第二章一節 師走の雪 その5
「すみません。特に深い意味はありませんので。もう一本向こうの道から来れば右手側にある道にお店があることになりますから。」
「あっ」
東雲に指摘され、翡翠は自分が至極単純な勘違いをしていたことに気がつく。
考えてみれば普段は学校帰りによることが多く、その場合、東雲の言うとおり今いる道よりももう一本奥の道から来ることになる。
それが自分の中で定着してしまい、いつもと違う方面から来た今回、混乱が生じてしまったのだろう。
「わかっていただけましたか?私、たまに翡翠さんに内緒で尾行させていただくことがあるのですが、その際にこのお店に入る姿も目撃していましたので」
「へーそうなんですか…………ん?」
「翡翠さん?何か気になることでもありましたか?」
東雲が心底不思議そうな顔をする。
憎らしいほど純粋な疑問に、翡翠は少しだけ体に入っていた力が抜けるのを感じた。
「そ、そんな可愛い顔してもダメですよ!!いつから尾行なんていうストーカー紛いの事をなさっていたんですか!?」
翡翠の言葉に、東雲が聞き捨てならない、といったように反論した。
「すとーかー、とは付き纏い行為をする者のことですね。私の場合は翡翠さんを守護するための行動ですので、その言い草はさすがにいかがなものかと。……とはいえ、隠れて翡翠さんの様子を伺っていたのは事実ですし、素直にお答えしましょう。
翡翠さんに加護を授けたその日からです。」
腕を組みながら答えた東雲は、明らかに開き直っている。今にも『それが何か?』と言いそうな気さえした。
「もう随分前のお話ですよね?何でさも当然のようにおっしゃっているんですか……」
驚きのあまり思わず呆れたような反応を返してしまったが、翡翠は何も呆れているわけではない。
先ほどから考えていたが、この認識の違いはきっと、人間と神様の考え方の差異により生まれたもの。
であれば、そこをとやかく言っても仕方がない。その差異を甘んじて受け入れるのが正解なのだと翡翠は感じている。ただ、反論するくらいは許して欲しい。
一度気持ちを落ち着かせるために、ふーっとため息をつき、大きく息を吸った。
翡翠の様子を見ていた東雲が、心なしか暗い表情で口を開いた。
「……私は、翡翠さんに何か悪いことをしてしまったのでしょうか」
東雲が発したその声には不安と一抹の寂しさが入り混じっている。東雲のしおらしい様子に毒気を抜かれた翡翠は、東雲に声をかけた。
「もちろん驚きはしましたけど、こんなことでは嫌いになったり、信用しなくなるようなことはありません。全く知らない存在って訳でもないですし、そもそも人間の理は通用しなさそうですから。
ただ、人間の世の理としては、人の後をつけることは何か危害を加えられることを彷彿させる行為として受け止められることがほとんどですので、以後はできる限りやめていただきたいです。
ちなみにお聞きしたいんですけど、以前東雲と関わりを持っていた他の人間の方から、プライバシー__個人情報的な観念について話したりはしなかったんですか?」
「はい……。実はここまで密接に人の子と関わるのは、翡翠さんが数百年ぶりと本当に久しぶりのことでして。
それに人の子と関わりがあると言っても、出会った際にやりとりをした後は、基本遠くから見守るという形をとっていたので、最初と途中何か不慮の事態が起きない限りは基本的に不干渉でした。」
「そうだったんですね……。少し責めるような口調になってしまい、申し訳ありませんでした。人と交わる機会が少なかったのであれば、知らなくて当然ですので、今までのことは気に病まないでいただけると嬉しいです。
これからは、後をつけるのではなく、首の印から位置情報を辿る方法で居場所の確認をお願いしたいです。
そして何より一番私が言いたかったのは、どうして側にいるのに声をかけてくださらなかったのか、ということです」
「え……、そこ……ですか?」
東雲は拍子抜けした様子で呟いた。
「はい、そこです。だって、一人で食べるより、二人で食べた方が美味しいじゃないですか。このお店、よく祖母と二人で来てたんです。だから、本当は一人で行くのが寂しくて。友達を誘おうかなと思ったこともあったんですけど、何となく祖母を知っていた人じゃないと嫌だなと思う気持ちが心の奥底にありまして。……なので、後をついてきているなら声かけて欲しかったです。」
翡翠の言葉を聞いた東雲は、神妙な面持ちになる。
「……それは、失礼しました。翡翠さんが以前、誰かと一緒にいるのは好きではないとおっしゃっていたので、私なりに考えて声をかけないようにしていたのですが……。どうやらその認識は間違っていたようです。申し訳ありません。」
そう言って東雲は翡翠に向かって頭を下げた。




