第五章 長月の真実 その30
「そうですか。翡翠さんの気持ち、しかと受け取りました。
________それでは、これからあなたを私の眷属にするための詠唱を行います。
翡翠さんは気持ちを落ち着け、目を閉じて私が今から言う言葉を聞き漏らさないよう、しっかり集中してください。」
「はい。」
翡翠は大きく深呼吸をして、目を閉じる。それから、東雲の紡ぐ言葉を一言一句聞き漏らさないように全神経を集中させた。
「聞食せ聞食せ
掛けまくも畏き大神等
我今を境に彼の者と主従を契る
名を翡翠
我が願を入れその行く方を見届け給え」
東雲が言葉を唱え終わると、目を閉じた翡翠の眼前に、一人の女性の後ろ姿が見えた。
翡翠の耳に、その女性のものと思しき声が届いた。
『お主は、本当にそれで良いのか』
その問いかけに、翡翠は頷いて答えた。
『はい。眷属となって東雲に恩返しをすることが、今の私の望みですから』
『ふん、今の人の子にも、義理堅いものが残っておるのだな。よかろう。お主を東雲の眷属と認む。精一杯励めよ』
凛とした威厳のあるその声に、思わず膝をついて平伏した。
距離があるはずなのに、ビリビリと大気を振るわせる強大な力が、しっかりと伝わってくる。
それは間違いなく、高位の神であった。
『もしかして_____』
翡翠は、その女神の名前を思い浮かべる。
「もう、目を開けていただいて構いませんよ。」
東雲の声が届いたと思うと、眼前の女性はいつの間にか消え去り、ただ薄い闇が広がっていた。
翡翠はまだ曖昧な意識のまま、東雲の言に従って瞼をあげた。
瞳に、こちらを見つめている東雲と碧泉の姿が映る。
その表情は、とても穏やかだった。
「あれ________何も、変わってない?」
左右をキョロキョロと見て、服装等に変化がないことを、不思議そうに確認する翡翠をしばらく眺めていた東雲と碧泉は、たまらないというように吹き出した。
「やっぱり翡翠さんは見ていて飽きないですね。あなたの魂を喰らわずに見逃したのは正解でした。」
「碧泉、そんなこと言っては翡翠さんに失礼でしょう……ふふ」
「いや東雲が一番失礼だと思いますが!?」
すみませんと目尻に溜まった涙を拭いながら東雲は言ったが、内心思っていることとその言葉が違うことは明らかだった。
「そんなに笑わなくても……!!だって、こういう契約が終わった時って何か変化してたりするじゃないですか!!まさか何も変わらないなんて……」
「あれ、お気づきではなかったんですね。左手の甲を見てみてください。」
東雲に言われた通り、翡翠は左手の甲を見てみた。すると、そこには東雲色の花の印が現れていた。
「これは……?」
「その印は、私の眷属であるという証です。神によってその印の形と色は異なります。私の場合は、東雲色、東雲の花ですね。」
「わかりやすくていいでしょう?」と言って、東雲は微笑んだ。
東雲に向けていた視線を、再び左手の甲に落とした。しばらくじっと眺めてみる。
「色に東雲があるのは知ってましたけど、お花にもあったんですね……とても、とても綺麗です。」
「そう言っていただけるのは嬉しいですね。それと、こちらをどうぞ。」
東雲が翡翠に差し出したのは、簪だった。緑色の玉石が太陽の光を反射してキラキラと輝いている。
「この簪には、私の神力が込めてあります。
あなたは霊力が高いので、他の神や妖から狙われてしまうことも多いと思いますが、この簪をつけていれば少しはそれが軽減されるでしょう。」
説明を聞きながら、翡翠は受け取った簪をまじまじと見た。少し手の内で弄んでみると、簪の先から垂れ下がった装飾がサラサラと音を立てる。
その様子を見ながら、東雲は説明を続けた。




