第一章二節 高秋の訪問 その8
それからしばらくは互いに無言の時間が続き、静寂さと景色、そして心地よく吹く風を堪能していると、小さくコトンという音が背後から聞こえた。
その音に翡翠が振り返ってみると、すぐ後ろの畳の上には黒い丸盆が置かれている。
その上には、まだ湯気が立っているお茶と、私が持参したおはぎ、さらには紅葉とイチョウの葉を象った練り切りが盛り付けられたお皿が、それぞれ二つずつ載せられていた。
東雲はお盆の上に置かれた品々を見て嬉しそうに目を細めた。
「準備が整ったようですね。それでは、お茶が冷めないうちにいただきましょうか。」
「はい……というか、私もいただいていいんですか?」
「もちろんですよ。そのために二つずつ用意して貰ったのですから」
「あ、ありがとうございます。皆様のご好意を無碍にするわけにもいかないので、ご相伴に預からせていただきます!」
「そうしていただけると私も嬉しいです。では」
東雲の言葉を合図に両の手を打ち合わせ、「いただきます」と唱えてから、翡翠は湯呑みに手を伸ばした。
顔に寄せるとお茶の爽やかな香りが鼻腔を抜ける。その香りを堪能してからお茶を飲み下すと、翡翠は驚いて東雲のいる方に勢いよく顔を向けた。
「このお茶、とってもまろやかで優しい味わいで落ち着きますね……。それに、口に含んでから芳醇な香りがブワッと押し寄せてきました……!」
予想以上の美味しさに顔を蒸気させる翡翠を見て、東雲がクスクスと上品に笑う。
「気に入っていただけたようで何よりです。そういえば、私も初めてこの茶葉で淹れたお茶を口にした時、香りの豊かさに驚きましたね。____ああ、とても懐かしい」
先ほどの鈴の音が鳴るようなコロコロとした無邪気な笑い方ではなく、ふんわりと優しい笑みを浮かべた東雲に、翡翠は心臓が跳ねる心地がした。
「そ、そうなんですか。」
動揺を隠そうと返事をしてみたものの、その後の言葉が続けられず口をつぐんでしまった。これでは東雲にバレバレではないかと思ったが、彼は特に何も言わずお茶の香りを楽しんでいるようだった。
東雲の綺麗さには慣れた気がしていたが、動揺してしまうほどにはまだ慣れていなかったらしい。持っていた湯呑みに視線を向けると、ゆらゆらと蒸気が立ち上っていた。
絶え間なく立ち上っては消えていく様を見つめていると、今度は東雲の方から歓声が上がった。
「翡翠さんが持ってきてくださったおはぎ、あんこの厚みがすごいですね。想像していた倍以上ありました。それに中のうるち米に塩気があって、あんこの甘さをより引き立てています。ああ、人の子の作る甘味は本当に美味しい。」
目を閉じて幸せそうに噛み締める東雲の表情は、通常の凛とした表情からは想像がつかないほど緩んでいる。
「そんなに喜んでくださるなんて、嬉しいです。ここまで持ってきた甲斐がありました。」
翡翠が笑いを含んだ声で言葉をかけると、東雲は何かを誤魔化すように咳払いをした。きっと、いつもよりはしゃいだ姿を見せたことが恥ずかしくなったのだろう。
『なんだか、さっきの私みたい。』
そう思うと余計笑いが込み上げてきて肩を震わせていると、東雲が無言で私のおはぎのお皿を差し出してきた。笑ってないで早く食べてみろ、ということらしい。
素直にお皿を受け取っておはぎにパクリとかぶりついてみた。と同時に、あんこの優しい甘さが口の中いっぱいに広がった。
しっかりと粒が残りながらも噛んだ瞬間にほろほろと崩れて溶けていく。遅れてうるち米の塩気がやってきて、甘すぎると感じる前にそれを打ち消した。
これは東雲が相好を崩すのも納得だ。
かぶりついた一口をしっかりと飲み込んでから、翡翠は口を開いた。
「これ、本当に美味しいですね!!東雲が気に入るのも納得です!!!」
「やはり、翡翠さんなら理解していただけると思っていました。お裾分けにいただいたとおっしゃっていましたが、こんな美味しいものをくれた近所の方には感謝しなくてはなりませんね。」
「そうですね。今度返礼として祖母がよく食べていた美味しいお菓子を持っていこうと思います!」
そのあとは翡翠のおすすめのお菓子の話や、東雲が昔食べて気に入っているお菓子の話で盛り上がり、お皿の練り切りも湯呑みのお茶も、気がついたら無くなっていた。




