第五章 長月の真実 その10
しばらく歩くと、少し寂れた、しかし暖かみを感じるアーケード街が眼前に姿を表した。
一人と一柱は歩みを止めずに突き進む。
「ここら辺は、私がまだ小さかった頃よくきていた場所なんです。」
そう言いながら、翡翠はあたりを見回した。
小さな商店街には、古びた看板がいくつも掲げられている。その中には、シャッターが降りているお店もあるが、大半は今も健在であった。
「そうなんですね。大分ご自宅から距離があると思いますが……まさか、翡翠さんお一人で?」
翡翠の耳に届いた東雲の声は、少し心配そうな声音に聞こえた。
「いえ、流石に一人ではありませんよ。おばあちゃんと一緒でした。ほら、あそこのお店。」
木彫りの看板を掲げたお店に視線を向けながら指差す。東雲も、つられてそちらを見た。
「あそこは持ち帰り用の和菓子を売っているお店で、特にごまのおはぎが絶品なんです。おばあちゃんはここを通るたびにそのおはぎを買ってくれて、ここから少し先にある例の公園で食べるのが恒例でした。」
おはぎを口いっぱい頬張りながらおばあちゃんと過ごした時間は、翡翠にとって今でも忘れたくない大切な思い出である。
「もしよければ、私たちも今からごまのおはぎを購入して、その公園で食べる、というのはどうですか?」
東雲が少し期待を孕んだ目で翡翠を見る。どうやら、彼はごまのおはぎが気になっているらしい。
考えてみれば、お店でパンケーキを食べてから、かれこれ三時間近く経過している。おやつ休憩にはちょうどいいだろう。
「名案ですね!私も久しぶりに食べたいですし、買っていきましょうか」
「はい」
溢れんばかりの笑みを浮かべた東雲は、一目散にお店目掛けて歩き出した。そのスピードは、翡翠が少し小走りしないと追いつけないほどで。
「おはぎは逃げませんから、待ってください!!」
サラサラと靡く白色の髪を追うようにして、翡翠はお店へと向かった。
*
「持ってくださってありがとうございます」
翡翠の視線の先には、東雲の手に握られ、ガサガサと音を立てながら揺れるビニール袋があった。
「これぐらいどうということはないので、気にしないでください。それに、食べたいと言い出したのは私ですからね」
そう言って微笑を浮かべた東雲の表情からは、彼が今非常に幸せであることが伝わってきた。
「ありがとうございます」
お礼を言いながら、ふと気がついた。
そういえば、最初の頃に比べて、随分と東雲の表情が柔らかくなったような気がする。
もちろん、出会った当時も優しい表情を浮かべてくれてはいたが、やはりどこか固かった気がする。
きっと彼なりに気を遣ってくれていたのだろう。
東雲の気遣いは現在でも変わらず、たまに申し訳なくなるくらいだが、以前のよそよそしい感じは抜けている。
それに、変化があったのは東雲だけではない。翡翠にも、同様に変化があった。
東雲のさりげない気遣いは、翡翠の心の氷を溶かしてくれた。
彼に出会う以前の翡翠は、祖母を亡くしたばかりだったこともあり、何事にもどこか線引きをしてしまい、その線から先には踏み込もうとしなかった。
そのため、どんな時でも他者に対して遠慮しがちで、自分への気遣いに対して、素直に喜べずにいた。
しかし、彼の何気ない気遣いや優しさに触れるにつれて、最初は『申し訳ない』『ごめんなさい』と言っていた翡翠の口から、いつの間にか『ありがとうございます』『嬉しいです』と素直な言葉が溢れるようになった。
これは間違いなく東雲が翡翠にもたらしてくれた最高の贈り物だった。
『いつか、私も返せるだろうか。』
そう思ったところで、翡翠はぎゅっと唇を引き結んだ。
先のことを考えても仕方がない。特に、この特殊な関係性にある私と東雲においては。今はただ、この一瞬一瞬を大切に彼と歩むのが大切だろう。
所在なさげに揺れ動いていた心を定めてから、翡翠は顔をあげて道の先を見据えた。
翡翠の様子を横目で窺っていた東雲は、翡翠の真っ直ぐで力強い視線を見て、小さく微笑んだ。




