第五章 長月の真実 その25
どれほど時が経っただろうか。
まだしゃくりあげる翡翠の肩に東雲のが手を添え、ただ悲しげにその様子を見守っている。
一人と一柱を見つめていた碧泉が、そろそろ前に進むべきだとでもいうかのように、一歩前に歩み出た。
「そろそろ本題に入りましょう。時間もありませんからね」
碧泉は、あいも変わらず中性的で美しい顔に、綺麗な笑みを浮かべている。
残念ながら、翡翠にとってはあまり居心地の良くない笑みへと変質してしまったが。
歩み出した碧泉に視線を向けた東雲は、険しい表情を浮かべた。
「それくらいのこと、あなたに言われなくても承知していますよ」
落ち着いてはいるが、普段よりも少し低い声が、東雲の今の気持ちをよく表していた。
「そんなに怒らないでよ。僕はこれでも一応、善意で言ってあげたんだから」
不敵な笑みを浮かべる碧泉に向けた東雲の表情は、険しさの中に、苦々しさを含んでいるように見える。
何を話しているのかまったくもって見当がつかない翡翠は、そのやりとりを眺めていることしかできなかった。
口をつぐんでいた東雲が、一度瞳を閉じながらふーっと長いため息を吐いた。
「失礼しました。どうもあなたと話していると調子が狂いますが、それをあなたが楽しんでいる様子なので、逆に少し冷静になることができました。」
そう言い放ちながら、東雲が碧泉に笑みを向ける。
二柱ともに笑顔だが、そこに温厚な雰囲気はなく、ただただ火花が散っているのが見えた。
「それは結構。で、これからどうするの」
碧泉の一言で、急激に周囲の空気が引き締まった。張り詰めた空気に、息が詰まりそうになる。
空気を引き締めた神は、気にも留めずに言葉を続けた。
「わかっているだろう。この状態のまま翡翠さんの魂を現世にとどめておくことはできない。君に与えられた使命から考えても、それは承知していると思うけど」
「はい」
東雲は、真っ直ぐに碧泉を見返して頷いた。
反応を見た碧泉は、無表情で再び言葉を投げかけた。
「であれば、さっさと黄泉に送ってしまったらどう?____早くしないと、僕が食べてしまうよ」
碧泉の言葉に、翡翠はビクッと肩を揺らした。そんな翡翠を見て、東雲は碧泉から翡翠を守るようにして自らの影に隠した。
「そんな事態を私が容認するとでも思っていますか?もしそうなのであれば、考えをあらためてください」
東雲は丁寧に、しかし強くはっきりと言い切った。碧泉は、目を細めて東雲を見据えている。
「____それほどまでに強い意志を持ちながら、なぜ実行しようとしない」
碧泉の鋭い一言で、東雲の表情が曇った。
「それは……」
東雲は言い淀んで、そのまま口をつぐんだ。
そこには、何か決意の色を読み取ることができたが、迷っているようにも感じられる。
判然としない態度を取る東雲に、碧泉が大きなため息をつき、少し苛つきを含んだ声音で言葉を放った。
「まどろっこしいですね。いい加減、本心を打ち明けて、実行したらどうなんですか?
君、翡翠さんのことを手放す気なんて最初からないでしょう。」
翡翠はその言葉の意味が全くわからなかったが、何度か反芻している間に何となく飲み込めてきた。と同時に、顔に熱が集まるのを感じた。
東雲は碧泉に向けて微笑を浮かべたが、表情とは反対に、悪態をついた。
「やはり、あなたが私に対して少しでも丁寧な言葉を使うなんて気色悪いですね。
その言葉、そっくりお返しします。この騒動、元はと言えばあなたが翡翠さんの魂を気に入ったことから始まったのですが。」
東雲に言われた碧泉は、翡翠に視線を向けた。少しの間、沈黙が流れる。そしてその沈黙は、碧泉が口を開いたことにより終わりを告げた。
「まあ、実のところは翡翠さんの魂を食べてしまおうと思っていた。ですが、気が変わりました。あなたの魂は、食べてしまうより東雲のところで泳がせておいた方が、ずっと面白そうだ。せいぜい暇つぶしの玩具として楽しませていただきますよ。」
「えっ……えっ……?」
予想外の展開に驚き、混乱している翡翠は、ただ狼狽ることしかできなかった。
「君は本当に何も翡翠さんに話してなかったんだね。」
「それが規則ですから。」
「相変わらずお堅いようで。でも、もし君が本気でそうすると思っているのであれば、自分で説明するのが筋ってものでは?」
「あなたから正論を言われる日がくるとは_____まあ、そうですね。
翡翠さん、聞いていただけますか?これから、私はある提案をさせていただきます。翡翠さんには拒否権もあるので、よく考えて回答してください。」
「は、はい。」
東雲の少し脅すような物言いに、翡翠はこれから何を言われるのか緊張しながら返事をした。
「端的に言います。____翡翠さん、私の眷属として一緒に現世にとどまって、現世を彷徨う魂を彼岸へと導くお手伝いをしていただけませんか?」
「私が……眷属ですか?東雲の?」
聞いたことが信じられず、翡翠はキョトンという表情のまま東雲に聞き返した。
「言葉の通りですよ。私の眷属になっていただきたいのです。」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
「ど、どうしてそんな発想に……?」
「それには、少しややこしい事情がありまして……」
そう言いながら、東雲は着物の袖に両腕を入れ、深いため息をついた。




