第五章 長月の真実 その14
「実はこの一年間翡翠さんと過ごしてきた街は、全て私の術で作り出したものなのです。
記憶違いを起こしたと思われた信号や電話ぼっくす、公園からそこに暮らす人、乗り物、植物に至るまで、碧泉とあなたを除いた全てにおいて、です。」
「それって、私がこの一年間見ていたものは、虚像だった……ってことですか?」
「そう取っていただいて構いません」
震えた声しか出なかったが、東雲にはしっかりと届いたらしい。
しかし、返ってきた答えは翡翠にとってあまりにも衝撃的で、到底受け入れられるものではなかった。
「そんな……いや、そんなことあり得ません!!この街は左右が反転しているということ以外、全て私の記憶の通りです!!!……っ」
「気づかれましたか。そう、左右が反転しているんですよ。
________まるで、鏡を見ているようだと思いませんか?」
その言葉が、事実が、全てを物語っていた。もうここまできたら認める他ない。
東雲が語っている内容は全て事実だ。
翡翠は腕を握りしめ、震えながらも声を絞り出した。
「私の記憶がおかしいかもしれない、という可能性に気がついてから、私の記憶が改竄されているということも考えました。
きっと、普通であれば考えられないようなことも、神様ならできると思ったので。
あまり考えたくはありませんでしたが、東雲が嘘をついているという想定もしてみました。ですが、東雲はここで嘘をつくような神様ではないということは、一年一緒に過ごしていればわかります。
……東雲の言った通り、現在私が見ているものが『虚』なのであれば、それに違和感を抱いた私の記憶は『正しかった』ということになります。
でも________でも、そう言い切るには、私の記憶はあまりにもちぐはぐすぎます。」
翡翠は泣きそうになりながらも、必死に言葉を選んで自分の思っていることを東雲に伝えようとする。
東雲は、口を挟もうとする様子もなく、ただ翡翠のことを見つめていた。
「いくつか行ったカフェの中で、スマホの写真フォルダに同じカフェで撮影したと思しき写真のあるお店がありました。
でも私、そのお店に行った記憶がないんです。東雲と行ったのが初めてだと、ずっと思っていました。
おかしいなと思いつつも、いつの写真だろうと思って、撮った日付を確認してみると、たった二、三ヶ月前だったんです。
自分が物心ついたばかりの小さい頃に、おばあちゃんに連れて行ってもらった、とかだったらまだわかります。でも、二、三ヶ月ですよ?普通、忘れませんよね。
…………それに、その数日後からの写真が一切なかったんです。次の写真は、東雲と出会って数日後に持っていったおはぎの写真でした。」
一度区切って、目を瞑りながら思いっきり酸素を取り込んだ。
酸欠気味で、霧に覆われていたかのような脳が、そこに風が吹いたかのごとく、明瞭になっていく。
酸素が存分に行き渡り、気持ちも少し落ち着いたと思ってから、翡翠は自分の考えを伝えるべく口を開いた。
「先ほどお話した事実を以て考えると、写真が一切途切れていた二、三ヶ月の間に、私の身体に重大な何かが起こったとしか思えません。
教えてください、東雲。
私の身に、いったい何が起こった、__いえ、何が起こっているんですか?」
今持っている疑問を、感情を、全て吐き出した。境内には、静寂が流れていた。
そこには、風の音も、木の葉の落ちる音も無い。生命の音が、止まっていた。
東雲はしばらく何も言わなかった。瞬きもせずにこちらをじっと見つめている。
翡翠も同じように、東雲から視線を逸らすようなことはせず、今彼が何を考えているかを捉えようと試みていた。
しかし、宝石のように美しく輝く赤い双眸は、彼の思考を読み取らせてはくれなかった。




