第五章 長月の真実 その15
その状態のまま、どれくらい時が経っただろうか。
東雲はふーっと深く息をついたと思うと、玉砂利を踏みしめ、ザクッという音を立てながら、私に歩み寄ってきた。
その表情は先ほどよりも硬かったが、何かを決心したようにも見えた。
「____覚えていらっしゃいますか?あなたは何故私の社に近づくことを頑なに拒んでいたのかを。」
想定していなかった東雲の問いかけに、翡翠は戸惑いながらも答える。
「は、はい。それはもちろん覚えています。
『あの社に住う神様に魅入られると厄介だから、決して近づくな』という祖母からの言いつけを守っていたからです。」
「そうでしたね。ですが翡翠さん。既にそこから間違っているんですよ。」
「え________」
翡翠は愕然とした。この記憶が間違っているのだとすれば、本当に何を信じればいいのか分からなくなってしまった。
「思い出してください、翡翠さん。今のあなたなら、思い出せるはずです。
桜が、あなたの祖母が、なんと言っていたのか。本来の彼女の言葉は、この『社』ではなく、『この社の周囲にある何か』に近づくな、というものではありませんでしたか?」
「この社の周囲にある…………何か?」
翡翠の中で何かが剥がれたような感じがした。今までは疑いもしなかった。
そうだ、おばあちゃんは________
「川、川です。この神社の、近くを流れる『川』には絶対に近づくなって言ってました。」
「それでは何故、桜がそう言っていたかはご存知ですか?」
翡翠は首を横にふった。祖母に理由を尋ねたことは何回かあったが、結局聞き出すことはできなかった。
「では、翡翠さんに一つ質問をしましょう。川から連想できるものには何がありますか?なんでもいいので考えてみてください。」
東雲に出された質問の答えを、翡翠は必死に考えた。これを考えた先に、私が知りたいこと、いや、知らなければならないことがわかると、漠然と感じたからだ。
頭の中を整理するためにも、思いついたものを声に出しながら並べていく。
「川……川遊び、川下り、釣り、船、雨になると増水する…………雨………………水________碧泉さん?」
「呼びましたか?」
突如聞こえた声に驚き、バッと振り向くと、碧泉が翡翠のすぐそばに佇んでいた。
気配が全く感じられず、気がつかなかった。
にこりと穏やかに微笑んではいるが、その表情には、『この状況が心底楽しい』という感情が含まれているのがありありと見てとれた。
一応、いつもと同じ笑顔を見ているはずなのに、今はそれがとてつもなく恐ろしいものに感じた。
『あれ?私、以前にもこんな風に感じたことが…………』
その事実に気がついた瞬間、ドクンと鼓動が大きく脈打つ。それに合わせるかのように、全身が震え出した。
翡翠はその震えを止めようと、ぎゅっと自分の身体を抱きしめた。
『そうだ、そうだよ。思い出した。
私、碧泉さんの笑みを怖いと思ったことがある。
綺麗な笑みだった。
でも得体の知れない、心の底から恐怖が湧き上がるような、
この世のものではない存在の浮かべる笑み。
一体、それはいつのこと?』
翡翠は、頭の中でひたすら自問自答を繰り返した。
その中で、だんだんと自分の記憶が塗り替えられていくような気がした。現在の偽りの記憶から、過去の本当の記憶へと。
次々に掘り返される記憶の中から、翡翠は該当する記憶を見つけ出した。
『そう、思い出した。あれは、雨の降りしきる夜のこと。』
最初に、そして最期に、碧泉さんと会った時。
『________ああ、そうだ。私は…………』




