第五章 長月の真実 その4
「あ、ここです!」
看板を指差しながら、東雲いる後方に振り返った。
翡翠が気になっているお店は、街の一角に溶け込んでいた。
『不知火』という変わった店名の看板がなければ、通り過ぎていたかもしれない。
入り口にかかっていた紺の暖簾を潜り、店内へと足を進める。
暖簾と同じ紺色を基調とした店内は、訪れた人々に落ち着きと癒しを与えてくれる。
木造の持つ優しい雰囲気に包まれながら、東雲と翡翠は席についた。
このお店の他のお店と違うところは、店内の棚を埋め尽くすほどの書籍が置かれていることである。
ここ不知火では店内に置いてある本を席で読むことができ、気に入れば購入することもできる。
席は一階と二階に分かれており、どちらに席を取ろうか迷ったが、本の数は圧倒的に一階の方が多いので、より本の多い一階を選択することにした。
座席に荷物を置いて確保し、お財布を持ってレジに並ぶ。
このお店では、レジで注文とお会計を済ませると、頼んだものが運ばれてくるという仕組みである。
今回翡翠が注文したのは、ホットコーヒーと抹茶フレンチトーストのセット。
東雲はコーヒーよりもほうじ茶の方が落ちつくということで、ほうじ茶と抹茶フレンチトーストのセットを注文していた。
席に戻ってからは、本棚から気になる本を持ってきて、中身をパラパラ見ながら東雲と話していた。
そうこうしているうちに、スイーツと飲み物が乗せられたプレートを店員さんが運んできてくれた。
なんとなく東雲の方を見てみると、彼の目が輝いているのがわかり、思わず吹き出しそうになってしまったのは内緒だ。
抹茶のフレンチトーストは黒い陶器製の器に乗せられており、フレンチトーストの横に添えられた生クリームとフレンチトーストの色彩を際立たせている。
見るからにふわっふわなフレンチトーストをナイフとフォークで一口サイズに切り、早速口に運んだ。熱々のフレンチトーストは口に入れた瞬間舌の上でとろけて、鼻腔を抹茶の爽やかな香りが抜けた。その美味しさに自然とお皿に手が伸び、次々とフレンチトーストが消えていく。
気がつけば、あっという間に食べ終わってしまっていた。
お腹が満たされた幸福感と、食べ終わってしまった事に対する少しの寂しさを感じながらも、コーヒーを飲むことにより口内をリセットする。
向かいに座っている東雲は、抹茶フレンチトーストを味わっている最中だった。
本神は表情を崩すまいと頑張ってはいるが、幸福感が全身から滲み出ているので、あまり意味はないだろう。
その姿を微笑ましく思いながら、少しだけ東雲の様子を観察する。
東雲が向けられた視線に気がつかないわけがなく、不思議そうな顔で翡翠を見つめ返した。
「どうかなさいましたか?」
「いえ、ただ本当に幸せそうに食べるなーと思いまして。」
「一応、神としての威厳を保てるように、表情が緩まないよう気をつけてはいるのですが……」
「ええ、表情は大丈夫ですよ。ただ、残念ながら幸せなオーラが隠しきれていません。バレバレです。」
そう言って、翡翠はクスクスと笑った。
「私の雰囲気が変化した事に気が付ける普通の人の子はいませんから、問題はありませんよ。」
「そ、そうですか……」
含みのある東雲の言葉に動揺した翡翠は、それを隠すようにコーヒーを口に含んだ。
爽やかな苦味が口いっぱいに広がり、心なしか落ち着いた気がした。
おかげさまですっきりとした気持ちになった翡翠は、本棚から取ってきた本を開き、そのまま読み始めた。
その様子を東雲が小さく微笑みながら見ていたことに、翡翠が気付くことはなかった。




