第一章二節 高秋の訪問 その2
「まずは、境内の最奥と間反対に位置する一番遠い場所から見ていきましょうか。」
そう言って、東雲は鳥居に向かって歩き出したので、翡翠もすぐその後を追った。
来た時にも通った参道には、相変わらず木々が生い茂っていた。
来る時も思ったが、なんだかこの空間にいるだけで自然の力をもらえるような、何か不思議な感覚を覚える。
『もしかしたら、この参道自体が何か特別な力を持っているのかも。……なんて、あるわけないか。』
翡翠は考え事を頭の中に浮かべては消し、浮かべては消しを繰り返しながら東雲と共に一ノ鳥居へと歩みを進めた。
一番最初に見たのは、一ノ鳥居と道路とを隔てるように流れる小川だった。
「ご存知ないかと思ってまずはここにお連れしました。一応、この小川も私の社の神域に含まれています。」
神社の周りはぐるりと石柱で囲われているのだが、この小川はその石柱よりも外側に位置している。
そのため、東雲が予想した通り、翡翠はてっきりこの小川は神社の神域に含まれないものと思っていたが、自分の認識が間違っていたことを知り、驚きを持ってその小川を見ていた。
「そんなに珍しいものではありませんが、だいぶじっくりと見られるのですね。
……ところで翡翠さんは、この社に足を踏み入れる前も、この小川を目にしていましたか?」
翡翠には東雲の質問の意図がよくわからなかったが、祖母に連れられてこの辺りを通った際もこの小川を見ていたため、素直に首を縦に振った。
翡翠の反応を見た東雲は、僅かに目を細めた。
「やはり、そうでしたか……。いえ、すみません、今の質問は流していただけると有り難いです。特に他意はありませんから。
____そうそう、この川の反対側を流れる川は私とは別の神が支配する領域ですので、あまり近づかないことをお勧めします。と言っても、この神社に足を踏み入れるためには、小川に近づくことはどうしても避けられないのですがね。それでは、次に行きましょうか。」
別の神様……か。随分と近くに他の神様の領域があるんだなあ。
東雲の言う別の神様が一体どんな神様なのかは知らないが、東雲の口ぶりからして、あまり関わらない方が良い部類の神様なのだろう。
東雲に言われたことをしっかりと心に刻んでから、歩き出した東雲の後を追いかけて、翡翠も歩き始めた。
*
元来た道を戻り、再び二ノ鳥居をくぐると右手には手水舎__参拝者が口や手を清めるところ__があり、真正面には舞殿、左手には大きな建物が目に飛び込んでくる。
全ての建物において柱は丹色、壁は白に塗られており、塗りたてではないかと思うほどに清潔に保たれていた。
そこには汚れひとつ見受けられない。
その清廉さに、初めてここを訪れた時と同じような感動を覚えながら、翡翠は忙しなくキョロキョロと目と頭を動かした。
『改めて見てみると、本当に立派なお社だよね』
そう思ったところで、翡翠は首を傾げた。
この規模の神社なら、地元を取り上げた旅行雑誌とかでここに関する記事が掲載されてもおかしくないはずなのに、まだ見たことがない。どころか、話題に上ったこともなかったような気もする。
私が見つけられていないだけなのだろうか。
不思議に思いはしたが、今考えても仕方のないことだ。
翡翠はそこで思案することを止め、少しだけ開いてしまった東雲との距離を縮めるために歩調を早めた。
「こちらは、手水舎です。寺社仏閣巡りがお好きな翡翠さんなら知っていると思いますが、参拝者はまず最初にここで手と口を清めます。」
東雲の言葉に、翡翠は首を縦にふった。翡翠も寺社でお参りをする際には、必ず手水舎で清めるようにしている。少し前まで手と口を清めてからお参りしているのはご年配の方が多いように感じていたが、近年御朱印巡りや神様が注目され始めたことにより、若い人でもしっかり手水舎でお清めをしてからお参りする方が多くなっているように思う。
「せっかくなので、私たちも清めましょうか」
色々と考え事をしていた翡翠は東雲の声にはっとして、慌てて「はい」と返事をした。
東雲が手渡してくれた柄杓を右手に持ち、水を掬う。
まずは左手を濯ぎ、次に柄杓を左手に持ち替えて右手を濯ぐ。さらにもう一度右手に柄杓を持ち替えて左手に水を溜め、その水で口を濯ぐ。最後に、柄杓に残っている水で肢の部分を濯いだら、お清めの完了だ。
所によっては、作法を知らない参拝客のために説明書きが用意されていることもあるが、この神社にはそれがない。
覚えていてよかった、と翡翠は内心ほっとした。
カバンに入れていたハンカチを取り出し手を拭い終わると、ザクっという砂を踏みしめる音が聞こえた。
少し離れていた東雲がこちらに向かって歩いて来て、翡翠の前で止まった。
「それでは、次に行きましょうか。と言っても、次に案内するのは手水舎のすぐ横なので、あまり代わり映えはしないのですが。」
東雲は視線を手水舎から左斜め前に移しながら、そう口にした。
東雲の視線の先を辿ると、そこには周りの建物と同じく、朱色が目につく殿舎があった。
四方を御簾で囲まれたその殿舎には階段がついており、周囲よりも一段高くなっている。
「ここは、舞殿です。奉納の舞が行われる場所ですね。」
「舞殿……。このお社ではまだ東雲以外の方に会ったことないんですけど、ここで舞を披露する方はどんな方たちなのですか?」
「そうですね……私たち神であったり、人であったり、はたまた別のものであったり。色々です。
まあ、この場所に足を踏み入れることのできる人の子はあまりいないので、基本人の子以外の存在、と考えていただくのがよろしいかと。」
翡翠は東雲の言葉に少しの違和感を覚えながら、聞いていた。
ただ、その違和感が何からくるものなのかは分からなかったため、何も言わないことにした。




