第二章一節 師走の雪 その8
ここ『狐火』は近所でも有名な甘味屋さんで、休日には行列ができるほどの人気があるお店だ。
しかし、今日のように平日の昼間に行けばさほど並ぶことはないので、常連は平日の昼間を狙って顔を出すことが多い。
名物の白玉あずきは、煮詰まった小豆が口の中でトロトロと溶けていく。その美味しさは筆舌に尽くしがたい。
以前食べに来た際に感じた小豆のとろけるような舌触りを思い出しながら、翡翠は東雲の後ろについて店員さんが応対してくれるのを持っていた。
「お待たせいたしました、お履物を脱いでお上がりください」
店員さんの声を合図に、東雲と翡翠はそれぞれ自分の靴を脱いで板の間に上がった。
このお店の席にはお座敷とテーブル席の二種類があり、それぞれ部屋が分かれている。
手前の部屋がお座敷、奥の部屋がテーブル席だ。
ぜんざいや黒蜜白玉きな粉等の和スイーツを取り扱うお店とだけあって、お年寄りの方もたくさん来店する。そういったご高齢の方の中には、膝が痛くて椅子の方が良いという人も少なくはないため、こういうスタイルにしていると以前聞いたことがある。
「お好きなお席にどうぞ」
店員さんに自由に選んで良いと言われたので、パッと目についた入ってすぐのお座敷席に座ることにした。
お座敷席には大きな窓があり、窓の外においおてある大きな赤い和傘を見ることができる。今日はその赤い和傘に白い雪が降り積もり、いつも以上に風情のある光景になっていた。
以前来たときには、夏の突き抜けるような青空と赤い和傘の見事なコントラストを見ることができるなど、この傘が見せてくれる光景は、訪れる時々によって異なる。
季節ごとに違った景色を見ることができ、加えてその景色が抒情的で美しいことも、このお店が人気な理由の一つだろう。
翡翠は座布団が二つ敷いてある大きな窓に面した席を指し示しながら、東雲に顔を向けた。
「このお席がいいかなと思ったんですけど、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」
そう言って東雲は微笑んだが、一向に座る気配がない。
もう目の前まで来てはいるので、そのまま膝を折ってくれるだけで良いのだが、もしかして私が座るのを持っているのだろうか。
だとしたら申し訳ないと思い、翡翠は着座を促すために東雲に声をかけた。
「どうぞ、遠慮せずに東雲が先に座ってください。神様に先に座っていただかないと、私は座りませんよ」
呼び捨てにさせてもらっている身で言うのも何だが、神様より先に座るのは流石に気が引ける。東雲は曇ったような表情をしたが、一瞬の後には笑みを湛えていた。
「お気遣いありがとうございます。それでは、失礼しますね。」
翡翠に礼を言ってから、東雲は無駄のない流麗とも言える所作で着物を抑え、席についた。その姿がとても様になっていたので、翡翠は内心ドキリとしていた。
「翡翠さん?座らないんですか?」
「えっ、あっ、すみません!!今座りますね」
翡翠がいつまで経っても座らないことを不思議に思った東雲が、翡翠に声をかける。
東雲の声で我に返った翡翠は、慌てて返事をして席についた。
座った途端に、お気に入りの席の確保と東雲の所作の美しさに見惚れていたことで忘れていた手袋とマフラーを外し、東雲と隣り合っている反対側の横に置いた。
そして机の上に乗っていた紐で閉じてあるお品書きを手に取り、中のメニューを眺め始めた。
先にお品書きを手にした東雲の瞳が、次第に輝きを放つ様子を横目に見ながら。




