第一章二節 高秋の訪問 その4
「うっわあー…………」
門を潜り抜けた翡翠の第一声はそれだった。というよりか、感嘆の声を漏らすことしかできなかったのだ。
まず、翡翠の目に飛び込んできたのは、門から入って左側に停められていた牛車だった。
歴史の教科書で平安時代に貴族の乗り物として出てくる牛車が、違わぬ姿でそこにあった。
特徴的な大きな車輪は日光を受けて艶やかに光っており、牛車の天井部から垂れている簾と房飾りが風に揺れている。
房飾りも車体も、明け方の空を彷彿とさせる濃いオレンジ色をしていた。
日陰にあってもはっきりとその色彩の美しさが見て取れる。間違いなく、最高級のものであると素人目にもわかるようなものだった。
普段、東雲はこの牛車に乗って出かけているのだろうか。
戸惑う翡翠とは対照的に、東雲は特に気にも留めない様子でスタスタ軽快な歩調で進んでいく。
そのため反対側の建物も少し気にはなったが、内部を覗くことは叶わなかった。建物の壁を横目に見ながら、東雲の横へと走った。
すぐ側にある中門に差し掛かると、その向こう側に広がる景色を見て翡翠は息を飲んだ。
本殿と思しき建物の大きさはさることながら、その反対側に設けられた中島がいくつも浮かぶ池の広さと美しさに、翡翠はただ目を丸くすることしかできなかった。
呆気に取られ、立ちすくんでいる翡翠を横目で見ながら、東雲は説明を始めた。
「築地塀の外側からはこの場所を見ることはできないので、翡翠さんが驚かれるのも無理のないことです。私の住まいは、平安時代の貴族の邸宅を模して造られています。
向かって右手側にある大きな建物は寝殿で、普段私はあの建物で過ごしています。先ほど入ってきた入り口は東に位置する四足門なので、東四足門と呼んでいます。
ここと反対の西側にも同じように四足門があります。
牛車が止めてあった場所は、車宿と言って、牛車を止めておく場所です。と言っても、私が牛車を使うことはほとんどありませんので、飾りのような存在です。
車宿の向かい側にある建物には、特に何の役割もありません。平安時代の貴族の邸宅においては、侍所と言って、貴族が雇った警護役の侍を詰めておく場所だったのですが、私にそのような存在はおりませんし、そもそもこの場所を襲ってくるような存在もいませんから。
____そして、現在私たちが立っているこの場所は、東側に位置する中門ということで東中門と呼んでいます。基本的に、客人はここから履物を脱いで寝殿まで上がっていただくことになっているので、翡翠さんもどうぞここから上がってください。」
東雲に促された翡翠は、言われるがままに靴を脱いで板の間へと上がった。
靴はどうすればいいかと尋ねたところ、そのままで大丈夫だと言う返答が返ってきたので、端に揃えて置かせてもらった。
一歩一歩進むごとに、ギシッと木の板が軋む音がする。
現代ではごく一般的な鉄筋コンクリートの家に住んでいる翡翠には、その音と、足が沈み込む感覚が真新しく、ただ、不思議と懐かしく感じられた。
廊下は吹き抜けになっており、庭園と池がよく見えた。
中門から見た時よりも、幾分か高いところから見下ろしているため、先ほどとはまた違った景色を楽しむことができる。
雨の日は大変だろうなと思ったが、軒が深く作られているため、廊下が雨水で濡れることはなさそうだ。
そのまま奥へ進むと、一つの大部屋が目に入った。
「この部屋は、東対と呼ばれています。古の貴族は、ここに自分の家族を住まわせていましたが、私は見ての通り独り身ですので、この部屋は寛ぐための部屋として使っています。
東対の奥に東北対という、ここよりも一回りほど小さな部屋も存在していますが、そこは衣装部屋として使用しているので、今回は割愛させていただきます。」
流れるように説明を終えた東雲は、再び歩き出した。
神様のプライベート空間には少し興味を惹かれたものの、こればっかりはプライバシーに関わる問題なので、仕方がない。
翡翠は別の場所に意識を向けて、東雲の言う衣装部屋のことを考えないようにした。
南面の広庇を通って、今まさに透渡殿に差し掛かろうという時に、シャーン、シャーンという鈴の音が辺りに鳴り響いた。




