲はこんなことを言っていた。
*
『お手を煩わせてしまい、申し訳ないです。『お品書き』というものの存在については知っていましたが、何分お店の中で食事をするという行為が初めてなもので。
それに加えて、最後に人間の文字を学んだのは百年ほど前でして……。一応、ものの本質を読み取ることができる能力が備わっているので、どんなことが書かれているのか何となくはわかるのですが、それでは限界があります。翡翠さんが一緒でなければ、注文をすることさえできまなかったかもしれません。』
そう言って苦笑する東雲は、恥ずかしそうにしながらも、どこか嬉しそうに見えた。きっと、初めての体験を楽しんでいるのだろう。
少し出しゃばりすぎたかなと心配していた翡翠は、嬉しそうにしている東雲の様子を見て内心安堵していら。
『これくらい全然大丈夫ですよ。わからないことがあったら何でもおっしゃってください』
『ありがとうございます。翡翠さんは困っている者がいたら迷わず手を差し伸べる、優しい心をお持ちですね。どうか、これから先もそのままの翡翠さんでいてください』
そんなことを面と向かって言われたことがなかったため、翡翠は少し気恥ずかしく感じながらも、力強くうなずいた。
『そういえば、さっき『ものの本質を読み取ることができる』とおっしゃっていましたけど、具体的にはどういう……?』
『言葉の通りですよ。便利なもので、私たち神には文字文化が大きく変容した際に対応できるように、見たり触ったりすることで、目の前にあるものにどんなことが記されているかが瞬時に分かる様な機能が備わっています。
この機能のおかげで、現在使用されている人の子の文字を知らなくても、何が書いてあるかを大体は把握することができます。』
『本当に便利な……。でも言われてみれば、そういった機能がないと不便ですよね。きっと、人間のすぐそばで生活している神様ばかりじゃないでしょうし』
『おっしゃる通りです。この世界の万物に神は宿るとされていますから、当然その中には深い山の中に住んでいる神もいれば、海の底でひっそりと暮らしている神もいます。そういった神々が、人の子の記した書物を手に入れることはまず不可能でしょう。
ですが、少なからず一年に一度は人の子の文字に触れる機会が訪れます。』
『あっ、もしかして十月、陰暦でいう神無月ですか?』
『ご名答です。そう、翡翠さんが答えてくださった通り、毎年神無月には八百万の神々に招集がかかり、出雲で会議が開かれます。中には面倒だからという理由で数年に一度しか顔を見せないものもいますが、ほとんどの神はしっかりと出席します。』
『神様の集まりがあるのは知っていましたが、出席しないという選択肢をとることもできるんですね』
『その性質上集会に不向きな神もいますし、そもそも自分の任された領域から移動することができないという神もいますから。』
『確かに。それは納得です。』
東雲の言葉に、翡翠は頷いた。考えてみれば、ご身体が岩だったり樹木だったり、その場所から動けない神は数多く存在することは容易に想像がつく。
月並みの感想でしかないが、本当に色々な神様がいるのだと、翡翠は改めて実感した。
『思った以上に会話が弾み嬉しい限りですが、一旦注文しませんか?』
東雲の一言で、翡翠はまだ自分が頼むものすら決めていないことに気がつき、慌てて注文をした。




