第二章一節 師走の雪 その6
まさか神様に頭を下げさせるようね事態になるなんて思ってもいなかった翡翠は、首と手を全力で振りながら慌てて口を開いた。
「今言ったのは私の単なるわがままなので、こんなことで頭を下げないでください!!神様に頭を下げさせるなんて、私はなんて恐ろしいことを…………。すみません、私のことを考えてくださっていたのに……」
翡翠はそう口に出しながら、東雲に向けた自分の発言が良くなかったと反省する。
少し考え過ぎかもしれないが、言葉は力を持っている。
その力はプラスにもマイナスにも大きく働いてしまうので、他者に自分の気持ちを伝えるときはそれを鑑みながら慎重に言葉を選ばなければならないと、翡翠は常々考えている。
それでも、今回のように失敗してしまうことも多い。
『いつになったら、他者を傷つけないような言葉選びをすることができるようになるんだろう…………』
自己嫌悪に陥っていると、突然頭の上に何かが触れた。
「えっ」
そう呟いた翡翠は咄嗟に頭の上に手を持っていくと、自分以外の者の手、つまりは目の前にいる東雲の手の感触があった。
困惑しながら顔を上げると、東雲は何も言わずにただただ優しい目をしてこちらに笑みを向けていた。
「確か人の子は、こうすると落ち着くと幼子を連れた女性に聞いたことがあります」
そう言いながら、東雲はまるで割れ物を扱うかのように優しい手つきで、翡翠の頭を数度撫でた。
思いっきり子供扱いされている気恥ずかしさはあったが、東雲の手が思いの外心地よく感じられて、しばらくの間はされるがままにしていた。
____が、ここが公道で尚且つ今の東雲の姿は他の人間にも見えているということを思い出し、東雲の手から逃れるように身を後ろへと引いた。
「あ、ありがとうございます。慰めてくださったんですよね。東雲の優しさは十分伝わりましたのでもう……」
翡翠が今にも消え入りそうな声でそう告げると、東雲は何かを納得したかのように一つ頷き、宙に浮いていた手を着物の裾へとしまう。
「……そういえばここは人の子もよく通りますし、私の姿も見ることができるようにしてあるので嫌でも人の子の視線に晒されてしまいますよね。大変失礼しました」
「いえっ、全然大丈夫です!!!…………ってあれ?よく私が人目を気にしていることがことわかりましたね」
翡翠が不思議そうに首を傾げると、「ああそれは……」と東雲が説明を始める。
「その前に翡翠さん、先ほど私の視線を真正面から受けられましたよね。以前に忠告したことをお忘れですか?」
それを聞いた翡翠の口から「あっ……」という声が漏れる。その様子を見た東雲は、少しだけ悪戯っぽさを帯びた微笑を浮かべた。
「思い出していただけたようで何よりです。そう、『神の目は見てはいけない』。言葉は少し変わりますが、そういった趣旨のことを私はお伝えしました。」
「ええ、それはもうよく覚えております……」
翡翠が初めて東雲と出会った時、その綺麗な瞳に吸い寄せられるようにして、真正面から東雲の瞳を見つめてしまった。
そしてその直後に、自分の体を自分の意思で動かすことができなくなり、さらに私の心の内を読まれるという事態に陥った。
まだ自分の目の前にいるものの正体がはっきりと掴めずにいた翡翠にとって、それは恐怖以外の何者でもなかった。
「今回もそれと全く同じ原理です。特に、“人の子の思考を読む“というこの性質は、対象となる人の子に触れているとよりその精度が上がるという特性があります。
先程の場合、私の身体の一部が翡翠さんに触れていましたし、より思考が読みやすい状況下にあったというわけです。」
「そんな特性が……。正直東雲であれば大丈夫かなと思っていたので、同じことを繰り返してしまいましたが、しっかり胸に刻みました。他の神様と接する際には、絶対に目を見ないように気をつけます。」
翡翠の言葉に、東雲がため息をつく。残念ながら彼の耳は誤魔化せないようだ。
「私も一応、神の一柱なのですよ」
「先程も言いましたが、東雲なら大丈夫だと思っているので。それに、東雲はご自身で神格が高いとおっしゃってましたよね?それなら、東雲の意思次第で聞く聞かないが選択できるのでは……と思いまして。」
東雲はほんのわずかに目を見開き、そして再び長く、はーっと息を吐いた。




